眠気がやってこない。
真依はベッドから起き上がった。身体は疲れているはずなのに、どうにも眠れない。原因はわかっている。部屋に一人でいるからだ。今までずっと双子の姉と同じ部屋で生活していたから、一人で眠ることにまだ慣れない。
人の気配が少ない場所にいるのも落ち着かない。高専と違って、実家は広い屋敷の中に多くの親類縁者がいた。いつでも見られている窮屈な感覚も、ここでは薄い。
――勝手に一人で出ていった姉。一方的に置いていかれたから、真依もこんなところまで来てしまった。
眠れないから、部屋を抜け出した。一応、消灯時間は定められているが、ほとんど形骸化している。全寮制といえども校則はかなり緩い。そもそも任務で夜に駆り出されることも珍しくないからだ。
人気のない廊下を歩いていると、目指す場所から明かりが漏れている。
――誰かが電気を消し忘れたのだろうか。
真依が食堂に入ってみれば、
「あれ、真依も起きてたんですか?」
「それはこっちの台詞よ」
鍋を火にかけている、同級生の三輪がいた。
「ちょうどよかった、今ホットミルク作ったところなんです。飲みます?」
「あら、いいの?」
「はい。家にいる調子で作りすぎちゃって」
気まずそうに笑いながら、三輪が鍋からカップにミルクを注いだ。甘い匂いがして、湯気が立ち上っている。
「ありがとう」
二人で向かい合わせに座った。
一口飲むと、牛乳だけではない甘さを感じた。
「これ、はちみつ?」
「そう。弟たちはこれが好きで、よく作ってたんですよ」
「霞もきょうだいがいるんだったわね」
「弟が二人。もう、うるさくてうるさくて。お母さんが忙しいから、私がよく面倒を見てたんですけど、料理してるとまとわりついてきて」
愚痴みたいな内容なのに、弟を思い出してか、三輪の頬は緩んでいる。経済状況は悪かったと聞くが、それなりに幸せな日々を送っていたようだ。
「仲がいいのね」
羨ましいわ、とは言わなかった。呪術師の家系に生まれたなら、そんなものに一銭の価値もない。そういう価値観の元で生きてきた。
えへへ、と三輪が照れた。
「ちゃんとご飯食べてるかなあ」
寂しそうな声だった。
真依は無言でホットミルクをすすった。
「真依もお姉ちゃんがいるんでしたっけ?」
「双子の姉よ」
「呪術師なんですよね? 一緒に高専に入らなかったんですか?」
無邪気な問いかけだった。詳しく説明しなかった真依のせいでもあるが、一般家庭出身の三輪には、そういう面倒な事情はまだわからないのだろう。
「姉は――一人で東京に出ていったの。東京校。知ってるでしょ」
三輪の表情が目に見えて固まった。
「ごめん……」
「いいのよ。そのうちわかることだから」
思ったより柔らかい口調で話せたことに、真依は自分でも驚いた。
「生まれてからずっと一緒だったから、むしろせいせいしたわ」
嘘ではなかった。一人の空間を持て余しているのは今だけだ。きっとすぐ慣れる。姉なんかいなくたって、真依は生きてゆく。そのつもりで高専に入った。
「ちょっと会ってみたいなあ。双子ってことは顔は似てるんですよね?」
「似てないわよ」
似ていない双子だと言われ続けてきた。身長こそ同じくらいだったが、性格も好きな服装も髪型も、何もかも違う。たぶん、顔つきも。
「まあ、そのうち会うこともあるわよ。狭い業界なんだし」
「そうなんですか? 私、そういうの全然知らなくて」
「これから知っていけばいいのよ」
飲み干したカップに残った熱で両手を温めながら、ぼんやりと三輪は宙を見つめた。
「お姉ちゃんか……いいなあ……」
「別にそんなにいいものじゃないわ」
「でも私、やっぱり上のきょうだいには憧れがあって」
「霞には可愛い弟がいるんでしょ?」
「そりゃあ弟は可愛いですけど、それとこれとは別です!」
ふん、と鼻息荒く三輪が言った。
それがとても可愛らしくて、真依はこっそり笑った。
禪院家のしがらみを知らない三輪の前では、真依も――真希も、ただの学生でいられるような気がした。