私が死んだら、呪ってくれますか。

「呪いって、一人じゃ成立しないんだね」
「……?」
「呪いたくなるほどの執着って何だろうね、って話だよ」
「怨霊のこと?」
「そう。不思議だよね。人は死後、呪いに転じることはままある。例えば悟のご先祖様、菅原道真は自分を陥れた人々を恨んで怨霊になった。それは自分の意思だからまあいいとして――他者から呪われて怨霊になるってどんな気持ちなんだろう。それほど想われて嬉しいのか、地上に留められていることに憤るのか」
「どっちでも死んでるんだから意味ないじゃん」
「そうかもしれないけど――」
「じゃああれだ――そういうのを〝愛〟って言うんじゃないの」

               *

 ちらちらと、瞼の裏で影が踊っている。

 飲み込んだ呪霊の味が、まだ舌の上から消えない。吐瀉物に似て、それよりもっとひどい味。およそ人が口にしてはいけないような、そんな想像を絶する味。この味を知っているのは世界にただ一人だけだ。
 この味を忘れない。絶対に。
 降り積もる雪のように、しんしんと、澱(おり)が溜まっていく。
「望みを聞こう」
 言葉も失った獣じみたそれに語りかける。ぐずぐずに溶けた醜悪な姿をしたそれは、返答の代わりに唸り声を上げる。あるいは、怨嗟(えんさ)の声か。
 ――誰に対する怨嗟だっただろう。
 かつてこれは人だった。
 人の姿に留めていた力がなくなって、人の姿を失った。
「ァ、アアァア――」
 見苦しい姿のまま、それは咆哮する。怒りよりも哀しみが強いように聞こえるのは、こちらの想像だろうか。
 ――憤るよりも哀しんでいるほうがましだなんて、自分勝手な望みだ。どちらも同じだ。失くしたものを惜しんでいる。そこに何の差がある。感情に優劣をつけるのは、生きている人間の傲慢だ。
「――ねエ、ちゃん」
 だから、人のような声で人のような言葉を発したのも、こちらの勝手な思い込みなのだ。
「恨むか? 呪うか?」
「アア――ァァアァ――」
 先ほどの言葉は聞き間違いだったのか、答えは人語にならない。ただ、怒りと憎しみに満ちた泉の底に沈殿した哀しみを掻き混ぜては、穴の空いた胸を掻きむしって叫んでいる。誰かを呪うように、誰かに助けを求めるように。人の姿を捨ててなお、人の心はどこかに残っているのだろうか。
 ――傷口がじくじくと膿んでいる。完治しないようにほじくり返しては、痛みを味わっている。痛みは力を生むからだ。
「好きにするといい」
 人から堕ちた姿で手札に加えたのは一時の気まぐれにすぎない。手札は多いほどいい。この術式の長所を生かすために、調伏できるだけの呪霊を蓄えなければならない。だが、この呪霊でなくてもよかった。これはひどく弱っている。これを生み出した人間はそれなりに強かったが、瀕死の状態で取り込んだせいだろうか、さして強い呪霊にはならなかった。受け渡されたはずの術式も元来は強かったが、使い所は難しい。
「その殺意(あい)が本物なら」
 それでも、飲み込んだ。えずきたくなるようなひどい味だと知って、喰った。何の得にもならないと知って。
「力をやろう」
 ぐるりと呪霊が首を巡らせた。欠けた右目は虚ろな闇を宿している。
 手を伸ばし、ぽっかり空いた右の眼窩に指を入れた。力を注ぐ。
「望みを示せ」
 ――その時の衝動を、計りかねている。

 長い黒髪をまとめた袈裟姿の男が本殿へ入ってゆく。人の気配の途絶えた中、祭壇に安置された箱を開ける。そこにあった偽物の呪物を取り出し、代わりに紙の束を箱の中に入れる。
 箱を丁寧に封印し、袈裟を着た男が振り向く。
 星を見失い、闇をたたえた黒い瞳と、星々のきらめく青い瞳が交わる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

inserted by FC2 system