恨んでいるのではありません。そうしなければいけないから、そうしたのです。私だけが例外なんて卑怯だからです。そんなこと、許されていいはずがないからです。

「あれ、五条は?」
「悟なら一人で任務に行ったよ。帰るのは明日」
「一緒じゃないの珍しいね」
「別にいつも一緒ってわけじゃないよ。子どもじゃないんだから」
「そう? いつも一緒って顔してたじゃん」
「……本当かい?」
「五条とか特に」
「そうだった、かな」
「やっぱ二人揃ってないと張り合いがないな」
「硝子もそんなこと言うんだね」
「オマエらクズどもが馬鹿やってるのを見るの、結構面白い」
「いやその発言、硝子も割とクズ――」
「なんか言った?」
「何でもありません」

               *

「早苗ちゃんのおばあちゃん? ああ、親しくしていただいていたのよ。今年に入って亡くなってしまったけど」
 奥田が頬に手を当て、思い出すように視線を斜め上に投げた。
「そうね。早苗ちゃんはあまり……乗り気じゃなかったわね。祥一郎さんと秋江さんは嬉しがっていたわよ。またうちから出たって」
「じゃあ、舞の踊り手に指名されるのは名誉なことなんですね」
「そりゃそうよ。だって大事なお祭りなんだもの。だから小柳さんもあんなに……許してあげてね」
「すみません、事情も知らずに」
「小柳さんったら、祟りだから、なおさらやらなきゃって。舞を奉納して〝お社様〟を鎮めないとって。私もあんまり信心深いわけじゃないけど、小柳さんの気持ちもわかるのよ。ずっと続けているものを止めて何かあったら恐いじゃない」
「その祟りっていうの、詳しく聞かせてもらっても構いませんか?」
「え? ああ、そうね……でも……」
 奥田は言いよどんだ。
「他の方には言いませんから」
「……よその方には信じられないかもしれないけどね。きちんと舞を奉納しないと、化け物がまた田畑を荒らすって言われているのよ」
「化け物が、ですか」
「そう。よくある言い伝えでしょ」
「化け物って、どんな姿だったんですか?」
「化け物の姿? あら、看板に書いてなかったかしら……蛇よ。たくさんの蛇。頭に角が生えていてね。川に住んでいて、ここに田んぼを作りたいなら生贄を捧げろと言って、村の娘を攫っていったから〝お社様〟に退治されたの」
 そこで奥田は声を潜めた。
「早苗ちゃんの伯父さんと叔母さん、川で亡くなったでしょう。それを早苗ちゃんが見つけたものだから……だから祟りなのよ。何か気に障ることをしたから、その家の人間が詫びなきゃいけないって、それが小柳さんの言い分」
「まあ……筋は通りますが。何故早苗さんはそんなに嫌がるんですか? 章くんも反対していましたし」
「舞の踊り手になった女の子は、たまに失明することがあったの。それで、家から出られなくなってしまって。かたわは嫁に行けないでしょ。章くんもそれをすごく心配していてね。とても仲がいい姉弟だから」
「失明、ですか」
「早苗ちゃんのおばあちゃんもね。……ああ、本当は祖母じゃなくて大叔母さんだったと思うけど――祭りを続けないと災いが訪れるって信じている人は多いのよ、特に年寄りには。家の中、みんなお祝いしているのに、早苗ちゃんと章くんだけ乗り気じゃないから、ちょっと居心地が悪かったんでしょうね」
「災い?」
「洪水とかそういうのよ。わかってるわよ、古くさい言い伝えだって。でも、小柳さんとか結構信じててね。子どもの頃、ひどい洪水があったのを覚えてるから。私も説得できればよかったんだけど……ねえ、家族があんなことになっちゃったら、普通お祭りなんて出たくないわよね。章くんの言う通りだわ。でも、早苗ちゃんじゃないといけないのよ。ほら、あの子、右目が悪いでしょ」

「どう?」
「裏が取れました」
 補助監督の長久保が手帳をめくりながら報告した。
「やっぱりな」五条が頷く。「〝目が悪い〟という天与呪縛、更に右目を捧げるという〝縛り〟で強化された封印で、化け物を――呪霊を代々封印しているんだ」
 神社のある山の中である。既に夜は更け、準備していた住民たちも帰宅している。神社の敷地には組まれた屋台がいくつか並んでいる。火の入っていない参道の提灯が月の光を照り返している。
「目を怪我した〝お社様〟は呪霊を封印した初代の術師だろう。その血を引き、術式を受け継ぐ家が代々、舞の踊り手を輩出する」
 鎮守の森を歩く。懐中電灯の光は明るいが、照らす範囲は狭い。木の根に足を取られ、転びそうになった五条の肘を掴んで、夏油は空を見上げた。鬱蒼と茂る木々の間から星空が見える。照明が少ない分、星々は東京よりはっきりと見える。黒く塗りつぶされた空に流れる星の河が、はるかな時の彼方から夏油たちを見下ろしている。
「で、その封印が緩んで、神社に祀られた呪霊が歩き回ってる」
「早苗さんのおばあちゃんが死んだから、ですか」
「大方、先代の術者は早苗の大叔母だったんだろ。今年は代替わりなんだ。だから特別」
「じゃあ、数十年前の自然災害は本当に無関係なんですね」
 確認するように問う長久保に、五条は軽い調子で返した。
「さあね。そこまではわからない。たまたま、封印の維持に何らかの支障があったのかもしれない。でも、みんながそう思うことが重要なんだよ」
 そうやって天災を恐れ、儀式を継承することで、呪霊への畏怖もまた継承される。呪霊は畏れられるほどに力を増し、この地に根付く。皮肉なものだ。
「そうすると、呪霊はどこに隠れてるんだ?」
「神社じゃないんですか?」長久保が首を傾げる。
「確かに残穢はあったし、死んだ二人もこの山の中だった」
「でも、俺たちが何度来ても呪霊は見えなかった」
 やはり、それが問題だった。呪霊がどこに潜んでいるのか皆目見当もつかない。とりあえず二人が死んだという川の近くまで行こうという話になったのだ。川は参道の途中から枝分かれした道にある。せせらぎが聞こえる距離まで来たところで、五条が軽口を叩いた。
「こう、さくっと誰かが襲われたら早いんだけど」
「不謹慎なこと言うなよ」
「――いや、俺たち運がいいんじゃない?」
 言い終わらないうちに、夏油も気配を感じた。長久保を後ろに下がらせ、懐中電灯を向ける。五条がサングラスを外す。
 茂みが音を立てた。
 懐中電灯に照らされた、蛇の尻尾が見えた。光の輪の中で、眩しいのか頭を引っ込める蛇が何匹もいる。太さは大人の手首ほどもある。身の丈は一メートルを優に超えるだろう。鱗に覆われた身体の色は白く、逆三角形の頭に光る目の色は赤。色彩の時点でただの蛇ではないが、最も顕著なのは頭に角が生えている点だ。
「あいつか――!」
 五条が素早く掌印を組んだ。
 容赦なく飛んでくる術式を避け、蛇は身を翻した。するすると草の間をかき分けて、滑るように地面の上を這って逃げる。
 更に無下限呪術を使おうとした五条が手を止めた。右目をこすっている。その間に蛇はするすると茂みの中へ逃げ込む。
「悟! 大丈夫か!」
「問題ない! ほんと逃げ足の速い奴!」
「長久保さんは来ないでください!」
 それだけ叫んで、夏油は走り出した。呪霊を一体呼び出す。一見して鴉のような姿をしているが、尾羽の代わりに蜥蜴(とかげ)の尻尾がついている。
「行け!」
 鴉は応えるように一声鳴いて、上空へ飛んでいく。あまり期待しない方がいいだろう。障害物が多く、見通しの悪い森の中では、呪霊を使って追跡するのも容易ではない。
「クソッ、よく見えねえ」
 舌打ちした五条が右目を手で押さえ、左目を眇(すが)めた。
 せせらぎが近づいてくる。蛇は川を目指しているようだった。
 参道を外れて道なき道を何分走っただろうか、突然目の前が開けて川へ出た。水面へ覆い被さるように生えた木が、黒々と不気味に枝を広げている。その下に明かりが見えた。
 川辺に誰かが立っている。蛇は迷いなく明かりを目指した。
「爺さん! 逃げろ!」
「あ? なんだ――」
 小柳だった。走ってくる夏油と五条に顔をしかめる。
「出て行けと言っただろう! 何してるんだ!」
「爺さんそれどころじゃないっての!」
 音もなく這い寄った蛇が小柳の足に巻きついた。
「おっ?」
 ぐいと引かれ、小柳が体勢を崩す。そのまま後ろに倒れた。激しい水音がする。幸いにして浅い川だったため溺れる心配はなかったが、川底にしたたかに頭を打ちつけた。蛇の尻尾が小柳の首筋に巻きつこうとする。
「この――!」
 夏油の呪霊が急降下した。鴉のような姿をした呪霊がくちばしで蛇をつつく。蛇が鴉に巻きついて締めようとする。夜闇にばさばさと羽音が響く。水面から飛び出した別の蛇が頭に生えた角で鴉を突き殺そうとするが、鴉も翼を広げて抵抗する。更に別の蛇が口を開いて鴉に噛みつこうとする。ギャア、と耳障りな鳴き声が夜のしじまを破る。
「爺さん、ちょっと大人しくしてろよ」
 呪力を纏(まと)った拳が突き出された。
 鴉が唐突にかき消えた。急に標的を見失い、宙に浮いた蛇を五条が握り潰す。そのまま無造作に投げ捨てる。地に落ちた蛇はほどけるように消えてゆく。
「な、なんだ、お前たちは」
 夏油は川の中から小柳を助け起こした。全身ずぶ濡れだ。ざっと検めたが、目立った外傷はない。身体の丈夫なお年寄りで何よりだ。
 五条が歩み寄ってくる。夜闇にきらめく片目が油断なく周囲を観察している。
「あれ、蛇だったね」
 確認するように夏油は言った。五条も首肯する。
「蛇だった。しかも何匹もいた」
「蛇体の呪霊。複数で行動する。頭に角。仮想怨霊で該当するのは――」
 伝承は時に混ざり合う。蛇は龍と同一視される。すなわち水神だ。群生する蛇と言えば、
「――夜(や)刀(と)神(がみ)。右目のエピソードはこの地域で混ざったんだろ。近くに似た伝承があるし、逸話が混ざるのはよくあることだ」言葉を引き取った五条が川面に視線を注ぐ。
「こんな片田舎に夜刀神が残っていたのか……!」
「片田舎だから残ってたんでしょ」
 信仰は煮詰められ、畏怖を形成する。都会で薄れてしまった人ならざるモノへの畏れは、まだこの地で息をしている。
「化け物は自然現象の具現化。蛇なら水害だ」
 夜刀神は群生する蛇だ。姿を見た者は死ぬという。田畑を開墾する際、これを妨げる夜刀神を殺し、あるいは山へ追いやり、人の領分とした。そして、追放した夜刀神が祟らないように社を作り、そこへ祀った。各地に類型も多い伝承だ。
 川は蛇神の領域だ。だから被害者は川で死んでいたのだ。
「化け物退治は、蛇神から稲作の土地を譲り受けたエピソードの変形。思い出せよ、神社は何のために舞を奉納するのか」
「五穀豊穣の祭り――化け物を退治し田畑を守った〝お社様〟を慰撫するため、化け物の封印をかけ直すため。荒ぶる神――呪霊となった水害を鎮めるための儀式か」
 自然災害が人々に恐れられるうちに呪霊として形を取った。それが〝お社様〟の正体だ。
「正体がわかったらこっちのもんだ」
 月明かりの下、五条が立ち上がる。夏油は再び呼び出した鴉の呪霊を腕に留まらせた。
「さあ、化け物退治の時間だぜ」
 五条は不遜に唇をつり上げた。

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