私が死んだら、棺に煙草を一カートン入れておいてください。

「硝子、それはない」
「ないな」
「オマエらと比べたらだいぶましだと思うんだけど。一カートンだけにしたし」
「いやいや。自重するところ、そこなの?」
「だって硝子、未成年だよ?」
「それが何?」
「何って……酒と煙草は二十歳からだよね? 私がおかしいの?」
「いや、傑は正しい」
「悟に言われるのはなんか複雑だけど……そうだよね? 私合ってるよね?」
「高校デビューで煙草って、いつの時代だよ」
「だって吸ってみたかったんだもん」
「可愛く言ってもだめ」
「今より健康を害してどうすんの? 呪霊にやられるより先に肺がんになりそう」
「術師がそんなに長生きすると思う?」
「……それもそうか」

               *

「嫌になるほど変わらないね、ここ」
 降り立った場所にため息が出そうだった。ひときわ大きな建物の前で車が止まる。車から降りた五条は周囲を見渡した。
 元から古びた建物は、五年程度の歳月を重ねたくらいではほとんど変化を感じない。
「そう思わない?」
「は、はい……」
「君、資料読んできたよね?」
「は、はい、目は通してあります……」
 運転手代わりの補助監督は、特級呪術師にして五条家当主を前に萎縮して、ろくに返事もできない。
 伊地知がこんな人材を寄越すのは珍しい。
 ――いや、自分相手に物怖じしない人材は今、出払っているのだった。そう割り振ったのは昨日の自分だった。春先の災害のせいで、いつにも増して人手が足りないのだ。
 こんなに人が少ないのに、うっすらと漂う呪力が風景を浮かび上がらせている。サングラスをかけたままでもはっきりと世界を捉えることができる。
「ほーんと、五年経ってもまだ村があるなんて」
 呆れるほど何も変わらない。停滞した時間が空気を淀ませているような錯覚すら生む。
 集落は最後に見た時からその姿を留めていた。隣町と合併してなお、町というよりも村と呼んだ方がいい規模と人口。じりじりと減少する子どもの数。成人した若者は次々と町を出て行き、戻らない。
 昨日聞かされた話のせいか、やけに昔を思い出す。
 ずいぶんと懐かしい話を聞いた。学生時代、学期ごとに遺書を書く決まりだったのをほじくり出されたのだ。特級呪詛師・夏油傑の遺書があるなら、提出せよ――そういう、馬鹿げた要求だった。そんなものを今更読んだところで、何を理解できるのだろう。何を読めば、夏油傑の絶望と失望を理解できるというのだろう。
「僕これでも忙しいんだけどな。一級呪霊くらい他の術師に回してほしいんだけど」
「今手が空いている術師がおらず……五条さんなら問題なく対応できると……」
「僕が優秀すぎるからね」
 どうでもいいことを話しながら、建物から出てきた人に案内され、応接間へ通される。
 湯飲みと茶請けを置いて案内役の女性は退出した。
 出された茶には手をつけず、五条は立ち上がって窓辺へ近寄った。地上を見下ろす。このあたりは比較的、人家が集まっている。
「で? この後は町長に挨拶?」
「はい……今回のお話を詳しく伺うことになっています……」
 通常なら非術師に見つからないように帳を下ろして呪霊祓除に当たるところだが、この町は少々特殊だった。すべてを明かしたわけではないようだが、当時の補助監督が事後処理に当たって、呪術師のことをある程度話しておいたらしい。
「あー、めんどくさ。聞かなくたって呪霊祓ってくれば済む話じゃん」
「で、ですが……今回の呪霊は五年前の再来とも疑われていて……」
「君、資料読んできてないの?」
「よ、読みましたが……」
「前回の呪霊を祓ったのは僕だよ。僕が失敗したって言いたいの?」
「め、滅相もございません」
 深呼吸してわずかに苛立った気持ちを静める。簡単なことだ。感情のコントロールは呪術師にとって基本だ。
 ――この場所が、無駄に五年前を思い出させるのがいけない。
「わかってるならいいよ。で、町長はいつ来るわけ?」
「もうすぐだと思いますが……」
 と、ドアが開いた。
「お待たせして申し訳ありません……!」
 腹の出た男性が汗を拭きながら入ってきた。薄い灰色の髪がかろうじて頭に乗っている。その後ろから先ほど案内してきた女性が入ってきた。
「申し訳ない。ちょっと水路の様子を見ていまして」
「ああ、台風が近いんでしたっけ。農業も大変ですね」
 窓辺から離れ、五条はソファに座った。長い足を組む。
「ええ、自然災害もひどいですから、どこも後継者不足で……」
 男――町長の但野(ただの)が額の汗を拭いた。
「五条くん、五年ぶりですね。お久しぶりです」
「こちらこそ」
「ずいぶんと大人っぽくなって……あ、すいません、つい孫みたいな気持ちになって」
 但野は揉み手をしながら五条をおそるおそる見つめた。愛想笑いから恐れが透けて見える。
 ――孫だなどと、笑わせてくれる。世辞にもなっていない。
「早速だけど、本題に入らせてもらいますよ」
「ああ、はい。例の件ですが……あの、解決してくださるんですよね……?」
「もちろん! 僕が来たからにはもう安心ですよ」
 笑顔を作りながら五条は言った。五年前とは正反対の態度だ。あの時もこれほど素直であれば、あんな顛末にはならなかっただろう。そもそも事件だって起きなかったかもしれない。
 ――人間は醜い。異物を排斥しながら、それが有用だと知れれば掌を返したように急に馴れ馴れしく近寄ってくる。親友が嫌ったのもわからないでもない。割り切ることのできない、不器用な奴だったから。
「被害者は一人でよかったんでしたっけ?」
「それが……」
 言いよどんだ但野がちらりと後ろの女性に目配せした。女性が静かに退席する。
「あの、今朝、もう一人……」
「もう一人?」
「まだ警察の方も見えていないのですが……同じです」
「同じと言うと」
「傷です。右目を抉られて……まるで五年前の時のように……」
「へえ? 面白くなってきたね」
 五条は微笑んで頬杖をついた。
 但野がぎょっとして目を見開いた。
「ああ、すみません。祭りは今でも続けてます?」
「ええ。反対意見もありましたが、やはり伝統行事なので、続けたいという人も多くて。ここらは田んぼが多いですから」
「ふうん。ちょうど今の頃でしたよね」
「はい。準備で忙しいのですが、台風への備えもあってなかなか。若い人も少ないですから」
「いつでしたっけ」
「今週末、明後日です」
「その祭り、見に行ってもいいですか? 五年前の件と関連があるか調べさせてもらいます」
「ええ、ええ。もちろんです」
 絶え間なく噴き出す汗を拭い、但野は引きつった愛想笑いを浮かべた。
「そういえば今朝の被害者の名前、聞いてもいいですか」
「はい、はい。もちろん。今朝亡くなったのは、三藤(みふじ)恭子さんです」
 その名前に、五条は姿勢を直した。

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