私は謝らないよ。

               *

 鎮守の森は再び静けさを取り戻した。
 ひどい徒労感だった。
 二人死んだ。死ぬ必要はどこにもなかったのに、死んでしまった。
 章の姿をした怨霊は早苗の片手を握ったまま、動かない。その身体が端から徐々に崩れていく。早苗のやったことは無意味だ。章を怨霊として現世に留めていた本人がいなくなれば、怨霊も消える定めだ。だからこれは、無駄な犠牲なのだ。
「麗しい姉弟愛だな」
 息絶えた早苗の側にかがんだ五条が言った。冷たい声だった。無数にきょうだいやらいとこやらがいるらしい五条には、何かしら思うところがあるのかもしれない。
 きょうだいのいない夏油には想像もできない。自分を捧げるほどの愛とは何だ。
「明日の祭り、やるのかな」
「さあね。踊り手の早苗が死んだんだし、やらないんじゃない」
 冷たく乾いた声に反し、五条はそっと早苗の瞼を下ろしてやった。涙の乾いた跡が頬に残っている。かすかに開いた唇から吐息がこぼれることはない。
 呪霊は倒した。これ以上、ここに留まっている理由もない。
 振り返ると、小柳は呆然と座り込んでいた。その隣では、長久保が後始末のために電話をかけ始めている。いつの間にか帳が下ろされていたようだ。小柳以外に目撃者もいないから、何とでも工作できるだろう。
 夏油は視線を落とした。犠牲は付きものだ。そもそも、元凶が早苗自身だったのだ。意図的かどうかは問わず、人を殺してしまった者が今まで通り生活できるはずもない。五条の言う通り、処刑されるのが関の山だっただろう。
 ――当たり前の事実が、苦しかった。
「……いや、きっと祭りはやるよ」
 自分で尋ねておきながら、夏油は否定した。
 むしろ、こんな惨状を生み出したのだからと祭りが強行されるかもしれない。四人も祟りで死んだのだから、と。
 受け継がれるうちに真意を見失った祭りは、意義を失っても続くだろう。
 次の術者は産まれない。もし産まれるとしても、長い年月を経て、十分に畏怖と信仰を集めた呪霊が形を成した後になる。だが、それは術者の視点から見た話であって、この集落の人間の都合ではない。伝統行事が途絶えるのは、まだ先のことだ。
 この集落は、きっと変わらない。最後の一人になり、滅びるまで、今の姿勢を貫くだろう。
「……心中みたいだな」
「ん? 何?」
 五条が夏油を振り仰いだ。
「何でもないよ。これで依頼された任務は完了だよね」
「呪霊も祓ったし、帰るか」
 立ち上がった五条はあっさりと言った。いつも通りの態度だ。引きずっているのは夏油だけ。それが無性に苛立つ。
 ――何も完了などしていないのに。
 頭ではわかっている。五条が正しい。呪術師は呪霊を祓うのが仕事で、被害者たちの事情に首を突っ込んでもろくなことにはならない。それを夏に嫌というほど思い知ったのに、また同じ轍を踏もうとしている。
 不意に五条がふらついた。
「熱ッ――」
「悟!」
 顔を押さえて五条がうずくまった。夏油もかがんだ。五条の顔を覗き込む。
「大丈夫、〝眼〟を返されてるだけだから」
「本当か!?」
「俺が嘘ついてどうすんの」
 昇り始めた朝日が銀色の髪を淡く輝かせる。
 ――その向こうに、消えゆく少年の影を見る。少女の手を握って静かに泣く姿は憐れみを誘う。噛み合わないまま廻り続けた歯車の壊れたさまは、胸の奥に静かに澱が溜まるような心地にさせる。
 美しい結末などない。人の負の感情が、そんなものを生み出すはずがない。
「傑?」
 顔の右半分を押さえたまま、五条が夏油を見上げた。背に添えられた夏油の手のひらを当然のように受け入れて、無防備に目を瞬かせる。すべてを拒絶する力を持つ五条が、夏油に触れられることを許している。
「何でもないよ」
 だから。
 五条がまだ見えていないようだったから。
 まだ終わるのは早いと惜しんだのか、こんな結末は許せないという義憤だったか、それとも夏の少女に重ね合わせた身勝手な憐れみだったか、判然としないまま。
 やさしく労るように五条の両眼を覆った。手のひらの下で睫毛が震える。触れた皮膚から熱が伝わる。温かい。生きている温度だ。それがどうしようもなく胸を締めつける。
「傑、どうしたの」
 夏油は答えず、もう片方の手を伸ばした。招かれるようにこちらへ漂ってくるそれを掴む。
 そして、やがて消え失せるだろうと放っておいた怨霊を――三藤章だったモノを、夏油は飲み込んだ。

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