拝啓 お父さん、お母さん。これを読んでいるということは、私はもうこの世にはいないでしょう。

「ぎゃははは! ウケる! それはないだろ!」
「これが鉄板だろう?」
「映画で死ぬほど見た! 今更やる奴いる!?」
「お坊ちゃんの割にはそういうのも知ってるんだね。テレビとか絶対見せてもらえなさそうなのに」
「俺が大人しく従うわけないじゃん! 家の連中がいない時にテレビ見てたわ! 平日昼間っから!」
「……悟が意外とテレビっ子なのはわかった」
「じゃあ、俺は何書こうかな」
「あまり先生を困らせるなよ」
「平気平気。何書いてもいいって言ったの、先生だし。だから傑もこんなふざけた遺書書いたんでしょ」
「まあそうだけど」
「お似合いのクズどもだね」
「そういう硝子は何書いたの?」
「何で五条に教えなきゃいけないの?」
「いいじゃん、俺と硝子の仲でしょ」
「たった数週間のクラスメイトで友達面?」
「確かにちょっと馴れ馴れしいね」
「傑、オマエはどっちの味方なんだよ」

               *

「五条さん、次の任務の資料です」
「ああ、ありがと。ちょっと待ってて」
 机の上に紙の束を置いた伊地知におざなりに手を振り、五条は電話を続けた。
「そうそう。今ちょうど人が足りなくて――っていうか、いつも足りないんだけど。ほら、春先の災害。あれ、まだまだ続くでしょ。こっちとしてはその人員も確保しておかないと……はあ? それはそっちでやってくれる? 何で高専(うち)に回すわけ?」
 部屋の隅に控えながら、伊地知は五条の様子を窺った。
 災害が発生すると、それに比して人々のストレスが増す。増したストレスは呪霊を生む。呪霊が心理現象などとして騒がれると、それ自体がストレスを生む。そのサイクルがここのところ途切れないせいで、いつにも増して忙しかった。
「ああ、はいはい。――今何て言った」
 雑に電話に対応していた五条の声が、不意に低くなった。
「僕が知るわけないじゃん。だいたい、今更それ読んでどうするつもり? そういうのは四年前に済ませたでしょ」
 刺々しさの増した声を出しながら、五条が手元のコーヒーに角砂糖を入れた。ぽちゃ、ぽちゃ、と続けて二つ入れる。呆れるほどの甘党だ。
 一、二分程度待っただろうか、五条はようやく電話を切った。
「はいはいお待たせ――って、これ」
 書類を手に取り、五条が束の間、黙り込んだ。
 半ば予想通りの反応だった。伊地知は資料の内容を思い出しつつ尋ねた。
「五条さん、この集落に以前、行ったことがあるんですよね? その時と類似した事件だそうですが」
 閉鎖的な地方の集落での不審死。最初に捜査に当たった県警は事故と判断したが、死体の損壊が激しいことから高専まで情報が回された。
 遺体の写真も資料に添付したが、見るに堪えない有様だ。様々な外傷で激しく損傷している。中でも顔は、片目を潰されているせいで、身元の特定に時間がかかった。きわめつけは、まるで上半身を大きな手に掴まれて腰でねじ切られたような、不可解な傷。十中八九、人の手によるものではない。
 これは呪霊による事件だ。しかも、二度目の。
 資料をぱらぱらとめくった五条がぼやいた。
「あるけどさあ。ここの呪霊、ちゃんと祓ったよ?」
「ですが、また同じ事例が発生したそうです」
 伊地知は汗で滑る眼鏡を押し上げた。資料を反芻する。
 五年前の二〇〇六年にも一度、同じ事件があった。呪霊による連続殺人事件だ。遺体の損壊具合も同じ。当時、対処に当たったのは五条悟と夏油傑だった。高専二年生だった二人が呪霊を祓い、事件は解決した。
 ――それが今になって、再び同じ事件を起こしている。呪霊は消え去ったはずなのに。
「それはおかしいな。ちゃんと潰してきたはずなのに。類似の呪霊が新たに発生したってこと? こんな短期間で? それとも祓いきれなかったなんてことは――いや、もしかして再発するとすれば……」
「そのあたりも含めて、五条さんに依頼です」
 五条は資料から顔を上げた。黒い布に遮られた視線が壁に貼られたカレンダーを撫でる。
「じゃなきゃ、この僕にこんな程度の依頼を回すわけないし」
「仰る通りで……」
「まあいいや。伊地知、車の用意しといて。明日出発するから」
「明日ですか? 明日は午前一〇時から会議が――」
 言いかけた伊地知を遮り、五条は軽く手を振った。
「あれね、欠席するって伝えといて。どうせクソ爺どもの顔を眺めるだけでしょ。時間の無駄」
「……わかりました」
 五条は一度言い出したら聞かない。そもそも、会議をすっぽかすのもそう珍しいことではない。
 きりきりと痛み出した胃を押さえ、伊地知は一礼した。お歴々に欠席の連絡をするこちらの身にもなってほしい。とはいえ、会議よりも任務を優先する気持ちは理解できる。理解できるが、少しは伊地知の胃の心配もしてほしい。
 重いため息をついて、伊地知はドアノブに手をかけた。
 ドアを閉める時に見えた五条は、珍しく目隠しの布をほどいていた。

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