五条悟の死体は髪の毛一本に至るまで燃やしてください。形見は残さないでください。次の当主は勝手に決めて構いません。家の金や呪具も好きにしてください。でも、これだけは守ってください。でないと呪います。

「悟はなんて書いた?」
「ほら」
「…………これ、私が読んでよかったのかな」
「別にいいよ」
「……なんていうか、大変なんだね……?」
「退屈な家だよ」
「……」
「五条、オマエほんとクズだな。夏油のそういう顔が見たかっただけでしょ」
「だって新鮮じゃん。こんな反応してくれるの」
「……悪趣味だね」
「俺の趣味が良いわけないでしょ」

               *

「しっかしこの町、寂(さび)れてるな」
「失礼なことを言うなよ、悟」
「傑もそう思わねえ?」
「それはまあ……」
 かろうじて舗装された道で、夏油と五条は地図を片手に蛇行した坂を下っていた。
 とある地方の集落である。街の中心部から少し離れた、山間の集落だ。公共の移動手段は二時間に一本のバスだけ。収穫の終わった田畑と林の合間にぽつぽつと人家が建っている。過疎化が進み、呆れるほど人がいない。来る途中で、朽ちかけている家屋や耕作放棄されたらしき土地も見えた。
 当然、民宿などもなく、住民の空いている部屋を一室借りることになっている。補助監督の長(なが)久(く)保(ぼ)はその宿主へ挨拶に行っている。よって、二人で下見を兼ねたブリーフィングタイムというわけだった。
「何だっけ、住民が呪い殺されるって?」
「資料にはそう書いてあるね。二人死者が出て怪しいって、高専に依頼が来たらしい」
 まだしょぼしょぼする目をしばたきながら、夏油は資料を広げた。隣から資料を覗き込む五条もあくびをかみ殺している。
 時間がなく、慌ただしく出立した後、車内で資料を渡されたのだった。昨晩も任務が入っていたせいで、二人してうっかり車内で眠ってしまい、資料に目を通す時間がなかった。
「ところで悟、身体の調子はどうなの」
「めちゃくちゃ眠い」
「これから任務だよ」
「傑も人のこと言えるの?」
「いや……そうじゃなくて」
 顔を上げた五条が首を傾げた。
「ああ、甚爾の傷はもう治った。見る?」
 五条は制服の襟首を引っ張った。
 軽く夏油が首を伸ばして覗き込めば、確かに傷口は塞がっている。習得したばかりの反転術式のせいか、うっすらと傷跡が見える。
 夏の事件以降、五条は目に見えて強くなった。反転術式を会得したのを皮切りに、どんどん術式が強くなっているのを隣で感じる。その一方で、はた迷惑な我が儘(まま)っぷりも健在だった。むしろ強くなったせいで誰も手がつけられない。それこそ、五条に注意できるのは夜蛾と夏油くらいだ。
 サングラスの隙間から、青い瞳が不思議そうに夏油を見つめている。人一倍豊かな感情を浮かべるその瞳が冷たく凍りつく瞬間を、夏油は見てしまった。
 ――あの、理子の死体を抱いた無機質な無表情が、脳裏から離れない。
 入学直後にはたまに見せていた顔だ。もうずいぶんと見なくなっていたから、すっかり忘れていた。
 頭を振って、夏油は眠気と同時にその光景を追い出した。
「呪い殺されたとわかってるってことは、死体があるはずだけど。被害者の写真は……ないか」
 未成年だからと配慮されたのか、写真はないが、死体の損傷の程度が詳しく記されている。二人とも擦り傷、骨折、内臓損傷があるが、致命傷は上半身をねじ切られたせいだ。
「他に特筆すべき傷は……片目を潰されている」
「二人とも? 右目? 左目?」
「二人とも右目だね」
「目に執着がある呪霊? 知能高そうだな」
「一級だからそれなりなんだろうね」
「一級一匹程度なら一人でも大丈夫だけど」
「万が一を考慮して、だろう」
 ちくりと胸を刺す痛みを無視し、夏油は資料を読み進めた。
 いずれも深夜に同じ場所で殺されている。殺人現場は集落の山の中にある川。足を滑らせて山の斜面を滑落し、川に落ちたと見られている。被害者の一人目は三(み)藤(ふじ)祥一郎(しよういちろう)。五一歳、男性。二人目は岡上(おかうえ)秋江(あきえ)。四三歳、女性。二人は兄妹だった。
「兄妹なのは偶然か? 見たところ同じ場所で死んでるみたいだけど。特定の場所に特定の時間に足を踏み入れると襲いかかるタイプかな? 傷口から見て、結構形式にこだわりがあるみたいだし」
「場所の制約があるのは間違いないな……あー、だから呪いね。こういう田舎には多いんだよな、その手の奴」
 五条が髪を掻き上げて山の方に顔を向けた。
「なんか後ろに書いてない?」
「どこ?」
 ほら、と五条が資料の付録を指さした。補助監督や〝窓〟による、地域の心霊現象に関連した事前調査の結果が記されている。心霊スポットは呪霊が発生しやすいため、必ずそういった噂がないか調査が行われる。
「最近できた心霊スポットじゃないとすれば、村の伝承が付きものなんだよ、こういうの」
 夏油はその部分を読み上げた。
「――昔、山に住む化け物が村に悪さをしていた。田畑を荒らし、年頃の娘を攫っては喰う。とうとう捧げる娘が最後の一人になってしまい、困り果てた村人は、〝お社様〟に乞い願い、化け物を退治してもらった。感謝の証(あかし)として、毎年祭りを行い、〝お社様〟に捧げ物をするようになった。……いかにもって感じだな」
「今回の件、住民の間ではその化け物の仕業ってことになってるんだろうけど――」
「――化け物というのは呪霊だろうね。こんな被害を出す呪霊を生み出すってことは、集落で何か大きな問題が起きていると見るべきか」
「こんな狭い場所じゃ、人間関係もすぐ煮詰まる」
 ふん、と五条が鼻を鳴らした。
 神も化け物も等しく呪霊だ。人の負の感情と恐れが作り上げ、人の信仰と畏れが作り上げた存在。どちらにせよ、害を為すなら祓うまでだ。
「高専に通報したのは――この集落の人間の知り合いがたまたま〝窓〟だったのか」
「運が良かったな。いや、悪かったのかも」
「悪いってことはないだろう」
「どうだかね。こんな村、滅びてしまえって思ってるかもしれないじゃん?」
 そこまで話したところで、坂が終わった。山の麓に色の剥げた鳥居がある。
「なるほど、ここが村を救った〝お社様〟を祀る神社というわけだ」
 鬱蒼と茂る木々が鳥居に被さっている。参道は薄暗い森の中へ伸びていて、先は見通せない。伝承が残っている割には、手入れする人手も足りないようだ。いかにも限界集落らしい。
「化け物と〝お社様〟の由来は書いてある?」
「いや、何にも書いてない」
「そこまではわからなかったか。後で住民に聞き込みかな」
「ええ、そういう時のための補助監督と〝窓〟でしょ。この伝承だって前から把握してたんじゃないの」
 高専は有名な心霊スポットなどをリスト化し、定期的に巡回している。それが今になって話が上がってきたということは、この集落に何か異変があったということだ。
 ――呪霊は人の負の感情から生まれる。人なくして呪霊は生まれない。
「悟はもう少し、忍耐という言葉を覚えた方がいいんじゃないか」
「そんなの俺に必要ないね。だいたい、この森の中に入ればわかる」
 五条がサングラスを押し下げて、目を眇めた。
 うっすらと漂う残穢に、夏油も気を引き締める。
「どう見てもここが、本拠地だ」

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