「六眼には瞼がないんだよ」
 不良少女みたいに(実際そうなのだが)制服姿で煙草を吹かす同級生がそう言ったのが、はるか遠い昔のように感じられる。
 たぶん、入学して一学期を過ぎたか、それなりに親しくはなったが(なにせ同級生が二人しかいない)、まだ呪術界のあれこれに面食らうことも多かった頃。なけなしの座学の後、もう一人の同級生がだるそうに机に身体を伏せて起き上がろうとしなかった時のことだ。どうせ面倒くさがっているだけだろうと思っていたら、硝子がそう言ったのだ。
 自分を話題にされても、銀色の頭はぴくりとも動かなかった。常ならばやかましく騒ぎ立てるのに、いよいよこれは本当に具合が悪いのではないだろうか。そう思って夏油が腰を浮かせたところで、
「眩しい……」
 のそりと五条が顔を上げた。本当に眩しそうに目を細めている。
「眩しい? 今日は曇りなんだけど」
 夏油は首を捻った。教室の電気はとっくに五条によって消されて、むしろ薄暗いくらいだった。
「傑、静かにしてよ」
「は? 私がうるさいって?」
 わけのわからない言いがかりに夏油は一瞬怒りが湧いたが、
「だから、その感情」
 それだけ言って五条は再び顔を伏せた。
 口から先に生まれたような五条が沈黙しているのに勢いを削がれ、夏油は固い椅子の上に座り直した。
 硝子が何でもないような顔をして言葉を続けた。
「こいつはさ、呪力がものすごくよく見えるわけ」
「……それが?」
「感情が昂ると呪力の流れも変わる。こいつにはそういうのが特別よく見えるんだよ」
 そっけなく解説した硝子が五条に向かってふうっと煙草の煙を吹きかけた。
「やめて」
 低い声で呟いた五条が顔を背けた。目を閉じている。長い睫毛が震えて、わずかに開いた隙間から銀河のような青い瞳が覗いた。すぐに瞼に覆い隠される。
「自分でコントロールできないのは、何かと面倒でしょ」
「そういうものなのか」
「ま、私もよく知らないけど」
 他人事みたいにあっけらかんと言い放った硝子は、けたけたと笑った。

「そういえば、前に悟のサングラスをかけてみたんだけどね」
「もう仲直りしたの?」
 二人だけの教室で、相も変わらず煙草を吹かしながら硝子が返した。換気のために窓を開けているが、夜蛾にはとっくに露見しているだろう。それでも硝子が注意された姿は見たことがない。放任にもほどがある。
「……悪かったよ」
 夏油は咳払いして視線を泳がせた。最近、単独で任務を振られるようになってから関係が少しぎくしゃくしている。もっとも、そう感じているのは夏油だけのようだったが。
「あのサングラス、何も見えなかったよ」
「うん。知ってる」
「ああ――前にかけてたことあったね」
「びっくりするくらい、何にも見えなかった」
 憎らしいほどいつも通りの調子で硝子が言った。あいにくと、夏油はそれほど平静さを保てるほど達観していなかった。
「あれが六眼の〝瞼〟だと思ってたら、違ったんだね」
 硝子は頬杖をついた。視線は窓の外を向いている。煙草の煙が細く立ち上り、じりじりと火が巻紙を食んでいる。
「あれは普通の目の方の瞼だよ」
「瞼はついてるだろう」
「それだけじゃ足りないんじゃないの」
「そうなのか? でも目を閉じればいいのに――って、ずっと目を閉じていたら変質者か」
「今でも十分怪しいけど。オマエら二人揃うと更に」
「私もかい?」
「自覚ないのかよ、この不良」
「未成年のくせにニコチン中毒の硝子に言われたくないなあ」
 無言で硝子が夏油の足を蹴った。大した痛みはない。呪霊なんかと比べたら可愛いものだ。
「――夏油さあ、変なこと考えてないよね」
 硝子の口調はいたっていつも通りだったが、存外鋭く響いた言葉が胸を切りつけた。
「……何の話?」
「五条がいないから暇してるんじゃないかと思って」
「そんなにべったりに見えた?」
 硝子が煙草を口元から離した。そのまま煙を吹きかけられる。
「ちょ、何するんだ、」
「知ってると思うけど、五条は眼が悪いんだよ」

「何も見えてなかったんだね」
 雑踏の中でひときわ輝く、銀河のような瞳が見開かれる。久しぶりに見た色は、いつにも増して綺麗に見えた。有象無象に囲まれながら、二人だけの舞台に立っているような心地さえする。
 瞬きを忘れたような青く輝く瞳に射貫かれる。黒いレンズに遮られないそれが少し潤んでいるように見えるのは、うぬぼれだろうか。かすかに開いた唇から、言葉の代わりに吐息が漏れる。
 自分の言葉が傷をつけることに成功したのだと知って、少しだけ愉快になった。

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