初出:スパイのお仕事3 無配

「すみません、待ちましたか?」
 がやがやとうるさい居酒屋で、穏やかな男の声がした。
 佐久間が顔を上げると、飛崎が目の前に座り込んだ。
「ちょうど今来たところだ」
「それはよかった」
 飛崎が微笑む。軍人にしては穏やかな物腰だ。部下に慕われていることだろう。
 適当に酒とつまみを頼む。
「――久しぶりだな、最近どうだ」
「楽しくやっていますよ」
「そうか。意外だったな。田舎に引っ込んだものとばかり思っていたからな」
「確かに一時はそうしていましたが……未練があったんでしょうね」
「どちらへの?」
「どっちもです」
 腹の探り合いみたいな会話に、懐かしささえ覚える。
「佐久間さんこそ、どうなんです? 戻ったと聞きましたよ」
「まあまあだな」
「誰と会いました?」
 にこにこと飛崎は訊ねた。話した覚えがないのに知っているのは、さすがとしか言い様がない。佐久間が答えないことを知った上で、あえて訊いてくるところも。
「内緒だ」
「言うと思いました」
「俺に訊かなくても、会いに行けばいいだろう。仮にも同じ釜の飯を食った仲だろうが」
「嫌ですよ」
 すげなく飛崎は断った。わずかな逡巡も見せなかった。どころか、顔をしかめている。
「……何がそんなに嫌なんだ」
 結城中佐からの誘いに乗る程度にはD機関に未練があったくせに、旧友たちに会うのは嫌がる。不思議だ。
「そういう関係じゃありませんから。俺たちは似たもの同士で、同類を嫌うんですよ。ほら、仲良しの俺たちを想像してみてください」
 言われるまま、想像する。佐久間が士官学校で共に過ごしてきた同胞たちのように、肩を組んで笑い合う様を思い描く。
 ――気色悪いことこの上ない。
「ほらね」
 飛崎が朗らかに笑った。
「たしかに、貴様らにそんなものを期待した俺が馬鹿だった」
「でしょう、いいんですよ。俺たちはそういう関係で。ま、向こうは俺を同類だとは思っていないでしょうけど」
「……そんなことはないと思うぞ」
「そうですか?」
「俺の勝手な期待だが」
「では、ありがたく受け取っておきましょう」
 楽しそうな様子の飛崎に、ほっとした。やはり彼にはD機関は合わなかったのだ。捨てきれなかった感情が躊躇なくに顔に浮かぶ。それでよかったと思っている。
「佐久間さんが戻るなんて、そっちのほうが予想外でしたよ」
「そうだろうか」
「あんなにいじめられていたのに」
「いじめとは人聞きの悪い。あいつらなりの悪ふざけなんだろう」
「似たようなものでしょうに」
「……貴様だけは、あまり悪戯をしてこなかったな」
「佐久間さんのお金で飲みには行きましたけど」
 思えば、彼だけが少し毛色が違っていた。当時は気がつかなかった。うまく隠しおおせていたのだろう。隠し通す――捨て去ることはできなかったが。
「未練があったのは、俺の方だったのかもな」
「お人好しだっただけですよ」
「なんだか懐かしいことを言われた気がする」
「佐久間さんは、お人好しですよ」
「……そうか」
 静かに酒を口に含んだ。
 誰に言われたのだろう。記憶の彼方で、ぼやけた顔が確かにそう言ったのだ。
 忘れられない。忘れてなるものか。彼らを覚えているのは、佐久間だけなのだから。

(D機関の後継組織の連絡係に再び任命された佐久間と、普通の軍人になった飛崎による後日談の後日談。当時を共有できる貴重な仲間として、二人は割と定期的に会っている。とはいえ飛崎は絶対に機関員には会わないし、向こうも避けている。飛崎は負け犬になった自分を見せたくない気持ちがあり、機関員も飛崎をもはや仲間とは見なさないけれど、人の世に戻った小田切もとい飛崎には人並みな幸せを掴んでほしいとほんのちょっぴり思っている、かもしれない。と佐久間が機関員の微生物未満レベルの人間性にほんのり期待している。飛崎は今でも、自分のたどり着けなかった境地に至った機関員に憧憬を抱いている。でも同時に、あんな人でなしにならなくてよかったとも思っている)

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