<2017/12/23>

 冬の冷たく乾燥した空気は頬を切るように鋭い。今日もよく晴れていたが、日が暮れれば気温はぐっと下がる。
 巨大な繁華街を歩く。ここはいつ来ても喧噪がひどい。とりわけ週末はかしましい。排気ガスで汚れた空気を肺いっぱいに吸い込む。雲一つない空だが、星はほとんど見えない。かろうじて北極星とオリオン座が見分けられる程度だ。輝く街灯とネオンが夜闇を駆逐し、眠らない街で人々は享楽にふけっている。他人に無関心な大都会では、袈裟を着た長髪の男が路上を歩いていても、訝しげな視線を時折投げられる程度だ。
 手に大きな紙袋を持った男とすれ違う。足早に駅へ向かう彼はこちらに見向きもしない。中身は子どもへのプレゼントだろうか。もうクリスマスまで数日もない。店先は赤と緑に彩られ、ウインドウに白いスプレーでツリーの絵が描かれている。店から流れる音楽もクリスマス一色だ。
 百貨店の階段の下で段ボールを広げ、その上で寝そべるホームレスは、誰の目にも映らない。薄汚れた男が、同じく薄汚れたありったけの衣類にくるまっている。
 慣れた足取りで街を歩いてゆく。よく遊びに来た街だった。たった一人の親友と永遠に決別した街だった。次々と店は入れ替わるが、通りは変わらない。大型の商業施設が建ち並ぶ駅前から続く人工の光が夜を塗りつぶしている。その反動のように、建物と建物に挟まれた細い路地には、明るすぎる電気の光が作り出す暗がりがわだかまっている。
 そこには、人には見えないモノがいる。人から生まれたくせに人の姿をしていない醜悪極まりないそれらが、視界の隅でうごめいている。原初の感情から生まれたそれらは獣のようだ。力が強くなるほどに、知能が高くなり、人の姿に近づくのは何かの皮肉だろうか。人を人たらしめるのは理性だというのに、呪霊として強くなるほどに――恐れや恨みをため込むほどに、姿も知能も人に近づく。
 人が多ければ多いほど、呪霊は数多く生まれる。幸せそうな顔で手を繋ぐ男女、仲良く笑いながら歩く若い女たち。店をはしごするつもりなのか、酒の入ったテンションで店から出てきて、騒ぎ立てながらぞろぞろと歩く若い男たち。
 駅から遠ざかるほどに、夜は本来の色を徐々に取り戻してゆく。だが、まだ足りない。この巨大すぎる街では、歩ける距離に完全な夜はない。人工の白夜が広がるばかりだ。
 何も知らない酔っ払いが路上で眠っている。すぐ先の未来でこの世から消え去る運命とはつゆ知らず。
 幸せの裏には必ず不幸がある。誰かの幸せは誰かの不幸せだ。誰かを踏みつけて享受する幸せだ。彼らの垂れ流す負の感情が化け物を作り、どこかの誰かを傷つけ、殺す。皆が一様に幸せになることなんてありえない。人は怒り、悲しみ、妬み、恨み、そうやって息をしている。同じ姿をしているくせに、同じ人ではない。垂れ流された感情の後始末を一手に背負わされる者がいることを知らない、無知で蒙昧な猿だ。
 時々、自分は呪霊と似ているのではないかと思うことがある。負の感情を原動力としているのは、己も同じだ。怒りを忘れるな、あの瞬間を忘れるな――そうして幾度も反芻しては、湧き上がる新鮮な憤りを糧としている。
 幾多の呪霊を飲み込んだこの身は、まだ人の姿をしている。調伏した呪霊が己の制御を外れたことはない。だからまだ人でいる。数多の呪霊を――誰かの廃棄物をため込んで、それでもまだ人でいる。不味いと思うこの感情も、呪霊を産むことはない。――けれど。
 路上で言い争う声がする。街灯が作り出す影が、つかみ合っている二人の姿をアスファルトの上に描いている。
 人がいるから争う。人がいるから負の感情を抱く。人がいるから呪霊が産まれる。そういう人々を嫌悪する。嫌悪は紛れもない負の感情だ。
 人工の星々が沈まない夜で、いくつもの怒りを反芻する。久しぶりに見た親友の顔を反芻する。それが掻き立てるさざ波を丁寧に胸に刻む。
 ――この感情が呪霊を産むのなら、いかほどの醜さになるだろうか。

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