私が死んだら、

「そろそろこの書き出しにも飽きてきたな」
「でもこれ以外に書きようがなくない? 遺産がどうのこうのは遺書じゃなくて遺言書作らなきゃいけないし」
「学生なんだから別にいいのに」
「でも給料出てるじゃん」
「悟、どれくらい貯金した?」
「どれくらいだっけ……よく覚えてない。別に給料なくても困らないし」
「ねえ五条、ブラックカード持ってる?」
「いや、ツケ払い。顔見知りのとこしか行かない」
「あはは! 現金触ったことなさそう」
「このボンボンめ」

               *

 ――〝接続〟したのだと、すぐに気づいた。
 右目の疼痛を意識から切り離し、ひとつ瞬きする。まず視界から確認するのは癖だった。この六眼(め)を持って生まれた者の宿命と言い換えてもいい。この眼に見えるものと見えないもの。世界はその二種類で成り立っている。
 今回は、六眼でも見えないはずのものが見えている。
 本殿の向こう側、拝殿の方に三人分の気配がする。知り尽くした気配と、懐かしい気配。そして、もう一人分。〝彼〟をこうして観測するのは初めてだ。
 延々と見せつけられる情景に、五条はかすかに苦笑いした。これは現在ではない。
「こんなもの見せて、一体どういうつもり?」
 応(いら)えはない。
 五年前の自分と視線がぶつかった。どうやら一方通行の接続のようで、あちらからは見えないようだ。それでも何かを感じ取ったのか、視線は本殿から外れない。サングラスを外した青い瞳を、鏡越しではなく見据えるのは新鮮な心地だ。
 再び、右目が熱を持ってじくじくと痛み始める。
 ――五年前の記憶を探るも、〝未来の自分〟と目が合うなんて出来事は覚えていない。であれば、これはただの幻なのだろうか。だが、一体何のために? それとも、ただの傍観者で終わるということか。
 これは誰かの術式だ。眼を過去へ繋げる――あるいは過去を眼に投射する。トリガーはおそらく、本殿の扉を開けること。半ば意識的に引っかかってみたが、その効果は予想外だった。
「何でこんな仕掛けを……」
 ただじっと、〝彼ら〟の姿を見る。長い黒髪の彼を見るのは久しぶりだった。あの頃はいつだって隣にいた。片時も離れないでいられるような、そんな幼稚な錯覚を抱くほど一緒にいた。
 もう四年も経った。
 まだ四年しか経っていない。
 懐かしさと共に去来する感情の名を、決めかねた。
 今更ここで過去を見せられたところで、終わってしまった関係だ。ただ、惰性でずるずると生き続けているだけだ。惰性で殺し損ねているだけだ。「次に会ったら殺す」と言った言葉に嘘はない。まだ「次」が来ないだけだ。
 過去を眺めたところで、手を伸ばす気にもならない。過去に戻ったところでどうしようもない。必然の決別だった。
「それを否定するのは、傑に対して失礼ってもんでしょ」
 熱を持ったような痛みを発する右目を押さえる。まるで五年前の再演だ。
「この僕を呪おうだなんて、いい度胸だね」
 ――違う。これは再演ではない。続演だ。
 眼を細める。絡みつく術式を見極め、ほどいてゆく。丹念に編まれた術式の編み目に刃先を通し、たった一本の糸を断ち切るような繊細さを要求される。だが、五条の手にかかれば、いくらもかからずに解き明かされる。
「――ああ、そういうこと」
 独り言を聞く人間は、ここにはいない。
 これほど複雑な術式を成立させるには何らかの〝縛り〟が必要だ。〝縛り〟は対象者や発動条件を狭めることで成立する。この術式は特定の人間に対してのみ発動する。具体的には〝眼〟だ。かつて五条が祓った呪霊を利用し、眼を触媒として発動する仕組み。つまるところ、五条自身が引き金だ。
 五年前、惨劇を引き起こした呪霊は〝眼〟にまつわる化け物だった。思い至らなかったのではない。可能性が低いと除外していた。それが仇となった。
「ほんと、この眼にも困ったもんだよ」
 見たい/見たくない、とは関係なく、この眼はあらゆるものを暴き、眼前に晒す。そこに五条の意志は介在しない。
 五条は拝殿の方から視線を外した。本殿の奥を見据える。
「オマエは何がしたいんだ、傑」
 ご神体があるべき場所には、まるで手形のように夏油傑の残穢がべったりとこびりついていた。この濃度から考えると、触れたのは最近だろうか。何かしら隠蔽する手段を講じていたようで、本殿に入るまで気づかなかった。気づいていれば術式を避けられただろう。
 ――いや、わかっていても、術式を起動させていたかもしれない。そこに潜んでいるはずの意図を知りたいから。
 いつだって、五条は肝心なところを見過ごしている。とびっきりよく見える眼を持って生まれたのに、いちばん見たいものは映らない。六眼は瞼を閉じることを許さないくせに、見たいと思ったものを見せてはくれない。まるで、自分の方が六眼の付属品みたいだ。
 祭りの準備中によぎった、夏油の残穢を思い出す。五年前、二人で解決した事件が再び幕を開けたのは偶然ではない。であれば、この事件も夏油の仕業なのだろうか。五条に過去の光景を見せて、動揺でも誘うつもりか。あるいはこれは隠れ蓑で、真の狙いは他にあるのか。
「いいぜ、付き合ってやるよ」
 この程度で動揺するほど、五条悟の神経は脆くない。
 ――それくらい脆い方がよかったのかもしれない。ふと、くだらないことが脳裏をよぎった。

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