私が死んだら、死体は献体に回してください。思う存分、解剖して構いません。

「硝子はそれでいいの?」
「自分の死体に興味はない」
「醒めてるなあ」
「夏油は?」
「私の死体か……呪霊操術って、術師が死んだら呪霊はどうなるんだろう。取り込んだ呪霊に喰われたりするのかな」
「麒麟じゃないんだから」
「麒麟?」
「あれ? 夏油知らない?」
「知らない。何それ」
「じゃあいいや」
「何だよ、気になるじゃないか」
「勝手に調べれば」
「あ、俺知ってる」
「意外だな。小説とか家になさそうなのに」
「学校で流行っててさ、いつも登校しない病弱な五条悟くんへ、ってご親切な同級生が差し入れ代わりに届けてきた」
「よく家に入れたね」
「怪しまれないように、時々そういう奴を表の方に入れてやるんだよ」
「なるほど。その場で捨てられなくてよかったじゃん」
「そん時の女中が俺のこと可哀想とか思ってたんじゃない? その後すぐいなくなったし。余計なことするから」
「待って待って、二人で話を進めないでくれるかな?」
「でも結局、すぐ見つかって取り上げられたからなあ……今度本屋行くか。傑も読めよ。面白いから」

               *

「まあ、結局こうなるんだよね」
「呪霊なんだから、夜が本番だろ」
 二人は神社に向かっていた。まばらな街灯が道を照らしている。月明かりだけでは心許ない。補助監督は置いてきた。現場に連れて行くと足手まといになってかえって危険だからだ。
 人が本能的に恐れる暗闇は、呪霊を増大させる。人は見えないものを怖がる。だから多くの呪霊は夜に出現する。長らく、夜は人の領分ではなかった。電気の光が生まれても、根源的な恐れは消えない。
 山の中は暗い。日中では赤く色づいた葉も見えたが、今はすべてが闇に沈んでいる。
「しっかし、このあたり本当に暗いな」
「じゃあ傑は俺の後ろ歩けば」
「なんで?」
「俺、見えるし」
「こういう時は便利だね、その眼」
「まあね」
 素直に、夏油は迷いない足取りの五条の後ろを歩いた。日の光を必要としない眼は夜道でも迷わない。
「――なあ、傑」
「黙ってて」
 振り向いた五条に囁き、夏油は素知らぬ顔で道を上る。そのまま数分歩いただろうか。
「あの」
 二人の後ろからか細い声がした。
 今気づいたように振り向くと、眼鏡をかけた少女が立っている。夏油たちと年はそう変わらないだろう。胸に届くくらいで切りそろえられた黒髪。ほっそりした体格で簡素な着物を着ている。いくら田舎とはいえ、着物を日常的に身につけているのは珍しい。少女は硬い面持ちで口を開いた。
「神社に行くんですよね」
「そうだけど」
 五条が無表情に言った。初めて聞く人間には冷たく響いただろう。表情という装飾を外せば、硬質に整った相貌は冷酷にすら見える。およそ日本人には見えない色彩や、真夜中にもかかわらずサングラスを外さない異様さも、威圧感の一端となっている。
 事実、少女は少し怯んだようだった。それでも気を取り直して、言葉を続ける。
「あの……あなたたちは、事件を調べに来たんですよね」
 事件、と少女は口にした。
 五条がわざとらしく首を傾げる。
「事件? 何の話? 俺たちはただの観光客だよ」
「観光客なんて、このへんにはめったに来ません」
 やけにきっぱりとした口調だった。
 夏油と五条は視線を交わした。
「君はどうしてそう思ったんだ?」
「だって……あなたたち、あれを消したじゃないですか」
 少女は手を握りしめた。
「あれって?」
「あの、気味が悪い化け物。神社で」
「……見てたのか」
 夏油は片手を挙げた。手持ちの呪霊が一体、出現する。
 少女が息を呑んで、呪霊を見つめた。
 その視線が間違いなく呪霊に注がれていることを確認し、夏油は手を振った。呪霊がかき消える。
 少女は驚きに目を見張った。
「――話を聞こうか。君の名前は?」
「三藤早苗です」
 その名字に、夏油は眉を上げた。

「悟、いるのに気づいてたなら教えてくれよ」
「事件に関係あるとは思わなかったんだよ」
 五条が口をとがらせた。上目遣いでどこか甘えたように夏油を見上げる。その辺の女なら陥落するだろうが、あいにく夏油にその手は通じない。通じないとわかった上でやっているのだから、五条もいい神経をしている。たぶん、これも遊びの一環だと思っているのだろう。毎回付き合っている夏油も大概だが。
「呪力の多寡くらいわかるだろう」
「そりゃあわかるけど。ちょーっと多いなとは思ったけどさあ」
「そういうやる気のない態度が事態をややこしくさせるんだよ」
「こうやって話ができてるんだから別にいいだろ」
「よくない」
 言い争う夏油と五条を前に、少女――三藤早苗はぽかんとしていた。
 神社の敷地内に三人は移動していた。真夜中に少女を連れて山の中に入るのはどうかと思ったが、早苗は慣れた様子で神社まで歩いていった。参道はひどく暗かったが、暗闇に物怖じする様子もない。小さい頃からここに住んでいるのだろう。
「早苗さんは何であんなところにいたの?」
「知らない人が来てるって聞いて……」
「やっぱり目立ってるよな」
「悟の見た目じゃしょうがない」
「傑も十分目立つでしょ」
 無限に言い争いそうな二人を早苗はおろおろと見比べた。
「ああ、ごめんごめん。何の話だっけ」
「えっと、事件の話、だったよね」
 早苗は頷いた。
「今年はうちの家が祭りの進行を担当していて、私が舞を奉納することになっているんです。でも、祭りの前から伯父さんと叔母さんが……」
「早苗さんは、その事件の犯人が人間じゃないって思ってるんだ」
「……はい」
 早苗は顔を歪めた。今にも泣き出しそうだ。
「だって、あんなの人間には無理でしょう……?」
 口ぶりからして、死体を直接見たようだ。普通の少女にあの惨殺死体は刺激が強すぎる。
「私、祭りは止めた方がいいんじゃないかって言ったんです。また襲われる人が出るかもしれないから。この祭りは呪われてるから――」
「呪われてる?」
 聞きとがめた夏油が尋ねると、はっと早苗が口を押さえた。
「何か、私たちの知らない事情があるんだね」
 しばし早苗は黙っていた。
 無理に聞き出してもろくなことにならない。夏油も静かに待った。
 五条が飽きたようにしゃがみ込んだ。そのあたりに転がっている石を拾って、手の内でもてあそぶ。石のぶつかる固い音が虫の鳴き声に紛れる。闇に覆われた鎮守の森は、虫には格好の住処だった。夜は人の領域ではない。
「祭り、嫌いなんだね」
「――!」
「顔見ればわかるって。ここの祭り、担当が持ち回りとか言ってるけど、要は年頃の娘のいる家がやらされるんでしょ」
「な、何でそんなことまで」
「やっぱり」
 五条が早苗を見上げた。サングラスの隙間から見える、夜闇に薄く発光するような瞳に早苗がたじろぐ。
「神楽の奉納とか、だいたいこういうのは若い娘がやらされるんだよ。嫁入り前のね」
 つまらなさそうな口調だった。
 夏油は首をひねった。
「でも、舞を舞うだけだろう? そんなに嫌がること? そりゃあ練習は大変かもしれないけど――」
「伯父さんと叔母さんが亡くなったんですよ!? それなのに、祭りは続けろって……」
「祟り、と聞いたけど。祭りが呪われてるっていうのは、それと関係ある?」
 早苗は頬を拭った。何かを決意したように硬い面持ちで話し出す。
「ここの看板、読みました?」
「読んだよ。化け物退治の話だよね」
 この集落に伝わる化け物退治の伝承は既に読んでいる。化け物を退治した神を〝お社様〟として祀るため、神社は建立された。補助監督の下調べと神社の看板の話はおおむね一致している。
 早苗は眉根を寄せた。
「あの社には、気味の悪い箱があるんです」
「箱? 悟、何か感じた?」
「んー、本殿に呪力を帯びた何かがあるのはわかるけど。漏れてる呪力も微々たるものだよ」
「大した呪物ではないか、よほど厳重な封印が施されているか……」
 ご神体が何らかの呪物である可能性は考えていた。力あるものを祀るのは自然なことだが、問題はその呪力の強さだ。単に弱いなら放っておいていい。ただ、それが滅することのできないほど強い呪物であれば――話は別だ。封印の箍が緩んでいれば、共鳴して呪霊を呼び寄せる。そして、そのような強い封印を施せる呪術師はそう多くない。
 ――それにしても。気味が悪いと来た。ご神体を形容するにはふさわしくない。
 立ち上がった五条が軽く膝を払い、視線を本殿へ向けた。サングラスを外し、じっと奥を見つめたまま早苗に尋ねる。
「ねえ、ここのご神体は何?」
「剣です。昔、〝お社様〟が化け物をそれで封じたと聞きました」
「剣? 箱じゃないのか?」
 ――剣。初めて聞いた。気味が悪いという箱とは別の代物か。いや、それよりも。
「封じた? 倒したんじゃないのか」
「いえ。封じたんです。化け物は倒していません」
「……どういうこと? 看板には倒したって書いてあったよね。それで感謝の証(あかし)として〝お社様〟を神社に祀ったんじゃないの?」
「あの看板に書いてあること、ちょっと違うんです」
 早苗は緊張したように着物を握った。
「つまり、言い伝えは本当は違う、と?」
 伝承は口伝されるうちに形を変える。本来の形を失ったまま書物に記されることも、そう珍しくない。真実がごく一部の人間の間でだけ残されているのも。
「昔、おばあちゃんから聞いたんです。この話を知っている人も、もうそんなに多くないっておばあちゃんが言ってました。五〇年前、おばあちゃんがこの祭りの踊り手で、その時に先代から聞いたそうです」
 突然の話の展開に、しばし夏油は沈黙した。化け物を倒したのではなく封印したとなると、話が大きく変わる。何故なら、化け物――呪霊がまだ祓われていないということになるからだ。
「舞の奉納は、封印を強めるためだとおばあちゃんは言っていました。でないと、箱に閉じ込めた化け物が蘇るって」
 果たして、夏油の予想通りのことを早苗は口にした。
「つまり、ご神体の神剣で封印した化け物が箱に入っているってこと?」
 早苗は頷いた。
 祓えない呪霊を封印したとなると、特級呪物の可能性もある。ならば、封印の緩んだ箱に引き寄せられた呪霊が住民を殺して回っているということか。
「……君は、どうしてその話を私たちにするんだい?」
「だって、夏油さんたち、化け物を倒せるんですよね」
 切羽詰まったように早苗が袖を握りしめ、夏油を見上げた。
「きっと、あの化け物が伯父さんと叔母さんを襲ったんです。だから……お願いです、あの化け物を倒してください!」
「言われるまでもねえよ。俺たちはそのために来たんだから」
 冴え冴えとした月の光を背にして、五条が自信満々に笑った。銀髪が淡く発光しているようにも見える。
 夏油が見失いつつある傲慢さが眩しかった。

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