<2005/11/7>

「これあげる」
「何、急に」
 一番乗りで教室に入って、硝子はぼんやりと窓の外を眺めていた。すっかり秋になって、高専の敷地内では気の早い木から紅葉が始まっている。ここは東京とは名ばかりで、かなり冷え込む地域だから、紅葉も始まるのが早い。
「今日誕生日なんでしょ?」
 振り仰げば、長い黒髪を頭の後ろでまとめた同級生が何かを差し出した。
「ああ……そういえば」
 数日前、歌姫からもそんなメールをもらっていた。欲しいものはないかと尋ねられたが、特になくて適当に返事をした。そう言うと思った、と週末に遊びに行く約束をしている。
「自分の誕生日なのに忘れてたんだ。硝子らしいね」
「忘れてたんじゃなくて、夏油が覚えてるのが意外だったんだよ」
「たった三人しかいないんだから、忘れるわけないだろう」
「そういうとこ、夏油はマメだよね」
 モテそう、という言葉は胸の中にしまっておいた。誕生日を教えたことはなかったはずだけど――と思い返すが、もしかしたらどこかで教えたかもしれない。それとも学生証を見られたか。
 はいこれ、と夏油から手のひらに載る大きさの青いパッケージを渡される。一見するとそれは煙草のパッケージによく似ていた。
「何これ」
 言いながらもさっさとビニールを破って中身を出すと、白い紙に包まれた細長い物体が出てきた。中身も煙草とよく似ているが、ほのかに甘い香りがする。これは絶対に煙草ではない。
 硝子がじろりと夏油を見上げると、
「たまには禁煙しなよ」
 いい笑顔が降ってきた。ちょっとむかついた。
「いやだね」
 硝子はにべもなく答えた。ニコチンがない世の中なんて地獄だ。
 夏油は困ったように少し眉を下げた。
「歌姫先輩からも禁煙するように言われてなかった?」
「あー、そうだったかも」
 歌姫にも事あるごとに同じことを言われているが、従ったことはない。
 とぼけたように返事をすると、夏油は肩をすくめた。
「私が言えた義理じゃないけど。ほどほどにしておいた方がいいよ」
 硝子が何か言い返そうとしたところで、
「おはよー」
 馬鹿でかい人影が少し頭をかがめて教室に入ってくる。その視線が夏油と硝子を往復し、首を傾げた。
「――何してんの?」
「硝子が誕生日だから」
「誕生日?」
「そうだけど。五条もなんかくれるの?」
 五条が更に首を傾げた。体格に見合わず、子どもみたいな仕草だ。背丈ばかり伸ばして、中身が追いついていない。
「なんかあげた方がいいの?」
「そりゃあ誕生日なんだから……もしかして悟、友達いたことないのか?」
「え? ないけど」
 夏油がわざとらしく額に手を当てて天を仰いだ。
「箱入りめ」硝子は呟いた。
「何か言った?」
「何も」
 薄々そんな気はしていたので、硝子はさほど驚かなかった。三人の中では硝子がいちばん誕生日が早い。だから今まで明らかにならなかったのだろう。
「ないなら別にいいよ」
 どうせ夏油からもらったものも大した代物ではない。高校生にもなって誕生日にものをねだるのも恥ずかしい。
 しかし、五条は少し考え込んでからポケットに手を突っ込んだ。
「お菓子でいいの? じゃあこれ」
 手を出すように言われ、硝子は大人しくく手のひらを上に向けた。その上にころころといくつかの包みが落とされる。飴だ。最近冷え込んできたおかげで溶けていなかったが、さすがに誕生日プレゼントと呼ぶにはあまりにも雑だ。
 代わりのように、五条は硝子の持っていたパッケージから煙草の形をした菓子を一本抜き取る。
「へえ、これこんなふうになってるんだ」
 しげしげと菓子を眺め、五条は包装紙を剥がした。煙草を吸うように、先端を口にくわえる。
「わ、甘い。ラムネ?」
「ちょっと、勝手に食べないでよ」
「それ私が硝子にあげたんだけど」
「ケチケチしないでよ。一本くらい」
「こういうのは気持ちの問題なの」
 別に、菓子が欲しかったわけではない。本気で腹を立てたのでもない。五条の傍若無人っぷりに少し苛立っただけだ。
 だから、ほんの出来心で硝子は言った。
「来年はもっとちゃんとしたもの用意してよ」
「うん。いいよ」
 あっさり五条は頷いた。


          *


<2006/11/7>

「誕生日おめでとう!」
 そろそろ夕食を食べようかと硝子が食堂に入ると、クラッカーが鳴り響いた。軽い破裂音と共に紙のテープが降ってくる。
 奥に目を向ければ、安っぽい紙テープの輪っかと薄い紙を折りたたんで作った花が壁に飾られている。
「……何、これ」
 頭に乗っかった紙くずを払い落としながら、硝子は尋ねた。意図がわからなかったのではない。あからさますぎる。予想以上に派手だったから、ちょっと面食らっただけだ。こいつらと来たら、加減というものがわかっていない。
「まあまあ、とりあえずこれかぶって」
 近寄ってきた夏油に、すかさず何かを頭に載せられた。重さはほとんどない。手を伸ばしてそれを外し、目の前に持ってくる。いかにも手作りの、紙でできた王冠だった。上部が不揃いにギザギザに切られた画用紙を丸めて、色鉛筆で黄色に塗ってある。正面には赤い色鉛筆で宝石らしきものが描かれている。
 満面の笑みで五条がテーブルの上を指し示した。揚げ物に寿司、ピザ。いかにもパーティ仕様の食べ物が並んでいる。いつもの食堂のメニューではない。使い捨てのプラスチックの器に入ったそれは、二人がわざわざこの日のために準備したことを示している。山盛りで少々多いように感じるが、規格外に大きい食べ盛りの男子が二人もいればこんなものだろうか。
「買ってきたの?」
 少し呆れた声が出た。今日は二人別々の任務があったはずだ。反転術式持ちの硝子は最近、高専で待機することが多くなり、今日も留守番していた。それと反するように、二人は危険な任務をあてがわれることが増えている。
「そう。任務終わって走ってきた。駅で傑と待ち合わせてさ」
「悟と合流して慌てて買い物してたんだけど、間に合わなくなりそうになって。実は途中から私の呪霊に乗ってきたんだ」
「馬鹿じゃないの?」
 夏油の呪霊を高専の敷地内で出すと警報が鳴る。敷地外なら問題ないが、その場合は非術師に見られる恐れがある。その危険を冒してまでこんな用途に使うとは。
「硝子が入ってくる前に食堂の飾りつけしなきゃいけなかったし」
「オマエら馬鹿じゃないの?」
 言いながら、少し頬が緩んだ。気持ち悪いほど一緒に行動していたふたりが夏以降、距離ができたように見えて気がかりだった。今日の様子ではさほど心配する必要もないだろう。硝子の取り越し苦労だったようだ。
「二回も言わなくても」
 夏油が苦笑した。
「誕生日の飾りつけってこういうやつでしょ? テレビで見た」
「……夏油」
 硝子に視線を向けられた夏油が肩をすくめる。
「悟が意外と乗り気になってしまってね。別にいいじゃないか」
「悪いとは言ってないよ」
「プレゼントはー、これ!」
 うきうきと五条が箱を取り出した。一抱えほどの大きさの箱が百貨店の包装紙に包まれ、更にその上から白い熨斗が巻かれている。やけに高そうだ。
 受け取ってべりべりと容赦なく熨斗を剥ぎ取ると、落ち着いた色合いの紙箱が姿を現す。硝子はためらいなく蓋を開けた。
「おお……」
 しみじみとため息が漏れた。
 中に入っていたのは、美しい彩りの和菓子だ。たしか、テレビで紹介されていたのを見たことがある。季節をかたどった焼き菓子と、果実が透けたゼリー。あまり高校生らしいプレゼントではないどころかお中元やお歳暮じみているが、良家の子息らしいといえばらしい。ような気がする。硝子にも正直、そのあたりはよくわからない。結局、硝子だって二人の誕生日にろくなプレゼントを渡さなかったのだ。他人のことをとやかく言えない。
 とはいえ、少々量が多すぎる。
「なんかお歳暮みたいだね」
 硝子の考えることを見透かしたように、夏油が言った。
「ちょっと量が多い」
「歌姫と食べればいいよ。日持ちもするしね」
「あ、これは食べたいって言わないんだ」
「別に珍しいもんじゃないし」
「あっそう」
「私からはこれ」
 夏油が小さな箱を出した。手のひらに載るような可愛らしいサイズだ。こちらは赤いサテンのリボンが巻かれている。
 開けると、金色のヘアピンが入っていた。植物をかたどったようにくるくると渦巻くデザインで、華美ではないがかわいい。高級すぎず、安っぽくもない絶妙な塩梅だ。
 こちらはこちらで、男子高校生っぽくない。いや、女にモテる男というのはこういう感じなのだろうか。身近にいる母数が少なすぎてよくわからない。装飾品は邪魔になるし、髪も短い硝子にはこれくらいがちょうどいいのは間違いないけれど。デザインもかわいいし。
「硝子、ちょっとつけてみてよ」
 五条が言うのに素直に従って、硝子はピンを前髪に挿した。
「どう?」
「お、似合ってるじゃん」
「うん。見立て通りだね」
「夏油、いつから私の彼氏になったわけ?」
「気に入らない?」
「そういう意味じゃない」
 でも、と硝子は髪に触れた。女の子扱いされるのは悪くない気分だ。呪術高専でそんな機会はめったにない。普段ならされたくもないが。
「来年も楽しみにしてるから。特に五条」
「え、俺?」
「ちゃんとした誕生日プレゼント、用意してよ。菓子折りじゃなくて」
「菓子折りじゃだめ?」
「普通はだめ」
 五条が助けを求めるように夏油に顔を向けた。
「まあ、普通はあげないよね」
 夏油が苦笑する。「だから手伝おうかって言ったんだよ。一人で選ぶと言ったのは悟だろう」
 五条は不満げな顔をした。
「硝子、この前テレビでこれ見て食べたいって言ってたじゃん」
「そういえばそうだったかも……よく覚えてたね」
 そんなことを言っただろうか。自分でも忘れていたのに、五条は意外とよく見ていたようだ。
「じゃあ来年リベンジね。硝子も用意してくれるんだよね」
「もちろん」
「私も分もあるよね」
「任せておきたまえ」
 もったぶった言い回しを選んだ硝子に、夏油と五条は口を開けて笑った。


          *


<2007/11/7>

 暮れなずむ夕陽を見るともなしに見ながら、硝子は青い煙草のパッケージを取り出した。本来の中身はとうに空だ。軽く箱を傾けて、中から一本つまみ出す。
「それ一本ちょうだい」
 窓際に肘をついて視線を外に向けたまま、五条が言った。
「ん」
「ありがと」
 視線を動かさないまま、五条がそれを口元に運んだ。赤い唇が薄く開き、濡れた白い歯がそれをかじる。
「これ、やっぱり食べる前にこうしてさ――」
「あ、それ、」
 硝子が言いかけるのと、五条がそれを吐き出すのは同時だった。
「ちょ、これ、煙草じゃん」
「そうだよ」
 匂いで気づきそうなものだが、五条は視覚情報に頼りすぎて、他の感覚をおざなりにしがちなところがある。あまりにも見えすぎる眼のもたらす情報量が過剰なのだろう。
 舌を出した五条が顔をしかめてみせる。
「紛らわしいことしないでよ」
「なんか、捨てるのもったいなくて」
 引き出しを開けたら、捨てるのを忘れたその箱が入っていた。ちょうどいいからと手持ちの煙草を詰め替えてみたのだ。今更、硝子が煙草を吸っていたところで注意する人はいないが。
 もう二年も前の誕生日プレゼントだ。我ながらよく持っていたと思う。
「だからってこんな……」
 ぶつぶつ言いながらも、五条は煙草を大事そうにつまんだ。それ以上の文句が紡がれることはなく、サングラスをかけたまま窓の外をぼんやり眺めている。
 高専の敷地内に生える木々は紅葉を始めている。見かけだけの神社仏閣が乱立する中に混ざるそれらは、色づけばそれなりに美しい。これを見るのは三回目だった。そして、二人になって初めて見る。
 硝子は黙って煙草に火をつけた。五条も何も言わない。
 口うるさい同級生の片割れがいないだけで、こんなにも静かだ。あれほど騒ぎ立てていた五条も口数がめっきり減った。本来の性格はこちらだったのだろう。
「ねえ、私の誕生日プレゼントは?」
「あ?」
 五条が振り向いた。サングラス越しに無防備な表情をしている。
「私、誕生日なんだけど。今年はリベンジするんじゃなかったの」
 五条の視線が壁のカレンダーに向いた。
「そうだった」
「忘れてたの?」
「そういうわけじゃ……いやすみませんでした硝子様、忘れてました」
「別に期待してないからいいよ」
「どっちだよ」
 煙草を携帯灰皿に押しつけた。
「何でもいいよ」
「何でもがいちばん困るんだよ」
「欲しいもの、別にないし。ていうか本当に欲しいものは自分で買うし」
「まあ、硝子はそうだよね」
「結局さ、もらえるのが大事で、中身は何でもよかったわけ」
「……うん」
 五条が再び頬杖をついた。視線が下を向く。その瞳に何が映るのかを知る者はいない。硝子は知らないし、たぶん、こいつの親友も知らなかった。
「馬鹿だなあ、オマエら」
 ――誕生日にかこつけて騒ぎたいだけだったくせに。安っぽい飾りつけの記憶が頭をよぎる。その後の五条と夏油の誕生日は、それはそれは趣向を凝らして仕返ししてやったのだ。
 次はない。
 同級生はおろか、上にも下にも女子はいなかった。だけど、異性の友達というのも悪くなかった。硝子もそれなりに楽しかった。それは嘘ではない。
「何でもよかったんだよ」
「うん」
「こんな、くだらないものでも」
 青いパッケージを持って、なんとなく中身を振ってみる。紙の擦れる軽い音がした。
 ぎくしゃくし始めた二人の橋渡しにはならなかった。それを後悔したことはない。自分たちのことは自分たちで解決すべきだ。その結末も、自分たちで受け止めるべきだ。ずっとそう思っていたし、今もそう思っている。何年経ってもそう思っているだろう。
 硝子は二人の母親でも姉でも、まして恋人でもなく、ただ同時に高専に在籍して、机を並べて授業を受けていただけだ。
 たまたま、同じ時間を共有しただけだ。それ以上でもそれ以下でもない。
「今、これしか持ってないけどいい?」
 ポケットをあさった五条が立ち上がり、硝子の目の前に何かを置いた。
 開いた拳からころりと落ちたそれを硝子はつまむ。
「またこれ?」
 飴だ。無下限呪術を二四時間稼働させているから、持ち歩くのが習慣になっているのは知っている。なんて芸がない。
「来年は用意するから」
「期待して待ってるよ」
「めちゃくちゃ期待しててよ、びっくりさせてやるから」
「何、車でもくれるの?」
「車欲しいの?」
「いや全然」
「じゃあ何が欲しいの?」
「それは……」
 金で買えるものなら自分で買う。なら、人からもらいたいものは何だろうか。
「……何だろうな」
 何も思いつかなかった。元来、物欲の強い性質でもない。
「五条は?」
「僕?」
 五条が腕を組んで唸る。「……休み?」
「ははっ、そりゃそうだ」
「いくら僕が最強だからってさあ、最近働き過ぎじゃない? まだ未成年なんだけど? 僕の人権ってないの?」
「ないでしょ。ていうか言うほど働いてる? よくサボってるって聞いたけど」
「誰から?」
「誰でもいいでしょ」
 ぶすくれた五条の顔が不細工で、少し笑った。
 勝手に大人の階段を駆け上り始めた五条の背が遠ざかってゆくようで、時折ふと戻ってくる。
「――あ」
「何?」
「何でもない」
 きっと、そんな瞬間が欲しいのだと思った。

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