「外出申請? しかも丸一日?」
「そう。ギノさん、連れてってくれるって言いましたよね」
「そんなこと……」
 否定しかけて、宜野座は思い出した。そういえば先日、そんな会話をしたのだった。捜査協力者の結婚式に出席した折、柄にもなくそんなことを言った。その時の縢があんまりにも子どもに見えたから、わがままのひとつくらい叶えてやってもいいかなと思ったのだ。我ながら何を血迷っていたのだろう。潜在犯にそんなことをしてやる義理はないのに。
「丸一日は無理だ。そもそも通販でもいいだろう」
「やだ! 外出したい!」
 子どものように縢が駄々をこねる。床の上でじたばたしないのが不思議なくらいだ。やられたらさすがにみっともないが、縢にも最低限の理性はあるらしい。
 とはいえ、執行官の外出申請は認められた数少ない権利だ。むやみやたらと拒否するのもよくない。飼い犬の心理的ケアも飼い主の責任だ。
「お、縢、どこ行くんだ」
 狡噛が首を突っ込んできた。まだ了承していないというのにこいつは――と宜野座は腹立たしくなる。
「えっとお、まずは新しい服でしょ。それから包丁! やっぱ実物見ないとわかんないっしょ。むっさんからもらったやつもよかったんだけど、こう、マイ包丁が欲しくて」
「包丁だと?」
 聞き捨てならない言葉に宜野座は眉を吊り上げた。
「駄目っスか?」
「駄目に決まっている」
「なんで⁉」
「服はともかく、包丁なんて許可できるわけがない。潜在犯に刃物の所持を認めるなんてどうかしている」
 宜野座は冷たく言い放った。
「別にペン一本、ヘアピン一本で人殺せるのに、なんなら素手でも簡単に殺せるのに、なんで包丁だけ厳しいんスか⁉」
 さらりと恐ろしいことを言いながら、縢はつかみかからんばかりの勢いでわめいた。
「お前は刃物の恐ろしさを知らない。あれはすぐに手が切れて――」
「それギノさんが不器用だからっしょ⁉ 俺そんなことしねえって! だいたいもう包丁持ってるし!」
「ギノ、料理したことあるのか?」
 うっかり余計なことを言ってしまったことに気づいて、宜野座は咳払いした。たしかに縢が言うことにも一理ある。あの時、包丁まで含めて六雁から譲り受けた調理器具に許可を出したのは宜野座だ。我ながら迂闊だった。今から取り上げられないだろうか。
 縢はじっとりと宜野座を見つめている。取ったボールを絶対に飼い主に渡そうとしない犬の目だ。おやつで釣ってもなだめても叱ってもだめな時の目だ。
「……服はいいが、新しい包丁はだめだ。もう持ってるならなおさら要らないだろう」
「じゃあ外出はいいんスね⁉」
「……いいだろう」
 しぶしぶ宜野座は頷いた。当直の執行官のために、後で二係から青柳を借りてこないといけないだろう。監視官が一人しかいない現状は常に頭痛の種だ。
 ぱっと縢が顔を輝かせ、いそいそと紙を取り出した。手書きで線が引かれ、日時と場所が書き込まれている。
「はい、これ日程表っス」
「まるで遠足のしおりじゃないか」
 どこか感心したような征陸の言葉を宜野座は無視した。構うと昔話を始めてしまう。
「誰の入れ知恵だ」
「コウちゃん」
 宜野座が睨みつけても狡噛は素知らぬ顔をしている。ふてぶてしい態度だ。執行官を拷問する権利が欲しいと切に思う。
 飼い主をよそに、世間知らずの縢は征陸と狡噛の言うことばかり聞いて、変な知恵をつけてくる。配属早々に狡噛にシメられたせいだろう。その狡噛が一目置く征陸に、縢も尊敬のような念を抱いている。どいつもこいつも、飼い主が誰かわかっていないと見える。
「日程がきついな。ギノ、休みはあるのか」
「誰のせいだ!」
 狡噛はどこ吹く風だ。
 仕方なく、宜野座は日程表を読んだ。字が汚い。施設で矯正されなかったのだろうか。――そういえば縢がいたのは、自傷行為を恐れてペンすらろくに与えられないところだ。今時、手書きもめったにしない。
「朝一〇時出発、車で原宿まで。そこからショップをいくつか見てまわり、一二時半に昼食。午後は移動してかっぱ橋――ってお前」
 かっぱ橋の道具街は、食器や調理器具が並ぶことで有名だ。捜査の一環で訪れたことがある。自動調理機(オートサーバ)の普及により店舗数は随分と減ったが、今でも好事家相手に細々と営業を続けている。
「あ、バレました?」
「逆に何でバレないと思ったんだ?」
 愛想笑いをする縢の目が泳いでいる。
「包丁が駄目ならキッチンばさみとか……」
「同じじゃないか」
「全然違いますって! 包丁とはさみじゃあ使い心地とか――」
「はさみも危険物だ」
「それを言うなら事務用のはさみだって許可できないだろ。縢が言ってたみたいに、別にそこら中のもので人は殺せるしな」
「お前は口を出すな。話がややこしくなる」
 素手で人を殺せそうな屈強な肉体をした狡噛が言うのに苛立ちが増す。こいつの筋肉を見ていると、下らない劣等感でちくちく刺される気分になる。
「見るだけでも! この通り! お願いします!」
 縢は両手を合わせて拝むようにポーズを取る。
 征陸が喉の奥で笑った。まるで子ども同士の喧嘩を見守るような眼差しだ。
「連れて行くだけならいいんじゃないか、伸元。縢は何も知らないんだ」
「外の世界を見て経験を積むのは、刑事の勘を養うのにもいいぞ」
 反論しようとした宜野座に、たたみかけるように狡噛が言葉を被せてくる。
「……帰宅は何時のつもりだ」
「いいんスか⁉」
「縢、お前は世間知らずすぎる。少しは外の世界を見て学べ」
「やったー!」
 その場で小躍りしかける縢に、宜野座は嫌味を言った。
「それから、この報告書を仕上げるまでは外出は認めない。いいな、誤字脱字も直すんだぞ」
「そのくらいお安いご用っス!」
「――できるなら最初からやれ!」
 残念なことに、宜野座の怒鳴り声に動じる者は一係にはいなかった。



「おはようございまーす!」
「……乗れ」
 車を回したのは宜野座だ。パトカーにホロを被せて普通の車のように見せかけている。潜在犯を電車に乗せるわけにはいかないから、外出はこれが基本だ。
 乗り込んだ縢が不服そうな顔をする。今日はスーツを着ていない。若者らしいカジュアルな服装だ。
「せっかくの休日なのにパトカーなんて……ギノさん、車買いません?」
「買わない」
 自家用車を所持する理由もない。ほとんど職場と自宅の往復しかしないから公共交通機関で間に合う。たまの外出は自動運転タクシーで十分だ。手動運転を楽しむ趣味もない。
「ギノさんの私服ってそんな感じなんスね」
「なんだ。何か文句でもあるのか」
「いやいや。めっそうもない。ただ、ちょっと――」
 何か余計なことを言いそうになったので、宜野座は車を発進させた。慣性の力でシートに押しつけられた縢は口を閉じた。
 すぐに開く。
「ギノさんって遠出嫌いそうっスよね。休日何するんですか?」
「犬と植物の世話」
「うわ暗っ」
「なんだと?」
「待って待って冗談っスよ、帰らないでください。――ていうか犬飼ってるんスか?」
「子どもの時からな」
「えー、見たい! 連れてきてくださいよ」
「ペットを職場に連れてくるか」
「別によくないっスか?」
「いいわけないだろう」
 縢がいつもより少し騒がしい気がする。やはり外出を楽しみにしていたのだろう。
 助手席で縢は紙切れを開いている。例の日程表だ。遠足のようだと言った征陸の言葉は当たっている。事実上、これが縢にとって初めての遠出だろう。
「……ほら、着いたぞ」
 駅前の駐車場に車を停めて、二人は降り立った。平日だからか、思ったより人は少ない。
「なるべく早く済ませろ」
「せっかく来たんだからゆっくりしたいんスけど」
「潜在犯を一般市民と長時間接触させるのはよくない」
「ちぇー」
 縢が口を尖らせながら店に入る。宜野座も後を追った。
 店に入れば、後は見ているだけだ。近づいてきた店員に縢を押しつけるようにして、宜野座は店の隅の椅子に腰を下ろした。それなりに広い店の奥にはミシン、壁には大きな鏡がいくつかはめ込まれている。スーツを着たトルソーが昔ながらに並んでいる。ホロコスが一般化した今、リアルの服に金をかけるのは趣味人のやることになっている。
 縢は採寸しているようだった。ドローンから照射される光が縢の全身を一撫でし、人間の店員が端末を手に近づいてくる。
 何やら話し込む二人を尻目に、宜野座は立ち上がり、店を軽く見ることにした。様々なデザインの服が吊り下げられている。スーツと合わせるシャツが棚一面に並んでいる。少しずつ色合いや衿の形が違う。宜野座の好みではないが、趣味は悪くない。執行官にはレイドジャケットも与えられないから、スーツの動きやすさは極めて重要だ。
「ギノさん、これどうスか!」
 ぱたぱたと足音が聞こえるような足取りで、縢が駆け寄ってきた。薄くストライプが入っている濃いグレーのジャケットに、細かいチェック柄のワイシャツを試着している。衿だけが白い。
「やっぱ派手ですかね?」
「いつもあんな格好をしておいてよく言うな」
 いつもの縢の格好を思い浮かべる。黒いシャツにワインレッドのネクタイ――まともな勤め人には見えない。刑事課は服装規定が限りなく緩い。執行官はともかく、キャリア官僚の監視官ですらそうだ。
「でも色は黒じゃないっスか!」
「黒ければいいという問題じゃないだろう。シャツまで黒いなんて堅気には見えない」
「いや俺、堅気じゃないし」
 自虐でもなんでもなく、縢がそう言った。今更なので宜野座も気に留めない。
 宜野座はじっくりと縢の全身を眺めた。縢は身長こそあまり高くないものの、細身ながら俊敏な身のこなしだ。髪の色も明るい。何より、施設育ちとは思えないほどやたらと明るい――少なくとも人前ではそう振る舞っている。
「まあ、いいんじゃないか」
「それ適当に言ってません?」
「違う。……お前にはそういうカジュアルな柄が似合うと思っただけだ」
「へえ」
 縢がにやにやと笑った。
「じゃあこれにします」
「おい、そんなにあっさり決めていいのか」
「まだ他の店も見るんで!」
 だから付き合ってくれと顔に書いてある。宜野座が途中で帰る可能性なんて微塵も考えていない。これを信頼と呼ぶべきか、少し悩んだ。
 会計を済ませて別の店に入り、今度は私服を購入する。縢の隣から日程表を覗き込むと、いくつも店名が書かれていた。よくもこれだけ調べ上げたものだ。伊達に執行官適性が出たわけではない。普段からこのまめさを発揮してほしいものだ。
 縢が通りの向かいの店を指さした。たしか、あれは日程表に書かれていない。
「ギノさん、あの店も入っていい?」
「――好きにしろ」
 今日の宜野座はただの付き添いだ。そう答えると、縢は嬉しそうに笑う。その笑顔は悪くない。
 いくつ店を見たかわからなくなった頃、デバイスで時間を確認すると、レストランの予約時間ぎりぎりだった。
「おい縢、時間がないぞ」
「えッ⁉」
「さっきの店で時間をかけすぎたんだ」
「仕方ないじゃないッスか! 俺初めて来たんスよ⁉ こんな機会めったにないんスよ⁉」
「いいから走れ!」
「なんで休みなのに!」
「それはこっちの台詞だ!」
 ぎゃあぎゃあわめきながら、二人はきれいに整備された道を走った。
 なんとか予約時間に間に合って入店する。案内された席に座ると、額や首筋にかいた汗が冷えて少し寒く感じる。
「ここ、グストーのオートサーバが入ってるんスよ」
「ああ、あの事件の」
「そ。天然食材を使った料理を再現してるんスよね」
 レストランも縢の希望の店だ。予約を取ったのは宜野座だ。天然食材を食べたいと言い出さなかっただけ、まだ分別はあったようだ。もしそうなら、さすがに宜野座は許可しなかっただろう。
 メニュー画面とにらめっこしながら真剣に悩む縢を見る。普通の若者みたいな顔をしている。これで図体は小さくとも獰猛な猟犬なのだから、人は見かけで判断できない。
「おい、そろそろ決めろ」
「でもどれもおいしそうで……あー、ひとつになんか決められないッスよ!」
 また来ればいい、とは言わなかった。約束するには、宜野座たちは確証のない未来を生きている。
 席に置かれた端末で注文を済ませると、縢はどこかぼんやりした顔で店内を見渡した。穏やかで適度に賑やかな空間だ。
「トモダチと遊ぶってこんな感じなんスか?」
「どうだかな」
 ――むしろ、どちらかと言えば彼女の買い物に付き合っている彼氏だ。既製服は宅配しているし、スーツは仕上がるまで数週間かかるから手ぶらなのが救いだ。一昔前なら荷物持ちをさせられているところだっただろう。
 宜野座がそう思っているのをつゆ知らず、縢は隣のテーブルで騒ぐ子どもと子どもをなだめる母親を見つめている。どうしてそんなに機嫌が悪いのか、泣きわめく子どもの声はうるさい。母親は泣き止まない子どもに焦りを浮かべている。父親が子どもを自分の膝の上に載せたところで、ようやく泣き止む。涙と鼻水に濡れた顔を母親が拭く。
「お母さんってあんな感じなんスね。てかガキって思ったよりうるさいっスね」
「子どもとはそういうものだ」
「ギノさんも昔はあんな感じだったんですか?」
「そんなこと覚えてない」
「じゃあ、あとでとっつぁんに聞いてみよっかな」
「おい縢」
 宜野座が睨みつけると、縢は肩をすくめた。
「冗談っスよ」
 配膳ドローンによって料理が運ばれてきた。
 料理は天然物を再現した見た目だ。そこらのブロック食とは訳が違う。合成食といえども、食材の形から合成している。
「――懐かしいな」
 ぽつりと宜野座が呟いたのを縢は聞きとがめた。
「食べたことあるんスか?」
「昔な。祖母はオートサーバ以前の人だから」
 それ以上深掘りされることなく、静かに二人は食事をした。
 それから車に乗って移動する。オートで進む車で二人は浅草まで行く。鎖国前は外国人が多かったと聞くが、今や見る影もない。
「えっと、あっちの方っスよね」
 午後の日差しは眩しい。宜野座は頭の上に手をかざした。こんな日中に、仕事でもないのに出歩く機会は少なかった。ダイムの散歩はもっと早いか、日が落ちかかる夕暮れ時だ。もう老犬だし、熱せられたアスファルトで肉球を火傷する危険がある。加えて、寒冷地出身の犬種だから暑さは苦手だ。
 縢は人の姿をした犬だから、日差しを浴びて楽しそうだ。もっとダイムが若かった頃、ドッグランでめいっぱい走っていた姿を思い出す。
「ここ、この店っスよ」
「見るだけだぞ」
「わかってますって」
 宜野座の袖を引っ張りそうな勢いで、縢は店に入った。
 狭い店だった。通路にはみ出すほどの品揃え。所狭しと並んだ調理器具は、少し身じろぎしただけでぶつかりそうだ。奥のカウンターに座っているのも、風化した年月を擬人化したような老人だ。皺だらけの顔、枯れ木のような腕。禿げた頭が黄色っぽい照明を反射している。つついたら砂のように崩れそうだ。
 こんな店でも刃物を取り扱っているから、シビュラ公認のはずだ。
「包丁がいっぱいある……」
 壁いっぱいに並んだ包丁を見ながら、縢がうっとりと言う。
「買うなよ」
「そんな何回も言わないでくださいよ」
 うんざりしたように縢が口をひん曲げた。
「えっーと、キッチンばさみってどこっスかね」
「あっちじゃないか?」
 狭い店内は見通しが悪い。人間がすれ違うのも一苦労だ。二人でうろうろしながら通路を歩く。見たことのあるものもあれば、何に使うのかもわからない器具も並んでいる。
「なんだこれは……」
「それ、なんかイモを潰すやつじゃないっスか? むっさんのところで見たっスよ」
「イモを?」
「あーこれ、名前なんて言うんだっけ」
「しゃもじ、じゃないか? 米をよそうのに使う」
 記憶をたぐりよせながら宜野座は言った。祖母がそう呼んでいた。
「米をよそうだけ? それなんかもったいなくないっスか?」
「米を炊くだけのマシンもあったはずだ」
「ああ、あれ、炊飯器っスね、知ってます。それもむっさんの店で見ました」
「祖母も昔使っていたな。ガスで炊く方が美味しいとも言っていた」
「ガスで炊くってどういうこと? ……そういえば炊飯器って結構高級品っスよね。いや業務用のがあるんでしたっけ? どうだったかな……」
 とか言いながら、縢はキッチンばさみを購入した。ついでに宜野座にはよくわからない道具もいくつか購入した。
 配送の手配ができず、紙袋に詰めてもらう。店を出た時には日差しも傾き始めていた。
「あと皿見たいんスけど……皿ならいいっスよね? すぐ隣だし」
「まあ皿なら……」
 だんだんどうでもよくなってきて、宜野座は縢の後ろをついていった。
 隣の店もまた狭かった。テーブルいっぱいに皿や椀が並んでいる。誤ってぶつかって床に落としでもしたら大惨事だ。
「荷物があると邪魔だろう」
「まあそうなんスけど……ってギノさん⁉」
 縢から紙袋をひとつ奪うと、宜野座は眼鏡の位置を直した。そっぽを向きながら言う。
「早く買い物を済ませろ」
 縢は笑みを浮かべた。皿を選ぶのに更に時間を費やす。そんなにいくつも皿があったって仕方ないと思うのだが、縢の意見は違った。
「料理を美味しそうに見せるには皿が重要なんスよ。服と同じっス」
 誰から聞いたんだか、そんなことを言う。執行官の宿舎はそれなりに広さがあるから収納には困らないだろう。危険物でもないし、何より面倒になってきたので、宜野座は無言で縢が選ぶのを眺めた。
 更に紙袋を増やした縢が店を出て、はたと立ち止まった。
「あ! 靴買うの忘れた」
「まだ買う気か⁉」
「ギノさん、よく考えてほしいっス。俺がもう一回外出申請するのに付き合うか、今日まとめて買うか」
 考えるまでもなかった。
 二人が最後に向かったのは、駅前の百貨店だ。スニーカーの並ぶ明るい店で縢はうきうきと商品を選ぶ。
 宜野座はそれを店の前にあったソファに座って見守った。先ほど買った品物の入った紙袋は宜野座の膝の上と隣に置いてある。人が少ないのをいいことに、隣一人分を占拠しているが、これくらいは許されるだろう。やっていることがまるで彼氏のようで、宜野座は少し笑った。あるいは、姉か妹に連れ回される男兄弟か。兄を連れ回す弟はいるだろうか。
 宜野座はソファの背もたれに背を預けた。やたらと疲れた気がする。狡噛ともこれほど歩き回ったことはあっただろうか。もう何年も前のことだ。監視官になってからは休日があまり重ならなかった。狡噛が一係に異動してきてからは更に減った。
 こういう役回りはいつも狡噛だった気がする。やたらとスマートな奴だった。彼女をエスコートするように行程を組んで宜野座を外出させ、かと思いきや遠慮容赦なく連れ回す。今はまるで別人みたいだが。なんだかちょっと懐かしい気持ちになってくる。
 それに呼応してか、瞼が重くなってきた。いけない、縢は潜在犯だ。今は大人しくしているとはいえ、常時監視していなければならない。今日も仕事の一環だ。別に遊びに来たわけではない。第一、縢は友人でも弟でもなく、部下だ。
 だが、瞼は重い……。少し目を閉じるだけならいいだろう。そう、少しだけ……。



「ギノさん、ギノさん!」
 軽く肩を揺さぶられ、宜野座は目を開けた。
「なんだ縢……」
「買い物終わったっスよ。帰りましょう」
 宜野座の隣に置きっぱなしの紙袋を持ち、縢は身体を起こした。
 眠ってしまっていたことに気づいて、宜野座は己を恥じた。潜在犯から目を離すなんて、気が緩みすぎている。猟犬は猟犬だ。大人しそうな顔をしながら、獲物を噛みちぎる牙を隠している。
「……縢、お前なんでそんなに嬉しそうなんだ」
「さっき店の人に兄弟なんですか?って言われたんスよ」
「兄弟?」
「全然顔似てないんスけどね」
 顔どころか体型も似ていない。すらりとした長身の細い顔立ちの宜野座と小柄で愛嬌のある顔立ちの縢は、どこをどう見ても兄弟に間違えるほどには似ていない。
「仕事の同僚って言っておきました」
「そうか」
「あれ、怒らないんスか」
「別に怒るほどのことじゃない」
 上司と部下ではあるが、それを一般市民に殊更にアピールする必要もないだろう。
「帰るぞ」
「了解っス」
 山ほどの荷物を抱えて、駐車場へ歩き出す。後部座席の床に荷物を置き、宜野座は運転席に、縢は助手席に座る。
「あー楽しかった!」
「買いすぎだ」
 宜野座は後ろに目をやった。後部座席にある分の他に、後で宅配されるものもある。引越しでもするのかというくらいの大荷物だ。
「だってめったに外出できないんだから、仕方ないじゃないっスか」
「あんなに買い込んで、ちゃんと管理できるんだろうな」
「そりゃもちろんっスよ!」
 力強く縢は頷いた。
「ギノさんも今度、俺の料理食べてくださいよ。天然物も悪くないっスよ」
「……知ってる」
 縢は何も聞いてこない。その引かれた一線は、今は不快ではなかった。
 車窓から差し込む夕日に、宜野座は目を細めた。
「……たまになら、天然食材も承認してやらんでもない」
「ほんとっスか⁉ じゃあ新しい包丁も! さっきの店でいいやつ見つけたんスよね」
「調子に乗るな」
 縢の手料理を食べられる日が来るかどうかは、宜野座にもわからなかった。

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