「怖い話なんて盛り上がるのか?」
 いかにも気のなさそうに、真希が眼鏡を外してレンズを拭きながら言った。
 深夜の食堂。四人が集まっていた。ただでさえ広大な敷地内で、生徒数がきわめて少ない高専では、深夜ともなればほとんど物音がしない。それと引き換えに、好き勝手に鳴く蝉の音がうるさく響いている。
 ご丁寧に、テーブルの上には蝋燭。もちろん電気は消されている。揺らめく火に照らされて、見慣れた顔もどこか不気味に見える。
「夏と言えば怪談話!」
「しゃけしゃけ!」
「あのなあ……」
 真希が眼鏡をかけ直した。
「あれより怖いものがあるか?」
 視線を向けられた乙骨は、困ったように頬をかいた。〝里香ちゃん〟と名乗る特級呪霊は今はおとなしくしているが、ひとたび宿主に危機が迫ると、それはもう大変な有様だった。ようやく真希や狗巻、パンダには慣れたようで、高専の敷地内ではあまり出てくることはなくなった。
 パンダがびしりと真希に指を突きつける。
「それは言わない約束だろ!」
「しゃけ!」
「なんかごめん……」
「オマエが謝ることじゃねえよ」
 真希がパンダの丸い手を掴んで下げさせた。かなり強い力で握ったらしく、パンダが呻く。
「こんぶ」
「……ったく、仕方ねえな、付き合ってやるよ」
「ツナマヨ!」
「では気を取り直して、まずは俺から」
 パンダが咳払いした。
「呪霊を祓った後、いつものように暗い夜道を歩いていると、犬が近づいてきた。どうやら野良犬のようらしい。珍しいなと思いながら保健所に通報しようとスマホを取り出すと――」
「いや保健所やってねえだろ、夜だぞ」
 無言で狗巻がぶんぶんと腕を振った。
「――スマホの光に照らされた犬が『なんだ、人間か』と喋ったんだ! おっさんみたいな顔と声で!」
「……そういう呪霊なんじゃねえの?」
「僕もそう思う……」
「……このネタはだめだな」
「……しゃけ……」
「そもそも普段からパンダが喋ってるのに、今更犬が喋っても驚かねえよ」
「じゃあ次だ次! 次は真希な!」
「は? 私かよ」
「いいから!」
「高菜!」
「怖い話か……そうだ、あれがあったわ」
 真希が座り直した。にやりと笑いながら身をかがめて、小声で話し出す。
 自然と他の面々も身体を乗り出した。
「あれはまだ私が京都にいた時のことだ。私と真依は狭い部屋に押し込められていてな、私物もほとんど許されなかった。真依はそれでもあれこれ揃えてたけど。で、その真依の小物入れがな、修行から戻ってくると、少しだけ動いているんだ」
 いかにも怪談じみてきて、乙骨はごくりと唾を飲み込んだ。
「最初は気のせいだと思っていたけど、箱にかけてある紐の結び目が違うって言うんだ。私たちの部屋をわざわざ掃除しに来る人もいないし、これは何かあるなと踏んでな」
「それで……?」
 場の雰囲気の飲まれたように、乙骨がおそるおそる尋ねる。
「ある日、罠を張ったんだ。部屋を出た後、廊下の先に隠れてさ。部屋に入る奴をとっ捕まえようと思って。そしたらなんと……」
 そこでもったいぶるように真希は言葉を切った。不安定な火が顔に不気味な影を作る。
「……分家筋の男が真依の小物入れをあさって、化粧道具に頬ずりしてたんだ!」
「ぎゃああああ」
「うわああああ」
「おかかあああ」
 三者三様に叫び声を上げた。
 真希は思いっきり笑った。
「呪霊の方がましだよ……」
「しゃけ……」
「思い出させて悪かったな……」
「いいって別に。私はなんともなかったし。その後、真依がすごい勢いで走っていって、そいつのことぶん殴っててさあ。いやあ、あいつもやればできるんだよ」
「その男はどうなったの……?」
「さすがに出禁になったぜ。その後は知らない。まあ、さすがに外面が悪かったんじゃねえの?」
「ていうか怪談話じゃねえなこれ」
「しゃけ」
「ただの変質者の話だったね……」
「よし、次は乙骨な」
「えっ、僕、そんな話なんか知らないよ!」
「考えればなんかあるだろ」
「でも――」
 その時、がらりと食堂の扉が開けられた。
「こら! お前たち! もう寝なさい!」
 夜蛾の怒鳴り声が蝉の音をかき消した。
「やべっ、見つかった」
「逃げろ!」
「あっ里香ちゃんちょっと待って、これは違うから――!」
「馬鹿乙骨、里香は出すなよ!」
「今何時だと思ってるんだ!」
「す、すみません! でも先生、ちょっと静かにしてもらえませんか?」
「うわわ、里香が……!」

 もちろん、高専に逃げ場などない。翌日、全員揃って正座させられたのは言うまでもなかった。

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