「随分減りましたね」
「ああ……仕方ないことだが」
 職員室で書類を整理しながら、夜蛾は答えた。
「今年はひどかったですからね……」
「例年より呪霊が強かったような気がします。五条くんがいるからでしょうか」
「在学中に特級認定されたのは初めてでしたっけ?」
「何から何まで規格外だよ、あいつは」
「本当に。入学してきた時はどうなることかと」
「そういえば五条家の方はどうなんです?」
「それがちょっと……」
「そっちも大変ですね」
 一般教科担当の補助監督たちと、愚痴みたいにそんな話をしていた。
 稀に見る混乱の最中だった。
 ただでさえ万年人手不足なのに、期待されていた学生の一人が呪詛師に堕ちた。二年生の片方は殉職し、もう一人は辞めると言う。
 稀に見る逸材たちは、稀に見る惨状を呈している。
「……期待をかけすぎたのかもしれない」
「そんなこと……」
「でも、六眼と無下限ですよ? 夏油くんだって」
 その名を口にした補助監督ははっと息を呑み、口をつぐんで上目遣いに夜蛾の様子を窺った。
「……俺では役不足だったんだ」
 夜蛾は気づかなかった振りをして書類に目を落とし、自嘲した。特級の二人は呪術師として規格外に強かったが、精神はまだ成熟しきっていなかった。自分にはそれを正しく導いてやることができなかった。
 重苦しい沈黙が降りた。
 入学書類、成績一覧。学生たちの書類をめくっていた手が止まる。氷の彫像のような無表情でこちらを見つめる裸眼の五条。いかにも優等生ぶって、まだ髪が短かった夏油。証明写真なのに笑顔の灰原、中学生とは思えないほど大人びていかめしい顔つきの七海。唯一、家入は変わらない。彼女は何も変わらない。
 七海は一般の教育機関へ編入が決まっている。死亡、追放された学生の分と合わせて、この書類はもうすぐ棚の奥へ仕舞い込まれる定めだ。
 送り出した学生が死ぬことは、残念ながら珍しくない。脱落してゆく仲間たちを省みることなく、無限に続くような夜を走り続けなければならない。夜蛾たちは、そういう世界で生きている。誰がいつ死ぬかなんて誰にもわからない。強ければ生き残るわけでもなく、すべては運任せだ。
 いつだって後悔が追いかけてくる。
 呪術師であることと、教師であること。時に両立は難しい。どちらかを優先しなければならない瞬間が来る。
 ――本当に、このまま教師を続けていいのだろうか。まともに学生を導いてやれないのに。
 夏油が何か迷っている素振りに勘づいていたのに、時間が解決するだろうと、忙しさにかまけて放っておいた。あいつなら大丈夫だと、涼しげな顔の下に押し込めた苦悩を軽んじた。
 友人を喪い、みるみる憔悴していく学生を掬い上げることができなかった。
 術式に見合わない、未熟な精神を正しく育むことができなかった。
 ――何もできなかった。
 書類の中に切り取られた過去が、無言で夜蛾を見つめている。

「俺、教師になる」
 傲岸不遜を絵に描いたような学生の一人が――残された片割れが、〝最強〟を冠する呪術師が、硬い面持ちでそう言った。
 もうその頃には、五条はサングラスを外すことも少なくなっていた。サングラス越しでもわかるような豊かな――いっそ過剰な――表情は、片割れが出奔した時から消え去ってしまっていた。
「……オマエが?」
 ようやく言えた一言は生徒を疑うようで、教師としてふさわしい言葉ではなかっただろう。だが、取り繕う余裕もなかった。
「向いてないって思ってるんでしょ。わかってるよ。でもやるから、俺」
 五条が顎を上げて、傲慢なまでに宣言した。どれだけ進路を変えようともぶれない芯の強さを見せつけるように。
 どういう心境の変化か、などと聞く必要もない。わかりきっていることだ。夏油が呪詛師に堕ちてからというもの、ここはずっと通夜のようだった。
 そんな中で、前に進もうとする心意気を応援しないわけにはいかない。
 ――このままではいけないと、五条に気づかせたのが自分ではないことに忸怩たる思いがないわけではなかった。こうなる前に正しく導いてやるのが、自分の役割だった。
 結局、子ども――と呼ぶには背丈がありすぎるが――は勝手に育つのだろう。
「オマエはやると言ったら聞かないからな」
「よくわかってるじゃん」
 相変わらず口の利き方がなっていない。
 ――だが。この結末でなければ、五条も教師になろうなどと言い出すことはなかっただろう。
 特級呪術師二人が肩を並べて、後輩たちもそれに負けず劣らずの活躍ぶりを見せる――そういう絵空事を粉々に打ち砕かれても、後悔が手を伸ばして足を掴むのを振り切って、五条は一人で立ち上がった。
 であれば、自分の為すべきことは明白だ。
「まずは、忍耐強さと協調性を身につけないとな。オマエにとっては他のすべての呪術師が弱く見えるだろうが、生徒はその比じゃない。呪力のコントロールや術式ばかり教えればいいわけでもない。学生はな、まだ子どもなんだ。何よりも、精神面を鍛えなきゃならない。簡単じゃないぞ」
「――知ってる」
 どこか神妙な顔で言うのに、少しばかり夜蛾は安堵した。

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