恐ろしい眼鏡を作ったことがある。

 実家の古い眼鏡屋を継いで、ごく普通に働いていた。地元客が中心の、商店街の片隅に立つごく普通の眼鏡屋だった。しかし、ある日から〝特別な客〟がつくようになった。
「坊ちゃん、また背が伸びましたか」
「うん」
 客は白い子どもだった。歳の頃は十歳ほどだろうか。髪も肌も白く透き通っているのが日本人としては珍しいが、ただの子どもだった。
 ――その両眼を除いて。
 この世のものとは到底思えない、青く輝く瞳が眩しげに細められる。部屋の採光はあえて抑えられていたが、それでも眩しく感じるらしい。
「また、サングラスが合わなくなった」
 淡々とした、子どもらしくない声だった。声変わり前の高い声なのに、口調は大人びている。どこぞのお屋敷の坊ちゃんなのだが、詳細は知らない。いつも電話ひとつで呼び出され、外の見えない黒塗りの車に乗せられて連れてこられる。隠居した父親からは、深入りするなと念押しされている。
「では、まず視力検査から始めましょうか」
「うん」
 側に控える男性をなるべく視界から追い出しながら、私はいつも通り検査の準備を始めた。
「最近の見え方はどうでしょうか?」
「前よりよく見える」
 片目を隠してじっと座ったまま、白い子どもは答えた。
 板張りの床にカーペットが敷かれ、その上に椅子が置かれている。壁には、私が依頼されて手配した視力検査表が貼られている。ここは、この子どものために検査室へと改装された部屋だ。店に連れてくればいいものを、わざわざ屋敷の一角にこんな部屋をしつらえた。その真意を問うなんて危ない真似をするほど愚かではない。
「よく見える……そうですか」
 不思議な答えにもだんだん慣れてきた。この坊ちゃんは異常に目が良いのが悩みなのだ。見えすぎるせいで眼精疲労になるのか、依頼される眼鏡――より正確に言えばサングラスだが――は、可視光線透過率が市販のものより低い。単に視力が良いというよりは、光に対して過敏なようだ。通常の視力検査では異常は見つからない。何度試しても同じだった。それでも、子どもが実際に〝見える〟ものは視力検査以上の範囲に及ぶ。たとえば、自分の背後とか。
「度は……今回も要りませんね。乱視もありません。光の具合はどうです?」
「明るすぎる」
 子どもは遮眼子を下ろし、淡々と答えた。輝く青い瞳が私を見上げた。
 吸い込まれそうな不思議な光を放つその瞳を直視しないように、不躾にならない程度に目を逸らしながら、私は試着用のフレームとレンズを取り出した。驚きつつも、やはり、という気持ちが強かった。この子どもは〝何か〟を持っている。きっと、私が一生知らないでいるような何かを。
「これでも市販のものよりだいぶ下げたのですが……今日はこれを試してみましょう」
 そう言って、私は特注の黒いレンズをフレームに差し込んだ。

 無事にレンズを決め、いくつか見繕って持って行ったフレームを選んでもらい、そうしたら私の仕事はひとまず終了だ。
 来た時と同じように、外の見えない高級車で店まで送られる。専属の運転手は腕が上手く、車の振動も少ない。曲がり角を数えるのは早々に諦めた。一緒に座っている男は何も話さない。そう躾けられているのだろう。
 重苦しい沈黙だけが支配する車から降りたのは、一時間ほど経った頃だろうか。時計も外すように指示されているため、正確な時間はわからない。というより、わざと遠回りされているような気さえする。用心深いことだ。
「眼鏡は二週間後に仕上がります。いつも通り、佐藤様が取りにいらっしゃいますか?」
「はい」
「お支払いも前回と同じく、振り込みになさいます?」
「それでお願いいたします」
 子どもと同じく、淡々と話す男だった。あの家の人間は皆こうなのだろうか。
 店の奥から隠居した父が出てくる。
「いつもお世話になっております」
「こちらこそ、ご贔屓にしていただいて」
 父が一礼する。
 使いの男も礼を返し、そのまま去っていった。
 ほっ、と息をついた。どっと疲労感が襲ってきて、椅子に座り込む。
「大丈夫だったか」
「まあ、なんとか」
 力なく答え、私は目頭を揉んだ。あの屋敷は息が詰まる。一挙手一投足を監視されているような感覚だ。そこで生まれ、育てられるあの子どもにとってはいかほどか。
「詮索はするな」
「わかってる」
 しつこいほど念押しする父の気持ちも理解できなくはない。あの家は、明らかに〝普通〟ではない。子どもを監視しながらも、子どもに傅(かしず)いている。私は子どもの年齢さえ教えてもらっていない。果たしてあの子は学校に通っているのだろうか。

「もっと、ですか」
「ええ、明るすぎると、坊ちゃまが」
 私が首を傾げながら尋ね返すと、側に立つ男性は汗を拭きながら首肯した。
 最近、呼び出される間隔が狭まっている気がする。前回レンズを変えてからさほど時間が経っていないのに、私は再び呼び出されようとしていた。
「あれで明るいのですか。かなり外光を抑えているのですが。これ以上、可視光線透過率を上げるとほとんど何も見えなくなりますが……」
「それでいいのです」
 何を、と言いかけて、私は止めた。あの子どもならば、あるいはそうなのかもしれない。あの瞳。何もかも見透かすような、あの瞳なら。
「承知しました。サンプルを作りますから、少しお時間をいただきますがよろしいでしょうか」
「できるだけ早くお願いします」
「できるだけ急ぎますが、何分、特注ですので――」
「ええ、ええ、存じております。料金は構いませんから、早めにお願いいたします」

「今日はこちらをお試しください」
 少し見ないうちに、子どもはまたもや背丈を伸ばしていた。そろそろ成長期に入る頃だろうか。髪や肌、目の色から病弱な印象を受けていたが、そんなことはなく順調に育っている。
 椅子に座った子ども――もはや子どもとは呼べないほど成長した少年の試着用フレームに新しいレンズを差し込んだ。ほとんど真っ黒で、普通の人間がかけたら何も見えない。だが、この坊ちゃんにとっては違ったようだ。
 ほんの少しだけ、血の気の薄い頬が緩む。嬉しそうに部屋中を見渡している。その視線が廊下へ向いた。外光を目に映しても問題なさそうだ。ぱちばちと瞬きする度、髪と同じく色のない睫毛が上下して、レンズにぶつかりそうになる。相変わらず睫毛も長い。鼻パッドも少し調節した方がいいだろう。
「これにして」
「承知しました」
 ほっと胸をなで下ろした。これ以上のレンズは作れない。
「フレームは変えますか?」
「うん」
 頷いた少年にフレームを収めたケースを差し出す。身体と同じようにひょろひょろと伸びた細い指がフレームをつまんだ。今までと違う、丸い形のフレームだ。
「春から高専に入るから、違う形にしたい」
「そうなんですか。おめでとうございます」
「……ようやく家から出られる」
 細い指がフレームを撫でる。独り言めいた言葉は、聞かなかったことにした。
「それでは、こちらのフレームとレンズでお作りいたします。二週間ほどで仕上がりますので」
「うん。待ってる。早くして」
 初めて、少年に急かされた。いつも自己主張せずにおとなしくして、フレーム選びだって側の大人に任せきりにしていた子どもだったのに、どこか弾むような声だ。
 ほとんど見えなくなるようなサングラスを心待ちにしていることに、心が痛む。新生活を楽しみにするのはおかしなことではないが、それに伴うのがこんなレンズとは。こんな代物をかけて、一体何を見るというのか。
「では、本日はこれで――」
 側に控えていた使用人に言われ、少年はすうっと表情を消した。背を押されるように、追い立てられるように部屋を出る少年が、振り返って私へ視線を投げる。室内でもサングラスを外さない、あの瞳が私を見ている。ほとんど何も見えていないはずの眼が、確かに私を射貫いた。
 ――怖気が走った。
「新しいサングラス、早く持ってきてよ」
「坊ちゃま」
 咎めるような声に、少年は前を向いた。そのまま二度と振り返らなかった。
 ――あの子どもは、視界を閉ざさなければあの家を出られないのだろう。
 帰りの車の中で、そんなことを考える。サングラスをかけて、真っ暗な中生活する。それでも、あの少年は何も感じないのだろう。何を見て、何に心を動かし、何を感じて生きているのだろう。真っ暗闇でひとりきりで、狂うこともなく。
 寒気がして、腕をさすった。初めて、あの少年を心底怖いと思った。

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