2019年エイプリルフール企画

「今日は嘘をついてもいい日だそうで」
 例によって口火を切ったのは三好だった。そうでなければ神永。たいていはこの二人のどちらかだ。
 四月一日。桜のつぼみが膨らんで、いくつかはもう花開いている。数日もすれば満開の桜が拝める頃合いだ。
「何だそれは」佐久間は尋ねる。圧倒的に違う知識量を思い知らされたところで、何の感慨もない。張り合うことさえ無駄だ。そもそも同じ土俵に立っていない。
「舶来の風習ですよ」田崎が手元の本から目を離さずに言う。
「何だっけあれ……四月馬鹿(エイプリル・フール)?」神永が首をひねる。
「そんな本があったな」甘利が言う。
「これのことか?」ようやく視線を上げた田崎が手元の本を掲げる。題名は『恐ろしき四月馬鹿』。
「田崎、さては今日のために準備していたな」小田切が笑う。
「もちろん。こんな愉快な日を楽しまずにどうする」
「それ、探偵小説だろう。関係あるのか」近寄った小田切が田崎の肩越しに紙面をのぞき込む。
「これから読むんだ」田崎が再び本に視線を戻す。
「嘘をついていいって言われると、逆に嘘をつきたくなくなるというか」と波多野は頭の後ろで腕を組む。背をそらして椅子の足を揺らす。
「そりゃあ……貴様らはいつも嘘をついているから」
「でも、嘘をついていない人なんていませんよね」実井が薄く微笑む。
「佐久間さんだって、小さな嘘なら数え切れないくらいついてきたのではありませんか」甘利が軽い口調で尋ねる。
「だから今日一日は許されるっていう話なんだろ」神永が付け加える。「普段は許されない行いを特別に許すと」
「許されなくても嘘はつくが」感情の薄い顔で福本がぼそりと呟く。
「嘘の塊みたいな奴が言うと説得力が違うな」
 ここ、スパイ養成機関――通称D機関には、嘘しかない。
 偽物の経歴、偽物の人格。第二の皮膚のように隙間なく貼り付けた嘘偽りを、嘘と感じさせてはならない。
「結城中佐からお墨付きをいただいていますから」実井が言う。「嘘をつくことを奨励しているとも言えましょう」
「せっかくだから、佐久間さんも楽しめばいいじゃないですか」甘利が楽しそうに言う。
「貴様ら相手に? 不毛すぎる」すぐに見破られるに決まっている。
「今日は許される日なのに、もったいない」波多野が心底残念そうにため息をついた。
「いつでも許されている貴様らに言われたくはない」
 嘘をつくのは悪いことだ。それが許される今日が特別というのは理解できる。だが、彼らのいる場所に置いては何ら特別なことではない。それをさも楽しげにしているのがわからない。佐久間には、彼らを理解できたためしがない。
「常に許されているというのなら……僕たちは永遠に四月馬鹿なのかもしれませんね」
 三好が唇を歪めたのが、愉悦だったのか自嘲だったのか、佐久間には判断がつかなかった。

     *

 はっと佐久間は目を開けた。
 今日は四月一日だ。だから過去の夢を見た。
 ――過去。そう、ただの過去だ。
 ここはD機関ではない。その任は解かれた。D機関は一期生の訓練を終え、彼らを彼らの戦場へと送り出した。佐久間もまた、本来の戦場へと戻された。
 悪夢を見ていたように、あの日々はいつまでも佐久間の記憶の底に断片的にこびりついている。
「今日は嘘をついても許される日、だったな」
 佐久間はそう独りごちる。あそこでは何の意味もない日だが、〝普通〟に戻った今なら楽しみもわかる。他愛もない嘘を許し合うための日だ。多分彼らは、佐久間にそれを期待していた。ごく普通の人のように、何の気負いもなく、小さな嘘をつくことができる佐久間に。
 だから、佐久間も今日ばかりは、自分に小さな嘘を許すことにした。
「嘘つきども、俺は貴様らのことが大嫌いだったよ」

*『恐ろしき四月馬鹿』横溝正史、1921年発表

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