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 火曜日、夜

 わたしたちは再び、わたしが監禁されていたあの家に向かっていた。
 言葉通り、わたしたちはすぐに出発した。
 リチャードはすぐに車を用意してきた。びくびくしながらもどこかに電話をかけ、車を学校の近くに回してもらったらしい。
 わたしたちはそれに乗り込み、人気のない夜道を走っていた。
 運転はリチャード、助手席にデイジー、後部座席にわたしとアリスが乗っている。
 リチャードは危なげなく運転している。少しスピードを控えめにしているのが、気の弱い彼らしい。わたしたちの会話をつとめて何も聞かないように、運転に集中している。
「作戦はわかっているわよね」
「もちろんよ」
「わかっているわ。ただし、無茶はしないでよ」
 デイジーが釘を刺した。
「危険になったらすぐに逃げて、スコットランド・ヤードに通報すること。忘れないでよ」
「はいはい、お姉さま」
「茶化さないでよ、もう」
 ふふ、とアリスが笑った。
 いつものように軽い冗談が言える雰囲気になって、わたしは少しほっとした。

 リチャードとのフェンシングの勝負後、わたしたちは作戦会議を始めた。もちろん、持ち出した道具は片づけてある。
 リチャードは車の手配に向かった。たぶん、寮監から電話を借りるのだろう。彼の人間関係も気にならないといえば嘘になるけれど、あまり聞かれたくはないと思って、そっとしておいた。
 わたしたちはその間にフルーレや防具などを仕舞って、今後の作戦会議(なんて素敵な響き!)をした。いかにも繊細そうなリチャードには、詳しい作戦を知らせないで運転手に専念してもらうことにした。緊張しすぎてやっぱりやめたいと言い出されたら、困ってしまう。
 道具を片付けながら、わたしはふとリチャードの知り合いのことが気にかかった。そういえば詳しく聞くのをすっかり忘れてしまったけれど、リチャードの知り合いはどんな人なのだろう。
 十五歳の子ども相手に車をすぐに提供できるなんて、いまさらだけど普通ではない。こんな夜に、電話一本で車を用意してくれるのは、わたしが言うのもなんだけど、都合がよすぎる。普通の大人だったら、ここでリチャードを問い詰めて止めに入るのではないのか。
 ――怪しいにもほどがある。
 リチャードははっきり言わなかったけれど、リチャードのお父さんの知り合いは、わたしを誘拐した人と何か関係があるに違いないのだ。
 わたしが誘拐された時、目の前に立っていたのはリチャードだった。でも、わたしが気を失ったのは、後ろから誰かに薬をかがされたから。その誰かはリチャードと行動を共にしていたのだから、当然リチャードの知り合いのはず。リチャードには共犯者がいて、それがあの車を提供したリチャードの知り合いだろう。彼は諜報部の人で、リチャードからわたしの手鏡の話を聞いて、お父さんがスパイだと疑った……。
 そうだとして、なぜわたしに協力するのだろう。もう何年も前にもらった手鏡なんてささいなものからお父さんのことを疑ったくせに、お父さんへの疑いが晴れたのか? それとも罪悪感でも覚えているのか……。
 リチャードが車を借りて何をするのか、わからないはずがない。リチャードが何と言って車を調達したか知らないけれど、諜報部の人ならそれくらい推測できるはずだ。
 そういえば――とわたしは思い出した。アリスは、リチャードが夜に誰かと言い争っているのを聞いたと言っていた。その時にわたしの名前を聞いたから、怪しんでリチャードを問い詰めたのだ。あれが、リチャードの知り合いの諜報部の人なのか。
 だったら、なおさらリチャードが何をしようとするのかわからないはずがない。
 そして、わたしはもうひとつの可能性に気づいた。それに思い至った時、背筋が震えた。
 わたしを監禁した男の人は、お父さんが日本のスパイだと疑っていた。そんなことを気にかけているのは、彼が諜報部の人か何かだからではないのか……?
 だとすれば、リチャードのお父さんの知り合いと関係があるはずだ。同じ諜報部の人なら、つながりがあってもおかしくない。
 というより――。
 ――関連があるどころか、同一人物だってことはないのだろうか?
 さきほどまでの高揚感がしぼんだ。
 すべてをお膳立てされている気がしてならない。だとしたら、狙いはなんだろう。お父さんのことを疑っているなら、わたしがもう一度あの家へ向かうのを止めるのではないのか? 見られたら困るものくらいありそうだし。それとも、わたしを待ち受けていて口封じでも考えているのか? あるいは、それもお父さんを誘い出すための罠?
「エマー? 早くしないとリチャードが戻ってきちゃうわよー」
 アリスが倉庫から呼ぶ声がした。
「今行くわ」
 返事をして、わたしは頭を振った。
 もうここまで来たら、気にしていられない。だって、進んでしまったのだから。後戻りはできない。
 わたしはフルーレを抱えなおした。
 行くと決めたのはわたしだ。他の誰かに強制されたのではない、わたしの決断だ。マキさんからもらった手鏡を取り返しに行く。もう、アリスもデイジーも巻き込んでしまった。
 だから、誰かのせいにはできない。何があっても。

「さて、どうする?」
 きわめて冷静に、デイジーが言った。
 広々とした体育館の中で、わたしたちは床に座り込んでいた。男子がいないからスカートを気にする必要もないのは、けっこう気楽だった。
「正々堂々とドアを開けて入れてもらうか、鍵をこじ開けるか、よね」
「鍵をこじ開けるって……あんたそれできるの?」
「もちろんよ。そうやってあの部屋から逃げたんだから」
「まあ、エマったらすごいわね!」
 興奮したように胸の前で両手を組むアリスに、わたしは得意げな顔をした。
 部屋の鍵を針金でこじ開けて脱出したのだから、玄関の鍵もたぶん開けられるだろう。暗号で手紙を送ったり、鍵を針金で開けたり、お父さんのお遊びだと思っていたけれど、案外役に立っている。お父さんも、こういう場合を想定したわけではないはずだけど。
「鍵が開けられるとしても、正面から入るのは見つかる危険が高いんじゃない? 中に人がいるのは変わらないんだから」
「そうね……」
 わたしは同意せざるを得なかった。鍵を開けて中に入れたとしても、見つからずに家の中を捜索するのは難しい。玄関には隠れる場所はなかった。
「窓が開いたりしてないかしら」
 アリスが顎に手を当てて言った。
「そう都合よく空いているとは思わないけど。だいたい、警戒していたら一階の窓は閉めるんじゃない?」
「一階は無理でも二階なら、もしかしたら空いているかもしれないじゃない」
「ちょっとアリス、登る気なの?」
「隣の家から屋根伝いにとか……」
「それはだめよ。二階の窓ははめ殺しだったわ」
「……あらそうなの」
 アリスは残念そうに言った。
 二階の窓は、わたしが監禁されていた時に真っ先に確認したことだ。一階はわからないけれど、見つからないように二階から侵入するとしたら窓ガラスをたたき割るしかない。
「ひとりが呼び鈴を鳴らして、あとの二人が隙を見て入るのは?」
「昨日みたいに、出てきた男を何とかするってこと?」
「そう」
「そんな素直に出てくれるかしら? もう一回その手は使ったじゃない」
「そうなのよね……」
 あの手は、不意打ちでなければ通用しない。
 デイジーの言うことはもっともすぎて、わたしはため息をついた。どうもうまい手が思いつかない。
 第一、向こうは銃を持っている。わたしにも、危険な行為をしている自覚はある。侵入するだけなら何とかなるけれど、その後、中にいる人に見つからないように手鏡を探すのはそんなに簡単ではない。
 でも、わたしだってやみくもに突撃するわけではない。わたしにはわたしなりの計算がある。
 向こうは銃を持っているけれど、わたしたちを本気で撃つとは考えにくい。死んでしまったら、わたしたちは行方不明として学校が総力を挙げて捜索するはずだ。怪我だけでも、やっぱり大騒ぎになる。
 わたしを誘拐した際、学校側には一切伏せられていたことから考えると、向こうは静かに事を進めたいはずだ。とすれば、むやみにわたしたちを撃つような真似はしにくい。
「じゃあ、石でも投げて二階の窓を割って、中にいる人が二階に上がった隙に鍵をこじ開けて侵入するとか」
 デイジーが提案した。
「それはいいかもしれないわね」
「ああ、でも手鏡が二階にあったらどうしよう……」
 デイジーがお手上げだといわんばかりにため息をついた。
「こんないい加減な作戦じゃあ、さすがに危険すぎる……」
「わかってるわよ」
 いくらなんでも、それではすぐに捕まってしまう。すでに一度、監禁されているのだ。次に捕まったら脱出はできないだろう。向こうがこちらを侮っていたからこそ、脱出できたのだ。二度目はない。
「ねえ、そもそもその場所に、今も人がいるの?」
 アリスがだしぬけに言った。
「えっ?」
 驚くわたしをよそに、デイジーははっとした顔をした。
「だって、エマは逃げちゃったわけでしょ。普通に考えて、もういないんじゃない? 別に、その男の人の自宅ってわけでもないでしょう?」
「そうよ、なんであの男の人がいるっていう前提で話を進めていたのかしら」
 考えてみれば、アリスのいう通りだった。どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのだろう。
「そういえば、監禁してた男の人はどこかに電話をかけていたわ。わたしが起きた時に見た男の人と、逃げ出した時の男の人は違う人だった――」
「ほら。リチャードの言う、諜報部の仕業だとしたら、どこかに報告しに行くんじゃない? もうあの家にはいないわよ」
「わたしたちが戻ってくるなんて思ってもみないかもしれないわね」
 デイジーも珍しく楽観的なことを言い出した。
「誰もいなければ、手鏡を探すのだって簡単よ。誰か見張りに立って、あの人たちが帰ってきたら逃げればいい」
「じゃあ、それで決まりね」
 でも、とデイジーが続けた。
「誰かいたらすぐに引き返しましょう。やっぱり危険だわ」
「もう、デイジーは慎重すぎるのよ」
「もしかして怖い?」
 不満そうなわたしとアリスの顔を見ながら、デイジーは折れなかった。
「あんたたちだけにしたら何するかわかったものじゃないもの。わたしも行くわよ」
「……しょうがないわね。誰かいたら帰るわ。これでいいんでしょ」
 わたしはしぶしぶ妥協した。なおも言いつのろうとするアリスを止めて、わたしたちは立ち上がった。
 体育館のドアが開く音がした。
 逆光になったリチャードの黒いシルエットが、入口からのぞいた。
「……話はつけてきたよ。もう少しで学校の近くに回してくれるって」
 外に出ると、グラウンドの端に夕日がほとんど沈みかかっていた。空は既に濃い青色になって、わずかに残った夕日の赤と混ざり合った境界が虹色になっている。
 ずいぶん長いこと体育館で話し込んでいた気がしたけれど、それほど時間は経っていなかったらしい。
「体育館の鍵を返して、車が到着したら出発ね」
 楽しそうな顔をするアリスと、暗い顔つきのリチャードが対照的すぎて、わたしはやっぱり笑ってしまった。

 走る車の中で、わたしは作戦(というにはお粗末だけれど)を復唱した。
「最初に呼び鈴を鳴らして、誰もいなければ鍵を開けて手鏡を探す。誰かがいたら、そのまま引き返す。何か想定外のことが起きたら、すぐに車に引き返してみんなで逃げる。で、スコットランド・ヤードに通報する。これでいいでしょ」
「……本当にわかっているのよね」
「まだ疑うの?」
「あんた、ひとりで部屋から脱出したんだから。前科持ちでしょ」
 デイジーは助手席から振り返ってわたしを見つめた。わたしもデイジーを見つめ返した。
 とりなすように、アリスが口を挟んだ。
「でもエマは、格闘もできるんだから大丈夫でしょう? フェンシングも強いし」
「まあ、わたしが何を言ってもエマは聞かないものね」
 デイジーは肩をすくめて話題を変えた。
「――そういえば、格闘は誰に教わったの?」
「あれは、お父さんの知り合いの人に教えてもらったのよ」
 わたしの格闘術はハタノさん直伝だ。
 お父さんの不思議な知り合いのひとり、ハタノさんは、とても格闘戦に強かった。細身で背が低いのに(ハタノさんには禁句だ)、自分より大きな男の人でも、軽々と投げ飛ばしてしまう。
 小柄なのに強いから、日本の有名な戦闘機になぞらえて〝ゼロ〟と呼んだら、ちょっとだけ嫌そうに顔をしかめていた。その顔が普通の人みたいで好きだから、わたしはあえて〝ゼロ〟と呼び続けている。もしかしたら、ハタノさんは気づいているのかもしれないけれど。その戦闘機のことを教えてくれたのだって、お父さんたちなのだ。
「エマのお父さんも不思議な人だけど、お父さんの知り合いの人っていうのもずいぶん変わっているわね」
「だからこんなことになっちゃったんだけど……」
 わたしはそう言ってから、今更のようにふたりに(リチャードは半分くらい自分のせいだろう)申し訳ない気持ちになった。元をたどれば、マキさんからもらった手鏡のせいだ。わたしのせいなのに、周りを巻き込んでしまった。自分で面倒事を引き起こして、自分で解決しに行く。何かうまい言い方があったような気がするけれど、思い出せなかった。
「……こんな危ないことに付き合せちゃって、ごめんね」
 冒険好きのアリスはともかく、自分から危ない橋は渡らないデイジーも巻き添えにしてしまった。わたしのことを心配して助けに来てくれたのに、安全な学校まで逃げてこられたのに、これからまた危険を冒しに行く――成り行きで付き合わせてしまっている。
「それはエマのせいじゃない」
 デイジーが、わたしの顔をまっすぐ見据えてきっぱりと言った。
「まずわたしがエマの話をしたのが発端だし……」
 運転していたリチャードが肩を揺らした。
 デイジーはちらりと彼に視線を向け、付け加えた。
「勝手に勘違いした向こうが悪いのよ。疑り深い大人っていやになるわね」
 アリスがわたしの手をぎゅっと握った。
「……うん。ありがとう」
 わたしのお父さんのことを、わたしでさえ信じられなくなったお父さんのことを、そういうふうに無条件で信じてくれるふたりが、とても嬉しかった。
「ここにいるのは、わたしたちが自分で決めたことよ」
「エマは大切な友達ですもの」
 アリスはうつむいたわたしの顔を覗き込んで、ふんわり笑った。
 わたしの都合で巻き込んでしまったのではないかと心配していたのも、お見通しらしい。
「……そうね。アリスもデイジーも、わたしの大切な友達だものね」
 わたしは顔をあげて微笑んで見せた。
「じゃあ、この話は終わりね」
 デイジーがなんでもないように話題を終わらせた。
 それに、わたしはほっとした。
 要は、手鏡を取り戻せばいいのだ。他のことは、後で考えればいい。
「――着いたよ」
 リチャードがぼそりと言った。
 車はひとつ先の通りに止めた。エンジン音で気づかれたらたまらない。
 不安げにあたりを見回すリチャードにはまた見張りを頼むことにして、わたしたちは三人で家に向かった。
 前回は観察する余裕のなかったその家を、わたしは改めて目にした。
 住宅地の中に立つ一軒家だった。赤いレンガ造りの家は角地に建っており、向かって右手にも細い通りがある。家には広い庭と生垣があり、バラが咲いている。もうそんな季節だったな、と関係のないことが頭をよぎった。
 ごくごく普通の家だ。カーテンは閉め切られ、明かりはついていないようだった。でも、本当に誰もいないとは限らない。
 まず、家の中に誰かいないか確認することにして、わたしたちは二手に分かれた。
 アリスは家の外で待機。デイジーとわたしが玄関に向かった。
 デイジーが玄関先に立ち、わたしはドアの横にぴったり張り付く。こうすれば、ドアを開けたくらいではわたしの姿は見えない。
 呼び鈴を鳴らすのはデイジーだ。わたしはもちろんだめだし、アリスも仮面をかぶっていたとはいえ、身元がばれる危険は少しでも減らしたい。
 わたしは深呼吸した。気持ちを落ち着ける。大丈夫、わたしは冷静だ。
 デイジーが緊張した面持ちで呼び鈴に手を伸ばした。心臓の音がうるさい。静けさに包まれた中では、わたしの心拍数も聞こえてしまいそうだった。
 静かな夜を切り裂くようなベルの音が鳴った。
 わたしは身構えた。デイジーも硬い表情でドアを見つめている。
 どれくらい待ったか、家の中からは誰も出てこなかった。
 軽い足音がして、家の右手の細い道路に待機していたアリスが駆け寄ってきた。
「――誰もいないみたいよ。窓からは何の動きも見えないわ。電気もついていないみたい」
 声を潜めてアリスが報告する。
「通行人もなし、車も来ていないわ」
「じゃあ、予定通りいくわね」
 いいでしょう、とわたしはデイジーに視線で問いかけた。
 デイジーは無言でうなずき、アリスに顔を向けた。意図を察したアリスは足音をひそめながら待機場所に戻った。
 わたしは袖口から針金を取り出した。玄関の鍵穴に差し込む。
 デイジーがかたずをのんで見守っているのを感じた。
 鍵と格闘すること数分、かしゃん、と鍵の開く音がした。
 途端に空気が緩む。ほっと息を吐いたのはわたしだったか、デイジーだったか。
 デイジーがドアを慎重に開けた。きい、とかすかに軋む音がして、ゆっくりとドアが開く。
 わたしたちは、無事に侵入を果たした。

 まず、一階から捜索を始めた。
 部屋の明かりをつけるわけにはいかないから、寮のカンテラを持ち込んでいる。そのぼんやりした光が、部屋の中を照らす。
 一階には広いダイニングキッチンとリビングがある。キッチンの戸棚をひとつひとつ開けてみたけれど、調理器具と食器ばかりだ。
 リビングには暖炉がある。マントルピースの上に並べられた写真は、昨日見た男の顔ではなかった。やっぱり、家の主がいない隙に勝手に借りていたのだろう。
 階段下の物置を調べてみても、掃除用具しかなかった。
「やっぱり二階なんじゃない?」
 床にかがみこんでソファの下をのぞいていたデイジーの背中に、わたしは言った。
 デイジーが身を起こした。
「こっちもないわ。二階に行きましょう」
 二人で狭い階段を上がる。
 二階には、部屋がふたつある。ひとつはわたしの閉じ込められていた部屋。その向かいに、もうひとつ部屋があった。
「どっちに入る?」
 デイジーが尋ねた。
「たぶん、こっちの部屋のほうがあると思うわ」
 わたしは、監禁されていたほうと反対の部屋を指さした。
「わたしが連れてこられたのがあっちの部屋だったのよ。中で一日過ごしたけど、荷物はどこにもなかったわ」
「念のために、わたしが探してみるわ。もしかしたら、物を動かしたかもしれないし」
「ええ」
 わたしたちは先ほどと同じように、二手に分かれてそれぞれの部屋に入った。
 入った部屋の中は、わたしが監禁されていた部屋とあまり変わらない大きさだった。ただ、こちらはダブルベッドだった。たぶん、両親の部屋なのだろう。わたしの監禁されていた部屋は、子供の部屋だったのかもしれない。細かいところまで覚えているわけではないけれど。
 わたしはカンテラを床に置き、膝をついてベッドの下を見た。何もない。うっすらとほこりが積もっているだけだ。ここの住人は長く家を空けているのだろう。でなければ、わたしを監禁する場所に選んだりしないはずだ。
 次に、ベッド横の机を調べた。引き出しをひとつずつ開けて、奥を覗きこんでみても、特に怪しいものは入っていない。本来の住人の生活感がにじんでいるだけだった。
 残りは、ベッドと向かい合うように壁際におかれたクローゼットだけだった。鏡のついた、飴色のクローゼットだ。下には引き出しが一段ついている。
 わたしはクローゼットを開けた。少しだけほこりっぽいにおいがした。
 クローゼットの中には服がつり下がっている。一応、一着ずつポケットを探ってみた。何もなかった。別に期待はしていない。
 それから、クローゼットの引き出しを調べた。何も入っていない。わたしは引き出しを戻そうとした。
 当てがはずれた気分だった。わたしが気づかなかっただけで、向こうの部屋に荷物が置いてあったのか。手鏡以外にも、カバンもあったはずだ。処分してしまったのだろうか。でも、わたしをそのまま返す気があったなら、どこかに保管しておくような気もするけれど。
 それとも、もうここにはないのか……?
 そこで、わたしは気が付いた。
「あれ……?」
 引き出しの深さが、クローゼットに対して少し浅いような気がした。こんなに分厚い底板を使うなんて変だ。もしかして、とわたしは引き出しを取りはずした。
 床に座り込んで、引き出しを眺める。
 引き出しの奥の面の底近くに、薄く切れ目が入っている。それに、やけにここだけ木が新しい。はやる気持ちを抑えて、わたしはそっと引き出しの底に手を当てて引っ張った。
 するり、とあっけないくらいに、隠し引き出しが現れた。
 ――中に入っていたのは、わたしの手鏡だった。
 そっと引き出しから取り出し、わたしはひっくり返して細部にいたるまで検めた。漆塗りで背に花模様の細工が入った手鏡――間違いなく、わたしのものだった。
 ようやく探し物が見つかった喜びで、わたしは勝手に顔がほころぶのを感じた。こんな仕掛けを見つけられたんだ、と得意げな気分になっていた。
 早くデイジーと合流しよう。わたしはそう思って、引き出しをクローゼットに戻そうとした。
 だから、わたしは気づかなかった。
 階段を上がる足音で、わたしは振り向いた。あわてて手鏡を背後に隠し、カンテラの火を吹き消した。すぐさま立ち上がる。
 スカートがほこりまみれだったけど、そんなことを気にしている場合ではなかった。わたしは部屋を見渡した。
 ドアはひとつしかない。今ドアを開けたら、鉢合わせしてしまう。それほど広い家ではない。すぐにここへ来てしまう。
 窓から逃げるにも、時間がない。窓ガラスを割っている間に入ってきてしまう。窓から降りるのも危険だ。
 どこかに隠れないと――でも、どこへ?
 わたしがクローゼットに入ろうとするのと、ドアノブが回るのは同時だった。
 もう隠れるは無理だ。そう思ったわたしは、息を吸い込んだ。せめて、デイジーには知らせなければ。
 現れた男が部屋に足を踏み入れた瞬間、わたしは思いっきり悲鳴をあげた。

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