お父さん、お母さん。もし私が先に死んでしまったら、私のものは燃やしてください。葬式は家族葬でお願いします。くれぐれも、友人などを呼ばないでください。夜蛾先生だけで十分です。

「傑、俺は呼んでくれないの?」
「嫌だね」
「なんで!」
「そりゃあ……恥ずかしいだろう」
「もう死んでるんだからいいだろ」
「驚いたな。悟はそういうの興味ないと思ってたんだけど」
「傑は特別! 俺たち二人で最強だろ」
「そりゃどうも」

               *

「嘘だろ、何もないなんて!」
「ここまで来て空振りか……」
「残穢があったのに!」
 夏油も憤慨する五条と同じ気持ちだった。
 長い階段を上った先の山の神社には確かに残穢があったが、もぬけの殻だった。呪霊がいたとしても、既に居場所を移しているのだろう。あるいは山の中で息を潜めているのか。
 数匹うろうろしていた低級呪霊を祓い、二人はすごすごと下山した。祓った呪霊は神社のような信仰対象には付きもので、大した強さではない。
 夏油も何匹か呪霊を飛ばしてみたが、森の中にも特にそれらしき呪霊は確認できなかった。これ以上の索敵方法は持ち合わせていない。
 社務所は山の麓にあり、山を登った先の社の周辺には人影も見当たらなかった。高い木々に囲まれた社は昼間でも薄暗い。石階段はすり減り、ところどころ石が浮いたり傾いたりしている。苔むした石造りの鳥居や灯籠は神秘的も言えなくもないが、寂(さび)れた印象は拭えない。一応、本殿と拝殿は別れているが、どちらも小さなつくりをしている。せっかく装飾のある木鼻も色褪せ、黒っぽく変色している。小さいながら神楽殿もあった。祭りの際には舞を奉納するのだろう。誰もいない境内にはずいぶん前に立てただろう看板があり、風雪にかすれた文字でこの地方の伝承が書かれていた。
「たしか、〝お社様〟は化け物退治に際して目を怪我したけど、この山の川で顔を洗ったら怪我が癒えた……と」
「そこから眼病に効くってちょっと安直すぎねえ?」
「言い伝えというのは、だいたいそういうものなんだろう」
「呪霊に負わされた怪我がその程度で治ったら苦労しないっての」
「悟もあの化け物退治は呪霊祓除の逸話だと思う?」
「逆に、それ以外にあんの?」
「それが最も可能性が高いだろうけど」
 各地の化け物退治の伝承は、実態を知っていればそんなオチが待ち受けているのも少なくない。自然災害を化け物にたとえているか、呪霊を化け物と呼んでいるか――見えない人間からすれば、どちらもそう変わりはない。正体が何であるのかが重要なのではなく、脅威の有無が重要なのだ。
「長久保さんが戻ってくるのを待つか、住民に聞きに行くか」
「どっちもやだ、めんどい」
「そう言うなって。ここで何泊もしたくないだろ?」
 五条は少し考え込んだ。
「傑と遊べるなら別にいい」
「私たちが泊まるところにテレビ、ないらしいよ」
「じゃあ早く済ませようぜ。帰って桃鉄やりたい」
「私は映画がいいな」
「おっ、傑のおすすめ映画何?」
「そうだな――次は……」
 変わり身の早い五条に笑いながら、夏油たちは山を下りた。周辺には田畑が続いている。
「どっかにちょうどいい住民がいないかな――っと」
 折良く、通りかかった老人がいた。
 夏油は人好きのする笑顔を作り、老人に近づいた。夏油の肩くらいの身長で、日に焼けて皺の多い顔。いかにも長年、農作業をしていた風体だ。
「あ、すいません。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
 足を止めた老人はじろりと夏油を上から下まで眺めた。隣に立つ五条に目を移し、その銀髪をまじまじと見つめる。
「君たち、どこから来たんだい」
「ちょっと東京の方から」
にこりと笑う夏油の隣で、五条が空気を読まずに単刀直入に尋ねた。
「最近、ここで亡くなった人が何人かいるよね」
「ちょっと悟」
「隠してたってしょうがないじゃん。よそ者だってバレバレなんだし」
 あっけらかんと五条が言い放った。
 老人の目線がきつくなったような気がした。
「あれは事故だよ」
「事故?」
 二人は首を傾げた。
「でも遺体の状況が……」
「遺体? 君たち、一体何なんだね」
 不審そうな顔をする老人に何と答えようかと思った時、女性の声が聞こえた。
「あら、小柳さん、そちらの方はどなた?」
 道の先を歩いてきた女性が老人に声をかけた。老人よりやや若く、六〇代に入った頃だろうか。つばの広い帽子を被っている。首にはタオル。帽子の下から灰色の髪が覗いている。こちらも農家のようだ。
「奥田さん。この二人、東京から来たって」
「まあ珍しい。こんな田舎まで観光?」
 奥田と呼ばれた女性が五条を見上げた。
 五条が控えめに微笑んでみせた。
 まあまあと奥田が頬に手を当てた。サングラスをかけてなおわかる、五条の人並み外れた容貌がプラスに作用したようで何よりだ。年若い女性なら頬を赤らめるところだが、さすがに親より年上の人間にそこまで反応されたら、逆に辛いものがある。
「そうなんです。地図にダーツが刺さったところを旅するっていうのをやってて、こいつがここに当てたんですよ」
 すらすらと嘘を並べ立てる夏油を、呆れたように五条が見た。
「それでこんな田舎まで……大変だったでしょう? 電車もあんまり来ないし」
「まあそうですね……」
 夏油は曖昧に笑った。
「ここは何にもないけど、ゆっくりしていってね」
「はい。ちょっと山の方に行ってみようかと思うんですけど、あの山って登るの大変ですか?」
「ああ、あの山? 神社があるけど、気をつけてね。最近、あそこで足を滑らせて亡くなった人がいてね」
「そうなんですか……そんなに高い山に見えないのに」
「神社があるから、参拝の人が多いのよねえ。川があるから足場が悪いところもあって。この間なんか二人も」
「二人もですか?」
「そうなの! 二人兄妹でね、小さい頃からよく知ってるわ。あんなことになってしまって本当に残念。やっぱり祟りかしらねえ」
「奥田さん、あんまりあれこれ言うんじゃない」
 際限なく喋り続けそうな奥田を小柳が小突いた。
「あら、私ったら、変なこと言ってごめんなさいね。忘れてちょうだい」
 夏油は五条に目配せした。明らかに何かを隠している。
「そうねえ。変な話しちゃってごめんなさいね。あそこの神社、もうすぐお祭りなのよ。もしよかったら見に来てね」
 さっさと歩き出した小柳の背を追うように、奥田は手を振って歩き去った。
「……これって失敗?」
「……失敗かもしれない」
「傑のあの笑顔、怪しすぎるんだよ」
「それを言うなら、悟のサングラスも十分怪しいだろう」
「でも、祟りだってさ」
 にやりと五条が笑った。不敵な面構えは、夏油のよく知る五条だ。
「ビンゴでしょ」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

inserted by FC2 system