今年の一年生は逸材揃いだった。
 五条家の坊ちゃんを筆頭に(そもそも御三家の人間が入学すること自体が異例なのに嫡男と来た)、珍しい反転術式の持ち主、そしてこれまた希少な呪霊操術の遣い手。
 呪術関連の授業は夜蛾先生が担当しているが、一般教科は教員免許持ちの補助監督が受け持つことになっている。と言っても、呪術師の養成が目的なだけあり、そこまで厳しく成績を問うわけではない。宿題も少なめだ。担任に当たるのも夜蛾先生だから、教師としては世間一般より楽だろう。
 毎年癖の強い学生が入ってくるが、それなりになんとかなっていた。
 ――しかし。
 今年の学生たちは並外れて問題児でもあった。

 端的に言って、とても頭が痛い。
「ここの先生なのにそんなことも知らないわけ?」
 蔑むような――実際、蔑まれているのだが――視線で、サングラスをかけた生徒が言った。
 白い髪に白い肌。眼の色はまだ直接見たことはないが、登録上は青色。先天性の眼皮膚白皮症を疑うような色彩だが、健康優良児そのものである。日光に弱いということもない。体格にも恵まれており、まだ筋肉が追いついていない部分はあるにせよ、かなり大柄になるだろう。体力勝負の呪術師としては、これも才能のうちだ。
 五条家の坊ちゃんは、ありとあらゆる才に恵まれている。
「ちょっと悟、先生に失礼だよ」
 長い髪をお団子にまとめた、不良そのものの外見をしたもう一人の男子が言う。彼もまた同年代の子より背が高い。大きな手のひらを見るに、もっと伸びるのは間違いない。
「はあ?」
 サングラスの下から睨めつけるように、五条の坊ちゃんが凄んだ。
「何」
 さっきまで坊ちゃんを宥めていたはずの夏油くんが喧嘩腰で答えた。坊ちゃんに比べれば先生の言うことをよく聞く優等生だが、年相応に喧嘩っ早い。だいたい、坊ちゃんが喧嘩を吹っかけては夏油くんが我慢できずに喧嘩を買っている。
 この二人、仲がいいのか悪いのか、さっぱりわからない。入学早々に一悶着起こして夜蛾先生の拳骨を食らったのは、まだ記憶に新しい。
 紅一点の家入さんは、素知らぬ顔で教科書に落書きを始めた。あまりにも図太くて涙が出そうになる。こういう時、家入さんは絶対に二人を取りなしたりしないのだ。
 こうなったきっかけは、私の発言だった。
「五条くん、いつもノートを取っていませんけど、もしかして筆箱がないんですか?」
 ただそれだけである。

 五条家の坊ちゃん――五条悟は、授業中にノートを取らない。
 他の教科を担当する補助監督にも確認したが、すべての授業においてノートを取らない。かろうじて教科書は広げているが、筆記具すら持ち歩いていない。
 授業を聞いていないかと思えば(悲しいことだが、その手の生徒は少なくない。呪術師としての強さと一般教科の成績はあまり関係がないからだ)、質問するときちんと答えられる。理解も早く、とりわけ数学は術式と関わるからなのか、打てば響くような速度で返ってくる。
 それゆえに、どうしても疑問だった。
「中学はどうしてたんだ」
「行ってないけど」
 五条くんが何でもないことのように言った。
 五条家の闇が唐突に暴露された。虐待では?
「卒業証書の提出が必要だったはずだけど……」
 夏油くんが唖然としている。こちらは一般家庭出身のスカウト枠。無理はない。
 いや、私も大変驚いているが、それとなく夜蛾先生から聞かされていたので、平静な顔を取り繕っている。
「別に登校しなくてももらえるでしょ、義務教育だから」
「あ、ずるい。私もそれがよかった」
 家入さんが手を止めた。髭を描き足されたエリザベス一世が手元に見えた。生徒数たった三人で、教師を目の前にしてこの所業である。心臓に毛が生えているのでは?
「学校来たの初めてなんだよね。意外といいとこじゃん。もっと爺にごねて、せめて中学は行けばよかった」
 おっと五条くん、小学校も行っていないらしい。さすが五条家の嫡男だ。監禁では?
「普通の学校とここは結構違うよ」
 怒りを削がれた夏油くんが、可哀想なものを見るような目を五条くんに向けた。
「普通、授業を聞きながら板書をノートに書き写したりするんだよ」
「それ、必要? 全部覚えればいいじゃん」
「そんな気はしてたけど、悟、全部暗記してるんだね……」
 天は何物を与えるつもりだろう。なんて羨ま――いや、素晴らしい生徒だろうか。教師のことをろくに聞かないで居眠りするより、よほど真面目に授業を受けているではないか。
 雰囲気に流されそうになったが、私は気を取り直した。ただノートを取らないだけではなく、五条くんにはそれと関連して別の由々しき問題がある。
「では今日、小テストをすると伝えたはずですが、何か書くものはないんですか?」
 そう、五条くんは手ぶらで教室に現れたのだ。教科書を置いてきたのはまだ理解できるが、筆記具が一切ないのはおかしい。
「それ、受けないとだめなの」
 五条くんは非常に嫌そうな顔をした。まるで私が間違っているかのような態度だ。いやおかしなことを言っているのは君だからね?
「テストバックれるの? 勇気あるー」
 笑いながら家入さんが教科書を閉じた。あなたも大概ですよ。
「先生、家系枠じゃないでしょ」
 だらりと頬杖をついて五条くんがつまらなさそうに言う。
「あのさあ、先生みたいな呪力量の人にはわかんないだろうけど、強い呪術師って文字にも呪力が残るわけ」
 初耳だ。確かに私は高専に勤めて数年の若輩者だが、そんな話は寡聞にして知らない。
「強い呪術師は気軽に手書きなんかしちゃだめなんだよ。残った呪力を利用されるから」
「――そうだったんですね。ごめんなさい、知りませんでした」
 五条くんがため息をついた。頬杖を崩し、机の上で腕を組んで頬を乗せる。
 サングラスがずれて、瞳が見えた。銀河を思わせるような、深い青の瞳。
「だからうちじゃ代筆屋を雇ってたし、俺は手書きとかめったにしないわけ」
 代筆屋とは恐れ入る。もしかして、一、二世紀ほど前を生きているのだろうか。とにもかくにも恐ろしいほどの財力である。
「じゃあそういうことだから。俺寝てていい?」
「いいわけないだろ」
 夏油くんが五条くんの頭をはたいた。
「いてっ」
「悟、実は字が書けないだけなんじゃないか?」
「はあ? 何言ってんの? 書けるに決まってるじゃん」
 わざと挑発する夏油くんに、五条くんはあっさり乗った。
「とか言って、本当は字が汚いんじゃないか? それが恥ずかしいんじゃないか?」
「クソ爺の教育舐めんなよ。めっちゃ習字やらされたわ。俺すげー字綺麗だから。全部燃やしたけど」
「――君がどんなに強い呪術師であるとしても」
 私は息を吸った。
「ここではただの学生です。テストは受けてください。特別扱いは許しません」
 五条くんが口を閉じて、私を見つめた。
 夏油くんからの尊敬の視線がこそばゆい。
「もちろん、答案用紙は採点後、君に燃やしてもらいます。それでいいですね?」
 五条くんはしぶしぶ頷いた。
「……このまま小テストなくなればよかったのに」
「家入さん、聞こえてますよ」

 五条くんに部屋に筆記具を取りに行かせ、無事小テストは行うことができた。
 五条くんが持ってきたのが高級万年筆だったことが更なる波紋を広げたが(想像通りだが、御三家の財力を垣間見てしまった)、ひとまず字を書かせることはできた。
 答案用紙を三人分回収し、端を揃える。回答欄はちゃんと埋まっているようだ。五条くんも回答をきちんと書き込んでいる。
 ――しかし。
「あのですね」
 私は努めて勤めて冷静に言った。今度こそ泣いてしまいそうだった。
「草書体はやめていただけますか……?」

 夏油くんと家入さんが笑いすぎて授業にならないと、次の科目の先生に苦言を呈されたが、私は悪くないと思う。

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