私が死んだら、過去の遺書はすべて燃やしてください。

「遺書燃やしたら意味なくない?」
「最新の一通だけ残して、他を燃やしてほしいんだよ」
「傑、今までの遺書、取っておいてたんだ」
「先生が保存しているだろう」
「え? 俺捨ててるよ」
「は?」
「言えば返してくれるけど。夏油、知らなかったの」
「いやだって――硝子も? え? 知らなかったの私だけ?」
「そもそも遺書は差し替えるものであって、いちいち残すものじゃないでしょ。だから毎学期書かせてるんじゃないの?」
「学期ごとに追加していくんだと思ってた」
「そうなの? 硝子」
「私に聞かないでよ。でも先生は何も言ってなかったから、自由なんじゃない?」
「そうなの……かなあ?」
「でも傑、この内容じゃ遺書にならなくない?」
「毎回ふざけてる悟には言われたくないなあ」
「だってこれ、ほぼ中身ないじゃん。結局これじゃあ、遺書がないのと同じでしょ」
「それでいいんだよ。今はそういう気分」
「あー、わかる。俺もそろそろネタ切れ」
「悟はたまには真面目に書いてもいいんじゃない?」
「真面目な奴は五条家(うち)で書かされるから、別に要らない」
「もしかして悟、結構楽しんでる?」
「悪い? こうやって遺書見せ合うの、楽しいじゃん」
「いや……なんかちょっと」
「もしかして傑、照れてる?」
「照れてない」
「嘘だね」
「嘘じゃない」
「そういうことにしといてやるよ」
「だから違うって。……硝子もそういう目はやめてくれないか」

               *

「気味が悪い箱って奴を見ようぜ」
 心なしかうきうきと五条が言った。不謹慎にもほどがあるが、頼もしいとも言える。さっぱり所在のわからない呪霊に、ようやく手がかりらしきものが出てきたのだ。気持ちはわかる。
「どこに仕舞ってあるかわかる?」
「本殿の中だと思う。祭りまで剣も箱も動かさないから」
「じゃあ、ちょっと中にお邪魔しようか」
 夏油が言い終わらないうちから、五条が拝殿に上がっていた。
 少しためらっている様子の早苗に、夏油は努めて優しく言った。
「早苗さんはここで待っててもいいよ。私たちが見てくる」
「あ、でも……」
 早苗は唇を結んで、夏油と五条の顔を見比べた。気味が悪いと言いながらもいくらかの信仰心はあるようで、無断で本殿に入りづらいようだった。
 ためらう早苗を置いて、五条がさっさと本殿の前にたどり着いた。階(きざはし)を上り、手を扉にかける。
「じゃあ開けるよー」
 ごく軽い調子で言いながら、施錠を勝手に開けて五条が扉を開いた。
 その瞬間、怖気(おぞけ)が走った。
「悟!」
 夏油の声にうるさそうに眉をひそめ、五条は手をかざした。
 ばちり、と火花が散ったように見えた。
 何かの術式が発動したのだろうか。こんな寂れた神社に術式が仕掛けてあるとは思わなかった。油断した――と夏油は舌打ちした。
「大丈夫か、悟」
「へーきへーき。何でもないよ」
 五条が振り向いて手を振った。なんともないようで、ひとまず安心する。緊張した表情の早苗も息をつく。
「中に箱が二つあるよ」
「じゃあ、片方が神剣で、片方が化け物を封印した箱かな」
 暗くて夏油には見通せないが、五条が言うには間違いないのだろう。
「んー、確かにちょっと呪力が漏れてるね――ってこれ」
 五条が言葉を切った。
 夏油も拝殿を上がり、本殿まで行く。しゃがみ込んだ五条の背後に立つが、あまり中は見えない。照明がないのだから当然だ。
「懐中電灯、持ってくればよかったな」
 言いながら夏油もしゃがんだ。自分が影になって月の光を遮ってしまうのだ。
 目を凝らせば、祭壇に箱らしき物体が二つ安置されている。細長い箱と、小さな真四角の箱。こんな簡単に開けられる場所に置いておいていいのだろうか。封印が強いのか、間近に寄っても何も感じない。これを早苗が「気味が悪い」と形容したのが不思議だ。中身を見たことがあるのだろうか。
 不用意に触れるのもどうかと思い、夏油は五条に尋ねた。
「特に何も感じないけど、悟はどう?」
「よくわかんない」
 曖昧な返事だった。サングラスを押し上げ、難しい顔をして五条が考え込む。
「それ、よく見えないんだよ。開けた方が早いかも」
「……仕方ない、開けるか」
 それなりに危険な行為ではあるが、呪霊を祓うには呪霊に出てきてもらわなければならない。何がトリガーかわからない以上、片っ端から試すしかない。
 夏油は立ち上がり、手を伸ばした。何が起きても大丈夫なように身構えつつ、まずご神体であろう箱の蓋に手をかけた。
「――なんともないな」
 中身は布でぐるぐる巻きにされた細長い物体だった。形状からして剣のようだ。呪力は感じられるが、特別強い呪具というわけでもなさそうだ。
「で、こっちは――」
 もう一つの箱の蓋に触れようとしたところで、
「傑!」
 切羽詰まった声に名前を呼ばれ、夏油は思わず手を離した。
 五条が身を乗り出す。取り落とした箱が地に落ちる寸前で、それを受け止めた。
「熱ッ……!」
「おい悟?」
 五条が箱を抱えたまま、顔を押さえてうずくまった。からん、とサングラスが地面に落ちる。
「悟!」
 夏油は五条の肩を掴んだ。
「大丈夫大丈夫、ちょっと持って行かれただけ。あー、失敗した。油断したわ」
「何を言って……!」
 顔を上げた五条はいつもの不適な笑顔を見せた。だが、唇の端が引きつっている。
 顔を覆った五条の手を、夏油は強引に引き剥がした。
「その目はどうしたんだ!」
 五条の右目が――銀河のごとくきらめく青い瞳が、白く濁っていた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

inserted by FC2 system