「結婚式、初めて見たな……いいなあ……」
 まだ恍惚とした表情の縢が呟いた。いつもの洒脱なスーツではなく、きちんとしているがフォーマルすぎない礼装に身を包み、髪もヘアピンは外して丁寧に撫でつけている。手錠じみた執行官デバイスだけがいつもと同じだ。
 宜野座も似たようなものだ。いつもより少しだけ明るい色合いのスーツに、明るいグレーのベスト、やはり明るい色で光沢のある素材のネクタイ。シャツにもほんのり色が乗っている。こういう格好をするのは宜野座も初めてだった。
 先ほどまで、二人は事件の捜査協力者の結婚式に出席していた。自動調理機(オートサーバ)への異物混入事件で知り合った、六雁と光葉の結婚式だ。
 披露宴を終えて、少し離れた場所へ停めた車に向かって宜野座と縢は歩いている。青柳と征陸も招待されたが、他の招待客のことを考えて一足先に車に戻っている。縢が六雁・光葉と嬉しそうに話していたから、引き剥がすタイミングを逸してしまったのだ。
「ドレス着てる女の人ってなんであんなにきれいなんスか? そりゃあむっさんはきれいだけど、美人って感じとはちょっと違ってたのに」
 酒など入っていないのに足取りさえふわふわしている縢は、まるで子どものようなことを言う。
 ――事実、縢は子どもだ。年齢ではなく、社会経験において。五歳で潜在犯になって、それからずっと施設育ちでは、健全な社会経験など積めるはずもない。
「ウェディングドレスは女をいちばん美しく見せるんだそうだ」
 潜在犯を嫌悪しながらも、そういう縢の欠落を見ると、胸の奥から湧き上がる何かがある。まるで憐れむような。まるで同情するような。
「それ誰が言ったんですか」
「知らん」
「コウちゃん? いや、とっつぁんかな。うーん、でもこういうロマンチックなこと言うのってセンセー?」
「だから、覚えてないと言ってるだろう」
 宜野座の言葉など聞いていないのか、縢はまだうっとりと先ほどの光景を反芻しているようだった。
 たしかにそれは美しい光景だった。ホログラムではないドレス、ホログラムではない日差しの差し込む窓の下で、二人は愛を誓った。張りぼての結婚式場ではなく、二人の店での気取らないレストラン・ウェディングだ。なるべく本物の資材を使って精一杯飾り付けられた狭い店内は年季の入りようを隠せていなかったが、その分親しみやすさはあった。顔見知りの面々だけでの挙式は、あるべきものがあるべき場所に収まったかのような、ぴたりとピースが嵌まったような、そういう気持ちのいい空間だった。
 ――宜野座にも縢にも縁遠い風景だ。
 隔離されていた縢はともかく、宜野座も結婚式に出席するのは初めてだった。最初は行くのを渋っていたが、体面もあって〝引率〟として出席することにした。今日の装いに征陸が眩しそうに目を細めたのは、見なかったことにした。征陸のそういう格好を見るのも初めてだったが、努めて何も考えないようにした。
「今日の料理、俺のレシピも使われたんですよ。どれかわかりました?」
「さあな」
「えー、もうちょっと考えてくれてもいいじゃないですか」
 ぶつくさと縢が垂れ流す文句を適当に聞き流し、宜野座は車の運転席のドアを開けた。まさか護送車でやってくるわけにもいかないから、公安局の公用車にホロを被せて縢を連れてきた。征陸は青柳の車だ。宜野座が指示したのではなく、自然とそういう配置になった。宜野座と同乗することになった縢はしばらくうるさかったが、今はきれいさっぱり忘れているようだ。
「やっぱ料理っていいっスね! オートサーバじゃなくて、自分で料理するの」
「どれもハイパーオーツなんだ、時間がかかるだけだろう」
「天然食材が手に入れば違いますって」
 天然食材は色相を濁らせる恐れがあるから、普段は口にしない。流通量も激減した。だが、捜査の途中で食材を譲ってもらってから、縢は興味津々の様子だ。征陸も余計なことを教えたものだ。宜野座は少し眉をひそめた。こういうアナクロな趣味の出所はたいてい征陸だ。自分のことを棚に上げてそう思う。
 征陸がこんな店に連れてこなければ、縢が料理に興味を持つこともなかった。天然食材の味を知ることもなかった。檻の中で育ち、檻の中で一生を終える定めの縢に外の世界を教えてやるのは、はたして幸せなのだろうか。
 ――猟犬の心配をするなんて自分らしくない。猟犬は狩りができればいい。そのためだけに生かされているのだから。宜野座は軽く頭を振って思索を追い払った。
「天然物は高価だぞ」
「給料もらったって出歩けないんじゃ使い道ないっスよ。それなら料理してる方がマシってもんでしょ。人に食わせる方が楽しいじゃないですか」
「ああ……狡噛に料理を出したんだって?」
「コウちゃんから聞いたんスか? そう、俺のレストランっスよ。ギノさんもどうです?」
 小耳に挟んだだけだが、どうやら本当だったらしい。この調子では、いずれ食材を大量に購入申請してくるに違いない。そして、それを承認するも却下するのも宜野座の役割なのだ。
「俺はいらん。いいからさっさと乗れ。帰るぞ」
「へーい」
 存外大人しく、縢は助手席のドアを開けた。
 縢がシートベルトを着用したのを見て、宜野座は車を発進させた。
 縢がウインドウを少し下げる。吹き込む夜風が二人の髪を揺らした。道路は空いている。完全自動運転が実用化されて以降、人口の減少も相まって渋滞は珍しいものになった。昔、父に車に乗せてもらった時にはまだ渋滞というものがあったような気がする。アナクロ趣味の父の車は自動運転ではなかった。油の臭いのするあれを維持するのも大変だっただろう。
「考えてみたら、ギノさんが助手席に乗せてくれたの初めてじゃないっスか?」
「そうか?」
「そうっスよ」
 うんうんと縢は一人で頷いている。
 宜野座はちらりと横目で縢を見た。運転は自動モードだ。ハンドルが勝手に動いて執行官の宿舎まで連れて行ってくれる。
「護送車は暗くていけない。こっちの方が快適っスね」
 ――まるで普通の人間のように扱われて。
 流れるように過ぎていく光を見つめる縢の横顔は、さっきと打って変わって静かだ。まるで町並みを目に焼きつけているかのようだった。この光景も、初めて見るのかもしれない。執行官には並みの潜在犯と違って外出する権利があるが、すべて監視官の同伴を前提としている。宜野座はまだ、縢の外出に付き合ったことはない。今回が初めてだ。
「……たまになら、外出に連れて行ってやらんでもない」
 犬の健康維持には散歩が欠かせないし――と誰が聞いているわけでもないのに胸の内で言い訳する。
 縢が不思議そうに首をひねった。
「ギノさん、なんかいつもと違いません? こっちの調子が狂いそうっス」
「大きなお世話だ」
「やっぱさっきの結婚式にあてられてます?」
「知るか」
「はあ……やっぱりいいなあー、俺結婚できないし」
 さらりとこぼれた言葉の重さを、宜野座は無視した。縢もそんな意図はないだろう。同じ車に並んで座っていても、二人の間にははっきりと線が引かれている。
「ギノさんは結婚しないんスか?」
「うるさい」
 宜野座は今日初めて、機嫌が降下するのを感じた。
「せっかく結婚できるのに、なんでしないんですか? 監視官ならよりどりみどりっしょ?」
「黙れ」
 眉間に皺を寄せながら、宜野座は結婚式の様子を思い出す。二人は幼なじみだったという。幼なじみという言葉は、宜野座には馴染みが薄い。高等教育課程以前の親しい学友は存在しない。唯一、親しいと呼べるのは狡噛だ。狡噛以外に親しい人を作ることはこの先もないだろう。たとえ、狡噛が宜野座のことを忘れても。
 他人を羨んでいるわけではない。嫉妬などというものもなかった。市民の安全は守られるべきだ。シビュラシステムが結婚を勧めたのなら、結婚するべきだ。それがシステムの保証した幸せなのだから。
 シビュラシステムの相性診断を使ったことはなかった。周りに親しい人がいなかったからというのもあるし、万が一、高評価が出てしまったら困るからだ。自分に向いていたのと同じ視線が〝愛する人〟に向くのに耐えられる自信はない。
「ま、こんな仕事してたら、仮に結婚する権利があっても結婚する気なくなるっスよ、いつ死ぬかもわかんないし」
 ――いつ潜在犯になるかもわからないし。
「でも、むっさん、きれいだったな」
「そうだな」
 暗闇を切り裂く車の灯火を見つめながら、宜野座は短く同意した。青柳もいつかは着るのかもしれない。六合塚と唐之杜のことはよくわからない。もしかしたら、二人ともドレスを着たがるかもしれない。そもそも二人とも潜在犯だから結婚はできないけれど、もしかしたらいつの日か。
 きっとそれは、とびっきり美しい光景なのだ。
「なんか、この仕事っていいなって思ったんスよ」
「――同感だな」
 縢がまじまじと宜野座を見つめた。
 少し恥ずかしくなって、宜野座は火照る頬を隠すように眼鏡の位置を直した。
「やっぱギノさん、今日なんか変」
「うるさい」
「ギノさん、彼女できたら教えてくださいよ。約束っス」
「そんな約束はしない」
「ケチ!」
 縢とは反対の窓に顔を向けて表情を隠した。頬が熱い。こんな顔を見せたくなかった。

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