前略 どこかの誰かさんのせいでクリスマスも仕事三昧なんだけど、どうしてくれるの? もう文句も言えないじゃん。今日から硝子と二人になっちゃった。寂しいとか言ってやらねえよ。せっかくのお祭りなのに、よりによってオマエの命日? 僕どんな顔してればいいのかな。なんか七海に死ぬほど心配されるんだけど。ウケるよね。よりによって僕の心配とかさ。
なあ、オマエはこれで満足だった?

「〝オマエがいなきゃ生きていけない〟ってあるじゃん」
「そう言ったの?」
「言ってない。言えばよかったのかな」
「言っても正気を疑われただけだと思うけど。五条、一人で生きていけるでしょ」
「……」
「違う?」
「いや、違わない。違わないけど――〝一人で生きていける〟と〝一人で生きていきたい〟って全然違うんだよね」

               *

 昇る朝日が夜闇を打ち払い、川面をきらめかせている。
 怨霊が消え失せると同時に、ひらり、と紙がどこからともなく落ちてきた。拾い上げてみれば、見慣れた自分の字が並んでいる。
「よくもまあ、こんなもので僕を呪おうとしたね」
 遺書だった。まだ彼らが高専に在籍していた頃、学期ごとに書かされる遺書を女子の交換日記よろしく見せ合っていた。すべて処分したはずが、一枚だけ免れていたらしい。あるいは夜蛾の元からくすねたのだろうか。
 手書きの字には呪力が宿る。強い術師ならなおさらだ。だから五条はめったに字を書かないし、書いたら細心の注意を払って管理するか処分している。こういうことに使われる恐れがあるからだ。
 右目にまつわる術式を持つ早苗、彼女から術式を譲渡された章、そして再びこの地を踏んだ五条。右目で繋がった三者にかけられた呪術。手が込んでいる割には、狙いはいまいちわからない。
 五年前と同様に、呪いは不完全に発動した。紙切れ一枚では、五条悟に――現代最強の呪術師に呪詛を差し向けるには役不足だ。
「……」
 再び熱を持った目を押さえる。五条が何もしなくても、術式がほどけていく。おそらく眼の色も元に戻っているだろう。
 遺書を燃やし、五条は参道を歩き始めた。観光地ではないから、日の出の時刻に参拝客はいない。姿は見えないが、目覚めた鳥の鳴き声が木々の合間から聞こえる。
 鳥居をくぐり、ためらいなく本殿へ踏み込む。そこに、すべての元凶がある。
「やっぱりね」
 どこかへ消え去っていたはずの箱が、そこにあった。何食わぬ顔で祭壇の上に鎮座している。特定の条件を満たすと姿を現す――そういう仕掛けだったのだろう。今回の条件は、章を祓うことだったようだ。
 息をするように呪力を巡らせ、箱の中にあるものを見通す。小さな感情のさざ波さえつまびらかにする眼だ。それは、呪力を――真実を見通す眼でもあった。
 丁寧に封印された箱を繙(ひもと)く。
 パチッ、と視界の端でひらめいた火花を一瞥し、五条は中に収められた紙の束を掴んだ。
 時を経てなお染みついた呪力は消えない。並の呪術師には見えないだろう薄い痕跡でさえ、この六眼(め)は見逃さない。
 何も変わらない。
 呪力の色は、何も変わらない。どれだけ本人の振る舞いが変わろうとも、生まれついて決まった呪力の色は、変わることはない。
「オマエが嘘をついていたのは知ってたよ」
 この六眼(め)から逃れられるものなど存在しない。
「オマエも知ってただろう」
 知っていて、嘘をついたのか。それともうっかり忘れていたのだろうか。
「嘘が下手だな、傑」
 筆跡をたどるように、紙の表面を指でなぞる。字に滲む呪力はずいぶんと薄くなってしまったが、筆跡はそのままだ。几帳面だが、少し癖のある字。習字のお手本じみて何の面白みもない自分の字と比べれば、今まで生きてきた証(あかし)が見えるような気がして好きだった。――嫌いなところなんて、あっただろうか。
「なにが、全部捨てた、だよ。全部残ってるじゃん」
 夏油が処分したはずの遺書が、すべて揃っていた。書き上がるたびに五条に見せていた遺書が、そこに鎮座していた。
 紙をめくる音だけが空間に響く。かつて交換して見せ合った紙の合間に、見覚えのない遺書が混じっている。おそらく、ここに隠す際に加えたのだろう。
「……馬ッ鹿じゃねえの」
 わずかな字の震え、滲む呪力の不安定さ。それを苦悩と呼ぶのだと知っている。
 捨てればよかったのだ。燃やせばよかったのだ。それをしなかったから、今、五条が読んでいる。秘しておきたかった遺書を。
 この遺書を誰かに見せるのは、少しばかり嫌悪があった。
 苦悩するくらいなら、やらなければよかったのだ。それでも実行するのが夏油傑なのだと知っていた。だから五条悟は、自分の信じる正しさにがんじがらめにされて、身動きが取れなくなった夏油傑の不器用さを否定しない。
握った紙の端から静かに炎が上がる。仕込まれた術式が発動したのだ。誰かの呪力が触れれば、自動的に燃えるようにできていた。
 停止していたそれが、今、発動する。虫に食われるように、端から徐々に焦げて欠けていく。
 ――五条が、うっかり術式への介入を途切れさせたからだ。
「この僕が、あんな爺どもの言うことに従うわけないでしょ」
 灰すら燃やし尽くす術式だ。後には塵ひとつ残らないだろう。止めようと思えば止められた。だが、そこまでする義理もない。
 捨てたと嘘をついて、残しておいたのに容赦なく燃やす。何がしたいのだか、五条にはわからない。見てほしいのだろうか。見てほしくないのだろうか。まるでわざと五条に見つかるように仕掛けておいたくせに、いざ見つかれば消そうとする。矛盾する行動がわからない。
 だが、わかっていることはひとつだけある。
「全部は見せてくれなかったんだな」
 幼稚な、約束にすらなっていない約束だった。守る義理もないのに、律儀に守ろうとした。だから、見せたくないという本心を隠し、五条を傷つけないために嘘をついたのだろうか。――そんなもの、要らないのに。五条がそれしきのことでは傷つかないのを、忘れてしまったのだろうか。
 六眼は嘘を見抜くが、隠し事の中身まで見通すことはできない。
「それとも、四年越しに見せてくれる気になったってこと? それにしてはちょっとやり口が陰湿じゃない?」
 何でも見えると思っていた。何も見えないと知った。その事実を、五条よりも夏油の方が早く気づいていた。それが無性に胸の内でさざ波を立てる。
「バイバイ、俺」
 紙が燃えるさまをじっと見つめる。眼に焼きつけるように。
 後は何もなかったと報告すればいい。独占欲と呼ぶにはいささか淡い情が胸を浅く掻きむしる。これを読んでいいのは五条だけだ。夏油は他の誰にも許さなかった。五条だけが〝特別〟だった。五条にとって夏油がそうであったように。
 もう、その席に座る人間はいない。たった一人だった。他にはいない。二度と現れない。
「バイバイ、傑」
 あの日生まれた嘘は、嘘のまま生き続ける。
 五条悟は嘘を必要としない。これからも必要とする日は来ないだろう。嘘で救われるほど――真実を直視して傷つくほど脆くないからだ。
 けれども、たった一人の親友がついた嘘を暴いてやる日は、きっと一生来ないだろう。
 すべてを燃やし尽くしても、五条悟には不要だったやさしさを、決して忘れないだろう。

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