これは、わたしと、わたしの変なお父さんと、お父さんの不思議なお友達の話。

     1

 わたしのお父さんは、ちょっと変わった人だ。

 日曜日の午前中。
 わたしの通うパブリック・スクール――ダンフォード・カレッジは、日曜日の午前中に礼拝があり、その後は家族へ手紙を書くことが奨励されている。面倒だからとろくに手紙を書かない人もいる。なにせ、生徒は十一歳から十八歳だ。学校生活の後半ともなれば寄宿舎生活に慣れてくるし、思春期真っ盛りの気恥ずかしさも手伝って、手紙を書きたがらないのも無理はない。
 でも、わたしはほとんど毎週のように、お父さんに宛てて手紙を書いている。子どもの時から(といっても、大人の年齢になったわけではないけど)あまり帰ってくることのないお父さんとは、よく手紙のやり取りをする習慣があるのだ。お父さんはヨーロッパ中を飛び回り、時には合衆国にも渡っているようで、消印はいつも違う場所のもの。
 手紙の内容はいたって普通だ。学校の敷地内に迷い込んだ猫の母子の様子、花壇の花が咲いたこと、フェンシング大会で女子の中では一位を取ったこと。
 他愛もない内容だと思う。あえて言うなら、年頃の娘と父親のやり取りにしては、親密かもしれないくらいだ。思春期真っ盛りの娘というのは、生理的に父親を嫌悪するもの。それがわたしにはあまりないくらいで、傍目には普通の父娘だろう。
 決定的に違うのは、手紙が暗号化されていること。
 お父さんは必ず、暗号で手紙を送ってくる。手紙を受け取ったわたしは、お父さんからもらった乱数表を使って解読する。子どもの頃からの遊びだ。
 別に、読まれて困るような内容は書いていない。なのに、わたしとお父さんはずっと暗号で手紙を送りあっている。どうやら、先の大戦で使われた初歩的な暗号らしいけれど、友人にはいつも変な顔をされる。
 わたしのお父さんは、ちょっと変わっているのだ。
 お父さんといっても、血のつながらない、義理の父。
 わたし――エマ・グレーンの本当の父はイギリス海軍所属で、第二次世界大戦中、ドイツとの戦闘で亡くなったらしい。らしい、というのは、まだ幼かったわたしには父の記憶がほとんどないからだ。
 母は心労からやがて体調を崩し、間もなく父の後を追うように亡くなった。
 身寄りをなくしたわたしを引き取ったのは、イギリス留学中に知り合ったという、父の友人、アマリさんだった。
 アマリさん――お父さんは、日本人にしては背が高く、彫りの深い顔立ちをしている。そして、留学中に身に着けた流暢なクイーンズ・イングリッシュを話す。一目見ただけでは、日本人とはわからないだろう。
 わたしも、お父さんが日本出身なのを時々忘れるくらいだ。それほど、お父さんはイギリスになじんでいたし、周囲のイギリス人と比べて違和感もなかった。
 引き取られた当初、わたしはお父さんとハワイに住んでいた。
 お父さんは貿易関係の仕事をしており、家を空けることが多かった。そのかわりに、ナニーを雇っていた。当時四十代くらいの、恰幅のいい女性だ。夫はハワイの米軍基地に勤めており、自分の子どもたちが独り立ちしたのを機に、ナニーとしてお父さんに雇われた。
 わたしが十一歳の時、お父さんはわたしを連れてイギリスに戻った。第二次世界大戦が終結したからだった。人々の心にいくつもの傷跡を残した世紀の大戦争は、わたしが強い日差しの照りつける海岸で遊んでいる間に終わった。
 お父さんは日本人で、わたしは生粋のイギリス人。わたしたちの生活していたハワイは、日本の敵国・アメリカ合衆国の属領。お父さんはその貿易商人らしい、快活な性格で友人を多く作っていた。ハワイには日系人も多かった。でも、時代が時代だ。それほど親しくない周囲からは、厳しい目線で見られることもあった。スパイ容疑をかけられ、警察に連行されたことだってある。そのたびにお父さんは悲しげな顔で帰ってきて、わたしを抱き上げた。
 ――幼いわたしは何もわかっていなかった。
 暗黒の時代をくぐり抜け、十五歳の今、わたしはイギリスの寄宿学校に通っている。海軍士官の子弟が多く通っている学校だ。
 確かに、わたしの本当の父はイギリス海軍所属だった。けれど、若くして戦死した父にそれほど遺産があったとは思えない。お父さんがどう手回ししたのか、わたしはその名門校に入学することになった。
 イギリス海軍の提督が七十年ほど前に創立した、全寮制のパブリック・スクール――それが、わたしの通っている学校だ。戦後、いち早く女子教育に力を入れていて、その一期生としてわずかな女子生徒が入学した。わたしはそのうちのひとりだった。

     2

 暗号化した手紙をしたため、封をして学内のポストに投函した。
 お昼からは自由時間だ。
 友達と連れ立って学校の近くの町に降りていくこともあれば、ひとり寮の部屋で読書していることもある。
 今日は、外出の予定だった。友達とではない。お父さんの友達のひとりとだった。
 今日の迎えは誰が来るだろうかと、わたしは教室の窓を開けた。春の終りかけた、さわやかな風がわたしの赤毛を揺らした。窓の下の花壇から、バラの甘い香りが漂ってくる。今はバラが満開の季節だ。緑の多い学校には、赤やピンク、黄色、紫、いろんな色のバラが咲き乱れている。
 肩口でまっすぐ切りそろえた髪を手で整えて、わたしは少し身を乗り出して、玄関を見た。そろそろ来る頃合いだ。
 はたして、やってきたのは〝鳩のおじさん〟だった。
〝鳩のおじさん〟は、お父さんの友達のひとりだ。時々、こうしてわたしのもとを訪れては、フェンシングを教えてくれる。おかげで、学内の大会では数少ない女子の中でいつも優勝している。男子とも渡り合える自信がある(紳士の卵は淑女と勝負したがらないけれど)。
 なぜそんな名前で呼んでいるかというと、鳩のおじさんは、いつも懐に手品師みたいに鳩を隠していたから。安直なニックネームだ。我ながら安直すぎて、幼き日の自分に文句をつけたくなる。
 初めて会った時、鳩のおじさんは懐から鳩を出してみせた。人見知りでお父さんの後ろに隠れていたわたしに、鳩のおじさんは屈んで視線を合わせ、そしておもむろに服の内側に手を突っ込んだ。細身の背広のどこに隠されていたのか、服から出した手の上に、鳩が止まっていた。つぶらな黒い瞳が、わたしを見つめて首をかしげた。
 それ以来、彼はわたしの中で〝鳩のおじさん〟になった。
 お父さんは仕事柄、あまりイギリスにいないから、代わりにお父さんの友人たちの誰かが迎えに来ることが多い。今日は鳩のおじさんの番だった。
 休暇のたびに迎えに来るお父さんの友人たちも、少し変わっている。少し、というのは遠慮しすぎた表現になるかもしれない。お父さんの友人たちは、だいぶ不思議な人たちだ。
 まず、本名で呼び合わない。みんな、わたしのつけたあだ名で互いを呼んでいる。名前はもちろん教えてもらったけれど、なぜだかその名前を使わないのだ。
 そして、年齢がわからない。お父さんと同年代のはずなのに、どういうわけか二十代にしか見えなかったりする(お父さんも年齢の割にずいぶん若く見えるけれど)。ハタノさんなんて、いまだに子どもっぽさが抜けない青年のように見える。背が低いのも相まって、大学生に変装していることもしばしばだ。身長の話をすると不機嫌になるので口にしてはいけない。まあ、そこも子供っぽさを感じるひとつなのかもしれないけれど。
 おまけに、来るときにはだいたい変装している。髪型を変えたり、ひげを生やしてみたり、頬に綿を詰めたり、歩き方さえ変わっていたりする。おかげで、変装を見破る技術は年々向上している。そのあたりを歩いている、普通の人の特徴を覚えるのも得意になった。
 変装しても変えられない、わずかな外見的特徴から誰が迎えに来たか推理するゲームは、わたしの特に好きな遊びだ。変装して来るのはお父さんを驚かせるためらしいけれど、お父さんが驚いているところは一度も見たことがない。すぐに誰か当ててしまうのだ。
 きっと、学生時代にスパイごっこでもしていたのだろう。お父さんの友人たちは同じ学校に通っていたらしい。秘密主義の彼らの中で、唯一と言っていいほど確定した情報なのは、それくらいだ。なんでも恐い先生がいたとかで、お酒を飲むと時折、話題に上る。
 日本語交じりのその会話を聞くのが、わたしは好きだった。
 お父さんの友人たちは、お父さんと似たような仕事をしているのか、たいてい誰かがイギリス国内にいて、わたしを家に連れて帰る。そして、わたしの休暇中に集まっては昔話をしている。いつもは紳士然としているのに、そのときだけは少年のような顔になる。
 変なトランプのゲームでささいな賭け事をするときなんて、みんな学生みたいに見えるのだ。男の子ってこんなものなのかな、とわたしは学校にいる男子たちと比べたりする。
 ――兄がたくさんいれば、こんな感じだったのかな。そう思うことがあるくらい、お父さんの友人たちはわたしに親身だった。

 わたしは手鏡を取り出して、髪と服装を確認した。外出時は制服の着用を義務付けられているので、確認するほどのことでもないけど、気分の問題だ。いつも通りの灰色のジャケット、スカートに白いブラウス。臙脂色のネクタイもきちんと結んである。
「その鏡、きれいよね」
 隣に座っていた同室のアリスが、わたしの手元を見て言った。アリスは長い黒髪を三つ編みにして眼鏡をかけている。色白の肌に薄くそばかすの浮いた顔は、際立って美人というほどでもないけれど、一般的に見ればかわいいと思う。絵に描いたような文学少女で、外見にたがわず本が好きだ。しかし、この海軍に関連する学校に在籍している以上、彼女もまたスポーツは苦手ではない。というか、同世代の女子の中ではかなり得意なほうではないだろうか。
「いつ見ても、その鏡の装飾がいいわね。日本のだったっけ?」
「うん。お父さんの友達がくれたの」
 この手鏡は、お父さんの友人のひとり――マキさんがくれたものだ。日本製の漆塗りで、細やかな模様が背に入っている。家から寮に持ってきた数少ない私物だ。
 ドイツで美術商をしていたマキさんは、列車事故で亡くなってしまった。さすがにその頃は、いつも陽気なお父さんも少し沈んでいるように見えた。お父さんとマキさんは同じ大学だったらしい。ほかのお父さんの友人たちとも知り合いだったかもしれないけれど、詳しく聞いたことはない。お父さんは、あまりマキさんの話をしたがらないのだ。二度目の世界大戦は、時折お父さんの表情に暗い影を落とす。
 マキさんの遺品になってしまったそれを、わたしは大切に使っている。
 お父さんはマキさんとも仕事をしていたらしい。どこからともなく、遺品としていくつか美術品を持ち帰った。寮に持ち込んだのは、手鏡と仮面だ。仮面のほうは寮の部屋に飾っている。のっぺりした鈍色の仮面は、他の女子には大変不評である。
 ちなみに、同室のアリスは、何かあるとすぐに卒倒しそうな見た目をしておきながら、なんとも思っていない。
「じゃあ、わたし行くから」
「ああ、いってらっしゃい」
 ひらひらと手を振ったのは、デイジー。彼女は水泳大会の優勝者だ。タイムは男子とも張り合えるほど。灰色がかった金髪を短く切っており、女子にしては背が高くて肩幅が広い。平均的な身長のわたしの隣に立つと、頭ひとつぶん差がある。
「あんたのお父さんの知り合いって、ほんと謎よねえ」
 それに、わたしは苦笑するしかない。
 わたしにもよくわかっていないのだ。ただ、わかっているのは、彼らがわたしを自分の娘のように思っていること。わたしにはそれだけで十分だ。
 寮の部屋に戻って小さなカバンに必要な小物をつめたら、準備完了。
 わたしは事務室で外出届を出し、外に出た。待ちきれなくて早足になり、最後には小走りで鳩のおじさんのもとへ駆け寄った。
 わたしが駆け寄るのを見て、鳩のおじさんは帽子を脱いであいさつした。
「お待たせしました、鳩のおじさま」
「しばらく見ないうちに、またきれいになったね」
 鳩のおじさんはやさしく微笑んだ。涼しげな切れ長の目がゆるく弧を描く。
 親戚のおじさんみたいな言い方。それに、わたしは少しうれしくなる。
「今日はなぜ変装していないの?」
 普通の英国紳士の格好をしているし、髪型も変わっていない。どういうわけか記憶に残らないような雰囲気もまとっていない。
「オックスフォードの知り合いに会いに来たからね」
「じゃあ、わたしと会ってる場合じゃないでしょう?」
「いやいや、心配性の君のお父さんに頼まれているからね――様子を見てきてほしいって」
「お父さんったら過保護なんだから……」
 毎週のように手紙を出しているのに、心配性のお父さんは仕事でイギリスに来ている友人たちに、様子を見るよう頼んでいるのだ。
「私もエマに会いたかったから、ちょうどよかったよ」
「ほんと? うれしい」
 わたしはふざけておじさんの腕に腕をからめる。鳩のおじさんはちっとも慌てずに、わたしをエスコートした。
 わたしと鳩のおじさんの〝デート〟は、そうして始まった。

 キャブを拾って市中に行き、食事をする。最近会ったことを話し、鳩のおじさんはそれにうなずく。それから、公園の中を歩いたり、店を見て回ったりした。
 なんとなく会話が途切れて、わたしは公園内を散歩する犬をぼんやり見つめた。昔飼っていた犬を思い出したのだ。フラテ。お母さんの残したもの。
「また犬が飼いたい?」
 わたしの視線の先をたどった鳩のおじさんが言った。
「ううん。――少なくとも、寮を出るまでは飼わないわ。さびしいでしょう」
「そうだね」
 鳩のおじさんはそっとうなずいた。
 あっという間に時間が経って、日が傾いた。もうすぐ門限の時間だ。
 鳩のおじさんに近くまで送ってもらって、わたしはひとりで学校まで歩いていた。フラテのことを思い出して、少し感傷的な気分になっていたのかもしれない。
 学校の正門まで送るという鳩のおじさんの申し出を断って、近くで降ろしてもらった。学校は静かな郊外に立っていて、治安の悪いところではない。いつまでも小さな子どもではないのだから、これくらいの距離は大丈夫だろうと思ったのだ。
「すみません、お嬢さん」
 背後から男性の声がした。
「はい……?」
 わたしは振り返った。細身の若い男性だった。わたしより少しだけ背が高い。男性にしては背が低い。今日は一日中暖かくて、夕方ごろでもあまり気温は下がっていない。なのに、男性は薄手のコートの襟を立てている。その顔は、どこかで見たことがあるような気がした。
 わたしが記憶を探っていると、彼が片手を差し出した。
「鏡を落としましたよ」
 わたしの手鏡だった。カバンの中を見ると、確かに入っていない。日本製の繊細なつくりの手鏡は、そのあたりですぐ買えるようなものではない。確かに、わたしのものだった。
 それにしても、手鏡はそれなりに重さがある。落としたら気づきそうなものなのに。
 わたしが内心、首をかしげていると、後ろからにゅっと手が伸びてきた。
 あっと思う間もなく、ハンカチで鼻と口を覆われて、わたしは意識を失った。

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