俺の〝師匠〟は変な人だ。
最初に出会った時の師匠は最高に格好良かった(クールだつた)。黒いライダースーツを着こなして、骨だけの蛇みたいな、魚みたいな、よくわからないものを従えていたのも、よくわからないけど格好良い(クールだ)。
師匠は難癖つけてきた高校生をぶん殴って黙らせた俺に、怒るでもなく「ナイスファイト」と声をかけてきた。これで変人じゃない方がどうかしている。だいたい、「どんな女がタイプかな?」は初対面の人間にかける言葉じゃない。
でも、俺はそれが嫌いじゃなかった。退屈でしかない日常を過ごしていた俺にとっては、師匠は輝く〝非日常〟そのものだった。
しかし、今はどうか。
「九十九さん。もうすぐ昼だけど」
近くのマンスリーマンションに住んでいる師匠の部屋に入ると、床に転がった缶を踏みそうになる。師匠――九十九さんは片付けが苦手なのだ。
最低限の家具が備えつけられているそこは、家らしさは薄いけど、九十九さんのアジトみたいだった。何が何だかよくわからない道具がその辺に置かれ、合間に空っぽの缶や惣菜のパッケージが放置されている。料理はしない主義らしい。
あの骨でできた蛇だか魚だかは、出し入れ自由なのか今はいない。
「そろそろ起きろよ。修行つけてくれるって言ったじゃん」
「起きてるよ」
布団から顔を出した九十九さんがあくびをした。ベッド横の時計を確認し、布団を身体に巻きつけたまま起き上がった。
「もう一一時か」
「忘れてたのか? 俺楽しみにしてたのに」
恨めしげな俺の声にも、九十九さんは動じなかった。
「忘れてたわけじゃないさ」
九十九さんはするりとベッドから抜け出した。
薄着のナイスバディから、俺は紳士的に目を逸らした。
「少年、もっと強く!」
「……ッ!」
「そう、その調子で!」
俺の全身全霊の力を込めた拳を、九十九さんはやすやすと受け止めた。ものすごく悔しい。同年代は言うに及ばず、高校生だって殴り飛ばせる俺の拳なのに。
川辺の野原――最初に出会った場所で、俺は九十九さんに修行をつけてもらっていた。九十九さんは厳しかった。だらしない生活をしているくせに、戦うすべに関しては一流だった。
「呪霊は待ってはくれないよ」
荒い息をつく俺に、九十九さんは容赦しなかった。いつも俺が呪力切れで倒れるまで続く。
今日も俺がぶっ倒れたところで、
「もう立てないのか、少年?」
逆光になった九十九さんを見上げて、俺は歯ぎしりした。立てないのは本当だった。呪力を全部搾り取られて、手足に力が入らない。
「次は絶対負けねえ……!」
「いいね。その意気だ。その調子で頑張れば呪術高専にも入れるよ」
いつも九十九さんはそう言う。俺が高専に入学するのを期待しているみたいだ。
「呪霊とか別にどうでもいい」
「そう? その力を磨くにはちょうどいいと思うけど」
そう言われると、ちょっと迷ってしまう。九十九さんから呪霊の存在を教えてもらったけど、そんなご立派な目標にあまり興味は湧かなかった。
「でも九十九さん、高専からの依頼受けてないんでしょ」
九十九さんはあからさまに目を逸らした。
「……事情があるんだよ」
「事情って何」
ため息をついて、九十九さんは野原に腰を下ろした。
「――私と方針が違うからだよ」
「方針って?」
俺は寝っ転がったまま尋ねた。
「まだ君に言ってもわからないだろうけど」
「俺のこと舐めてる?」
九十九さんといえども、俺を舐めた奴のことは許さない。それが俺よりずっと強い相手でも、だ。
剣呑な目つきをした俺に、九十九さんは頬杖をついた。
「舐めてないよ。でも、君はまだ子どもだからね」
俺の頭をぐりぐり撫でながら、九十九さんは続けた。
「私にも目指したいものがあるって話」
「頭をなでるのはやめろ」
九十九さんはにやにやしながら言った。
「ここまで来れたら教えてあげる」
子ども扱いは気に食わないけど、ミステリアスな女性も格好良い(クールだ)。そう、九十九さんはいつも格好良い。美女を自称するだけのことはある。それに強い。
「で、少年。どんな女がタイプだ? そろそろ教えてくれるよね」
「教えない」
「じゃあ、いつか教えてね」
九十九さんは立ち上がった。
「あ、今日はこれで終わりだから。立てるようになったら帰るんだよ」
それだけ言って、さっさと歩き出した。
俺はそれを見送るだけだ。いつか絶対、負かす。
「……本人に向かって言えるかよ」
俺を置いて歩いていく薄情な背中に、こっそり呟いた。
俺の師匠は変な人だ。
でも、俺の師匠は、最高に格好良い(クールな)のだ。