「遊園地に行こう」
 いつも唐突な思いつきで恵を振り回す白髪の男が、今度も唐突にポケットから取り出したチケットをひらひらさせながら言った。
 津美紀がご飯を飲み込んでから、目を輝かせた。
「わっ、遊園地ですか!」
 夕食の席である。どっさり買い込んだ手土産の食料(抜かりなくいつもよりランクが上である)と引き換えに、五条はしばしば相伴に預かることがあった。
 恵も詳しい事情は知らないが、だいたいは察している。この男は自分で料理ができるくせに、わざわざ恵と津美紀に食事を作らせるのが趣味なのだ。まだ中学生の恵や津美紀に作れる料理なんて、たかが知れている。社会性やら生活力が欠落しているように見えて案外何でもできるこの男の方が、よほど料理が得意だ。嫌がらせなのだろうか。
「次の日曜日、空けといてね」
「はい! 恵も行くでしょ?」
「俺は……」
 拒否しようとして、恵は押し止まった。津美紀がその気配を察して眉を曇らせたからだ。
 貧乏暮らしの恵と津美紀が遊園地に行ったことはない。両親がいた時も行ったことはなかったはずだ。経済的に不安定で、そんな余裕はなかった。忘れていたわけではないと思う。恵の父親はともかく、津美紀の母親は連れ子にもそれなりに優しくしてくれた――ような気がする。行方知れずの両親の顔を思い出そうとして、失敗した。
「……行く」
「じゃ、決まりだね。八時に迎えに来るから」
「はい! お願いします!」
 遊園地に興味などこれっぽっちもなかったが、津美紀の楽しそうな顔は悪くなかった。

「おはよー」
 約束通り迎えに来た五条は、いつもの黒ずくめではなかった。そこらへんの大学生みたいなファッションをしている。瞳を完全に隠す、真っ黒なサングラスだけが変わらない。日本人離れした体躯と白髪のせいでモデルじみていて、かえって目立っているような気がする。というより、何を着ても目立ってしまうのだ。
「いつもと違う格好ですね。こっちの方が普段よりいいですよ! 普段もこっちにしません?」
「そう? まあ僕は何着て似合うからね」
 自慢ではなく事実なのが、非常に腹立たしかった。
 恵は黙って靴を履いた。隣に立つと、五条の身長が群を抜いて高いのがよくわかる。体躯も色素も日本人なのか疑わしいほどだ。というか、人間ではなかったらどうしよう。
「ほんとに何も持って行かなくていいんですか? お弁当とか」
「いいよいいよ。今日は全部僕に任せて」
 やや不安そうな津美紀に、五条は親指を立てた。

 三人で最寄り駅まで歩き、電車に乗ること一時間弱。ぴったり開園時間に着いた。
 開演前から並んでいただろう人が行列を成している。初めて来たから、人が多いのか少ないのかもよくわからない。
 チケット売り場の行列を尻目に、すぐさまゲートを通り抜ける。
 もしかしたら、何か特別なチケットだったのかもしれない。絶大な権力と金がある五条家の人間なのだから、それくらいは可能なはずだ。そう思うと、ひやりと心の隅が冷える。どうせこれもご機嫌取りなのだ。五条が恵の術式を目当てにしていることくらい承知しているはずだったが、何故か失望や落胆に似た感情を覚えてしまう。
 ぐるぐると余計なことを考える恵をよそに、津美紀は楽しげだった。遊園地の外からもよく見えた、空中ブランコを指差す。
「私あれ乗りたい!」
「津美紀、引っ張るなって」
 初めて来る場所に興奮して、津美紀がぐいぐいと恵の手を引く。温度差に少し戸惑った。
「おお、いいね。じゃあまずはあの空中ブランコから」
 五条も楽しげだ。もっとも、楽しそうではない五条の方が珍しかった。何一つ信用に値しない男のことだから、本当に楽しんでいるのか、その振りなのかは恵にも判断はつかない。
 津美紀の言うがまま、空中ブランコに一人ずつ座って、装置が上がるのを待つ。
「……意外と高いな」
「恵も乗ったことないでしょ」
「ありませんよ」
 がこんと装置が動き、ブランコが上昇。そのままゆっくりと回転を始める。
 遠心力でブランコが外へ向かって振り回されていく。速度はそれほどでもないが、流れる風景が傾く。
 足がつかないことが、なかなかに怖いことを知った。
 その後も津美紀にいろんなアトラクションに連れ回された。五条も嬉々としてそれに従い、必然的に恵も引きずられる。
 園内のレストランで食事しても、外食なんて久しぶりだと津美紀が目を輝かせたり、五条がスイーツを頼みまくって店員に驚かれたりと、全く落ち着かない。遊園地に遊び来て落ち着いている方がおかしいのだが、津美紀はともかく五条まで小学生のようにテンションを上げているのはどうかと思う。
 そして、津美紀はそれを指差した。
「あれ、一度乗ってみたかったの」
 コーヒーカップだった。
 五条が津美紀の指差す方向に顔を向けた。しみじみとした口調で言う。
「あれかあ……懐かしいな。めちゃくちゃ回してさあ、一緒に乗ってた人が具合悪くなっちゃって大変だったんだよね」
 その光景が目に浮かぶようだった。きっと係員の制止も構わずにカップを限界まで回したのだろう。相手がやめろと言っても聞かなかったに違いない。
 津美紀が恵の腕に手をかけた。
「恵、一緒に乗ろうよ」
「……これに?」
 周りを見ても、親子連れや友人同士が多い。そもそも中学生にもなって姉弟で出かけるなんてあるのか。
「恵が乗らないなら、五条さんと乗るから」
「いいよー」
 五条の二つ返事に嫌な予感がした。
「五条さん、まさか――」
「いやあ、久々に腕が鳴るね!」
 予想通り、五条が不穏なことを言い出した。
「待ってください、やっぱり俺が乗ります。津美紀は一人で乗って」
「えー? そうだ、せっかくなんだし、三人で乗ろうよ」
「いや、五条さんと乗らない方がいいから」
「そう?」
 あまり問い詰めず、津美紀はあっさり引き下がった。
「なになに、恵は僕と乗りたいの? 恵、僕のこと意外と好きじゃん」
「アンタは少し黙っててくれませんかね……」
 さりげなく五条と津美紀の間に割って入り、五条の背をぐいぐい押した。
 二人と一人でコーヒーカップに乗る。
 恵が止める間もなく、五条がハンドルを握った。装置が動き出すと同時に、
「えーい!」
 五条が力一杯ハンドルを回した。
「アンタって人は……!」
 止める間もなかった。たくさんあるコーヒーカップの中で、恵と五条のカップだけが異常な速度でぐるぐる回転している。
「もうちょっとゆっくり……!」
「あははは!」
 遠心力に身体を振り回される。恵は座席にしがみついた。
 どういう神経をしているのか、五条は全く目を回さずに、最後までハンドルを手放さなかった。

「気持ち悪……」
「あははははは!」
 大人げなく腹を抱えて五条が笑い転げている。腹が立つが、怒る元気もない。まだ地面がぐらぐらしている。
 ベンチの背もたれに身体を預ける。
「五条さん、回しすぎですよ。係の人も困ってたじゃないですか」
 割と真顔で津美紀が苦言を呈した。
「いやあ、久々で楽しくなっちゃった。ごめんごめん」
 ヘリウムガス並みに軽い謝罪だった。
 ぐったりしている恵に、津美紀が冷たいペットボトルを渡した。
「今度はジェットコースター!」
「……俺は行かない」
 絶叫系を売りにしている遊園地ではないから、さほどハードではない。だが、未だに気分が悪い恵が乗ったらどうなることか目に見えている。
「恵が行かないなら私も……」
 五条が腰をかがめた。サングラスを押し下げて恵の顔を見る。何もかも見透かすような、不思議な青い瞳が恵を見る。
「じゃあ今日はここまでにするか」
「いいのか?」
 驚いて身を起こしかけ、恵は再び目眩に襲われた。ベンチに逆戻りする。
「恵も具合悪いし、はしゃぎすぎちゃったね……だいたい乗ったから、もういいよ」
 津美紀が少し寂しそうに言った。
 事実、日が暮れかけていた。
「明日も学校だから、今日はもう帰ります」
「そう」
 五条がサングラスをかけ直した。瞳が隠れてほっとする。
「今度また来ればいいよ」
 津美紀が頷いた。
「そうですね。また来ればいいだけですし。ここ意外と近いですね」
「そうなんだよ! 都内だと結構穴場だからね」
 ――また、二人で。
 普段より優しげな声に聞こえたのは、恵の勘違いではないと思いたかった。

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