サーカスのババア(CVくじら)もなかなかだったが、長谷川幸一ぜったいD機関員でしょって思ってたらお前…お前…
日露戦争の頃だからD機関はまだ設立されていない まだ明治 落ち着けわたし
いや日露戦争まだ起きてないわ 落ち着けわたし

ゴールデンカムイは月島がいちばん好きだな 血の繋がった家族の愛情を得られず、相思相愛にもかかわらず婚姻による家族も得られなかったから、自ら家族の愛情を投げ捨てる贅沢さを自覚しないスヴェトラーナに本気で怒るの

鶴見中尉が頭部の怪我以降、奇天烈な振る舞いをするのは、日露戦争でばらばらになった人格を拾い集めて中心にかつての自分が抱いていた信念を据えて人の形を保っているのでは、などと思っていたけど
元から別人格を演じられるタイプだったわけだから理性が壊れただけなのかもしれないし、もとからばらばらだったのがわかりやすくなっただけかもしれないし、鶴見中尉も日露戦争で「壊れた」のかも、などと思った

登場人物みんなどこか壊れている中で清廉潔白なままでいるアシリパ、あらゆる穢れから注意深く遠ざけられて育てられた不健全さがある

尾形がアシリパを穢したいのって、弟と同じく嫉妬と羨望が入り混じっているんだろうけど、それ以上に穢れた自分を肯定されたい欲があるんだろうな、穢れた自分でも人として生きていていいんだって

でもそれを弟に言われるのは我慢がならない、弟は同じ男の血を引いているにも関わらず人格者で自分と同じ人間と思えないから。自分の出生や性根を他ならぬ自分が認められないのだから、他人に言われたところで無意味なんだけど、それでも他人と自分を比較し続ける

アシリパやインカラマッに代表される「自然の中でいまだ原始的な生活を営む共同体の女」が杉本、谷垣たち「近代文明に疲弊し傷つけられた男」にプリミティブだけど彼らの知らない豊富な知識を授ける構図、かつての「アバター」みたいなのを思い出す(それが悪いという意味ではない)
古代ではたいてい祭祀は女の役割だったから、プリミティブな共同体で文明社会から落伍した男を受け入れて知識を授けるのは女になるし、それゆえに女が尊敬の対象となる。「男と女」、「自然と文明」(とりわけ産業革命以降の近代文明、科学技術)の二項対立の構図は話が作りやすい
近代文明がそぎ落としたものの大きな要素として祭祀があり、自然と直結した祭祀は女に求められた一方で、産業革命以降の社会を動かす労働力は男に求められたからね

「不死身の杉元」の「不死身」は、並外れた頑健な身体を生かす心の方でもあるのかなって思った

尾形って絶妙に同情できる境遇と絶妙に同情できない所業だよなあ 境遇のせいでねじ曲がったようにも見えるし、もとからそういう性質だったのが境遇で加速したようにも見える

ゴールデンカムイ、杉元が遭遇するアイヌ文化のアニミズム的な自然と共存するプリミティブさが戦争で壊れた男たちと対比される部分もあるけど、そのアイヌ文化も既に滅びの道に乗っているんだよね
アシリパも頑なに伝統を守るより、いたずらに近代文明を否定せず折衝し、古い習慣のいくつかは消えるとしてもその根底に根差す信仰そのものは残して前に進むから「新しいアイヌの女」を名乗るんだね

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