僕のクラスメイトには変わった人がいた。
成績はかなりよかった。運動神経も悪くない。だけど、冴えない外見(僕にこれを言う権利はないけど)と、何より人を寄せつけないような態度のせいで、いつも一人でいた。
長い前髪が目元を隠して、表情はよく見えない。話しかければ答えてくれるが、最低限の会話しかしない。自分から話しかけることはめったになく、声もなんだかぼそぼそして聞き取りにくい。背は高い方だが、ひょろひょろと伸びただけという感じで、格好良さとは無縁だ。必然的に女子の一部からはキモがられていた。男子とも親しいわけではなく、なんというか、率直に言って、クラスで孤立していた。ここまでは、よくあることだと思う。
でも、それに加えてもうひとつ。彼は時々、猫みたいに何もない宙を見つめる癖がある。はっきりといじめられているわけではないが、一部に気味悪がられている原因でもあった。
何故僕がそれほど彼を観察しているかと言うと、校外活動で同じ班になったからだ。地域の文化施設を巡り、レポートを後日提出することになっている。
班分けで仲のいい人同士で固まり、彼があぶれたせいで、怒った先生がくじ引きにした。僕はおとなしく従ったけれど、一部ではくじの交換がこっそり行われていたようだ。
僕も仲良くしている友達がいたが、違う班になってしまった。それは残念だけど、裏取引はちょっと許せない。だいたいにして、他の班は男女三人ずつなのに、この班には五人しかいない。男子は僕たち二人だ。しかも、女子三人のうち、一人はグループからあぶれた子。つまり、この班には意図的に〝はずれ〟が入れられたことになる。
つまるところ、僕は貧乏くじを引いたのだ。
「夏油くん、この自由行動時間なんだけど」
机を寄せて、時間配分を決める。
女子二人組は興味がなさそうに二人だけでお喋りしている。あぶれた方の女子――関さんはおろおろと視線をさまよわせるだけで、既に心が折れそうだった。
先生は教卓で教室を見渡している。うちの班、どう見てもやばいので早く助けてください。
「三時間あるから、この資料館ともう一つ、頑張れば二つ行けるんだけど、行きたいとこある?」
「……特にない」
夏油くんが答えた。視線は合わない。夏油くんは人と話す時、目を合わせないのだ。
「あ、あの、私、■■神社に行きたい」
おずおずと関さんが言った。
「根本さんと笠井さんもいい?」
「どこでもいいよ」
「夏油くんもいいよね」
夏油くんはかすかに頷いた。と思う。とりあえず決めなければいけないから、そういうことにする。根本さんと笠井さんは興味なし。希望を言ってくれるだけ、関さんの方がましだ。
緊張で肩が凝ったのか、関さんが肩に手をやった。
夏油くんは黙ったまま、関さんの肩の辺りを見つめている。
僕は非常に不安になった。こんな調子で、当日は大丈夫だろうか。
時間は無情に過ぎ、あっという間に当日。
まず、みんなで大きな博物館へ行く。平日だから僕たちの学校以外に人はほとんどいなかった。そこで昼食を摂り、午後は自由行動だ。
「まず資料館だけど」
僕は地図を見た。社会の授業の一環だから、それぞれで地図を読んで目的地へたどり着くことも求められている。
「資料館はこの道をまっすぐ行って、二つ目の曲がり角を左、それからこの通りを――」
「ちょっと遠くない?」
「歩くのだるい」
根本さんと笠井さんが口々に言った。
「あ、あの……神社も行くから早く行った方がいいんじゃない……かな」
「別にうちらは神社行かなくてもいいけど」
「でも……最低でも二つ行かないといけないし……」
じろりと笠井さんに睨まれて、関さんは言葉を途切れさせた。首の付け根に手をやっている。
無関心そうに道の先を見つめていた夏油くんがさっさと歩き始めた。
「あ、ちょっと待ってよ夏油くん」
慌てて僕は追いかけた。その後ろから関さん、だるそうな態度を隠しもしない根本さんと笠井さんが続く。
夏油くんは地図を頭に入れていたのか、迷わず道を進んでいく。
一〇分ほど歩いただろうか、僕たちは資料館に着いた。
「じゃあ、お金出して」
「おつりある?」
「ぴったり持ってこいって言われたじゃん」
僕が呆れながら言うと、根本さんが不機嫌そうに僕を睨みつけた。勘弁してほしい。
そんなわけで軽く一悶着ありつつ、僕たちは入館した。
中は暗かった。ちょうど夜の時間に当たったらしい。この資料館は江戸時代の庶民の生活を再現している。特徴的なのは、照明も一日を再現していて、明るくなったり暗くなったりすることだ。ここもさっきの博物館と同じで人がほとんどいない。
「じゃあ出口で、三時半に集合にしよう」
関さんだけが頷いてくれた。
あまり離れすぎないようにしたいのだが、夏油くんはさっさと一人で行ってしまった。
まあ、集合時間があるから大丈夫だろう。しおりにもしっかり、資料館を出る時間を書き込んでいる。余計な気を回し続けて、僕は疲れていた。僕だってこんな風に振る舞うのが得意なわけではない。やる人間がいないから仕方なくやっているのだ。もはや関さんだけが救いだった。というか関さん、人見知りなだけで別に普通の子だった。
関さんと時折ぽつぽつと話しながら、展示を見て回る。
人形と長屋は結構よくできていて面白かった。なんと言っても照明だ。二〇分間隔で日が暮れ、夜になり、また朝が来る。
展示の最後にさしかかったところで、夏油くんの背中を見つけた。それから、夏油くんと並んでいる大人の男性。夏なのに、黒っぽい長袖を着ている。室内なのにサングラスをかけっぱなしだ。真っ昼間から大人がこんなところにいるのも変だった。
疑問に思いつつ、二人の隣で展示を見ていた時だ。
「その制服、■■中学?」
突然話しかけられた。
「はい、そうですけど」
「そっかー。いや俺ね、●●中学卒業なんだよ。知ってる?」
「あ、はい」
「懐かしいなあ」
男の人が顔をほころばせた。どうやら隣の学区域の中学出身らしい。サラリーマンをやっているようには見えないが、大学生と言うほど若くもない。何の仕事をしているのだろう。
夏油くんといえば、こちらをちらりと見たきり、黙っている。
男の人の視線が僕から関さんへ流れた。
「ところで君、最近肩が凝るんじゃない?」
「え……はい、そうですけど……」
関さんが警戒するように一歩下がった。不審に思うのも当然だ。初対面の人間に対する言葉ではない。
「ああ、ごめんね。驚かせるつもりはなかったんだよ」
男の人が手を振った。そのまますっと手を伸ばし、関さんの背後で何かを掴むような動作をした。――そうとしか形容しようがなかった。
背後で、夏油くんがはっと息を呑んだ。
「……?」
関さんが疑問符を顔に浮かべた。
僕にもなんだかよくわからなかった。
「じゃ、俺はこれから仕事だからさ。頑張って勉強するんだよ」
ひらひらと手を振り、男の人は出口へ歩いていった。
「何なんだろ、あの人」
「変な人だったね」
関さんも僕に同意する。
「あれ」
関さんが不思議そうに声を上げた。
「どうかした?」
「最近肩凝っていたんだけど、なんかいきなり軽くなった」
「ふうん。そんなこともあるんだ」
僕が生返事している横で、夏油くんだけが出口の方を見つめていた。
「あの人、●●中学って言ってた?」
夏油くんに話しかけられているということに、少しの間気がつかなかった。
「……確かそう言ってたけど」
「そう」
夏油くんが笑った。
――初めて見た。たぶん、夏油くんの笑った顔をクラスの中で見たのは僕が初めてだっただろう。相変わらず目元はよく見えないが、唇の端が上がっているのが見えた。
夏油くんが男の人の去っていった方向を見つめた。その視線は、どこか熱っぽいような気がした。