「ママが死んだのは、パパのせいって本当なの」
 今まで父親だった男の顔を見る。今や、彼は赤の他人だ。それどころか親の――わたしの生みの親の――仇だ。
 母は死んだ。この男のせいで。いくらでも方法はあっただろう。それとも、これはお門違いの恨みなのか。
 わたしは子どもで、何も知らなかった。実の父の顔は知らない。母の顔さえおぼろげだ。圧倒的な疎外感だけがあった。
 どうして話してくれなかったの。わたしに暗号の読み方を教えて、変装の見破り方を教えて。どうしてそんなことをしたの。母の件を隠蔽するためにわたしを引き取ったなら、身分を偽るために娘が必要だったなら、普通の親子の振りをしていれば十分だったのに。
 それなのにどうしてわたしにスパイの教育をしたの。どうして。
 ――こうなることを、予想していなかったの?
 疑問だけが渦巻いている。唇を噛みしめた。疑問が口をついて出てしまいそうだった。
「否定はしないのね」
「事実だからね」
 父が答えた。悲しいくらい、いつも通りの顔だった。
 銃を握る手が汗ばんで滑る。わたしは銃をしっかりと握り直した。
「当局の下した処分は?」
「わたしに一任するそうよ」
「それはそれは――」
 父はかすかに微笑んだ。
「パパのこと、嫌いになったかい」
「今でも好きよ」
「そう、それはよかった」
 つい先ほどまで親子だったふたりが銃を挟んで対峙している。わたしたち、一体何をやっているのかしら。
 ちらりと胸をよぎった空しさはすぐに霧散した。だって、わたし、本当は知っていたんだもの。知らない振りを続けていただけ。
 父親からあんな教育を受けて、怪しまないとでも思ったのだろうか。馬鹿みたいだ。
 ねえ、わたし、薄々気がついていたのよ。
 時々ひどく冷たい表情をしていたこと。知らない人へ手紙を書いていたこと。電報を受け取って表情をこわばらせていたこと。昔話に混ざる、一片の真実。挙げてみればきりがない。いったん疑いを持ってみれば、あらゆることから浮かび上がってくる。
 部屋の引き出しは本当は二重になっているし、日系人として破格の収入を得られる職業でもなかった。わたしが気づかないと油断していたのかしら。
 それでもよかったのだ。父と暮らしていければ。
 目を瞑って過ごしてきた。
 その上で、この職業に就いたのだ。父と同じ道をたどり、ここに行き着いた。すべてはわたしの決断だ。
 ――予想できたことだったのに、もしかしたら、と限りなく低い可能性に縋っていた。
 父がこめかみをとんとんと指で叩いた。さあ早く撃てと言わんばかりに。
「よく狙ってくれよ。苦しいのはごめんだ」
 示された通りに銃を持ち上げ――わたしは失笑した。
「馬鹿ね、パパ。確実に殺したいなら、頭じゃなくて胴体を狙うんでしょ、パパが言ったのよ」
 わたしは銃口を下げ、父の心臓に狙いを定める。これなら、少々的を外しても殺せる。この距離で外すほど腕が悪いわけではないけれど、万が一があるかもしれない。
 それに、パパのきれいな顔を損なうなんて真似はできないもの。
 さようなら、パパ。
 わたしはためらわず、引き金を引いた。
 父は逃げない。
 贖罪だなんて、つまらないことを考えているのかしら? でも、許してなんかあげないわ、だって、許したら忘れてしまうんだもの。
 ねえ、パパ。わたし、絶対忘れないわ。
 真っ直ぐ飛んでいった銃弾は、狙った場所を寸分違わず貫いた。


 ――あなたが、たとえ仮初めであったとしても、わたしの父(パパ)だったってこと。

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