五条悟が死んだら、両眼は夏油傑に渡してください。

「いや、困るんだけど」
「欲しくない?」
「欲しいとか欲しくないとかそういう問題じゃ……」
「今までどうでもいいって思って適当に書いてたけど、なんか、家の連中に好きにさせるの、むかつくなって」
「それで私に?」
「うん」
「燃やすのはもういいんだ?」
「そう書いても実行するか怪しいから、じゃあ傑にあげる方が確実じゃん? 燃やすなりホルマリン漬けにするなり、好きにしていいよ」
「……うわあ。重いなあ」
「硝子、頼むから言わないでくれ」
「つか、ホルマリン漬け言い出したの硝子なんですけどー。俺の身体は死んだって俺のものだよ。どうせ家の連中を呪えないんだしさ」
「あー、オマエ、呪えるほど執着なさそうだし」
「じゃあ、あの遺書は本気じゃなかった?」
「いや本気だったよ? 全部本気で書いてる」
「じゃあこれも本気なんだ」
「そう言ってるじゃん。信じてくれないの?」
「……」
「嫌なら別にいいよ」
「――あ、おい、破ることないだろう」
「五条、オマエさあ」
「え? 何?」
「はあ……わからないならいいよ」

               *

「なんとかごまかせたね」
「適当に丸め込めばいいって言ったじゃん」
「聞いてない」
「言ってなかったかも」
 早苗、章と別れ、夏油と五条はそんな会話をしていた。
「結局、呪霊を祓えば万事解決だろ? なんも変わってねえよ。そしたら来年から祭りもやらなくていいし」
「そりゃそうだけど。他に犠牲者が出るかもしれないから、早苗さんも祭りを中止させたかったんだろう。……悟、何であんなこと言ったんだ? あんな口の利き方じゃ反発されて当たり前だよ」
「傑は腹立たなかった?」
「それは……」
「代弁してやったつもりはないよ。俺が言いたかったことを言っただけだし」
「……そう」
「ま、肝心の早苗の態度があれじゃあな」
 化け物退治を頼んできた割には、右目を捧げることを覚悟しているのが気にかかる。それほどまでにこの集落でその価値観を刷り込まれてしまったのだろうか。慣習――ほとんど因習だが――を破った家が村八分される心配もわからないではない。
「踊り手の捧げた右目で化け物を鎮める――っていうのもにわかには信じがたいけど、それより気になることがある」
 早苗と章はすっかり忘れてしまったのか、それとも考えたくなかっただけなのか、深く追求してこなかった。しかし、呪霊に右目を捧げることについてはまだわかっていないことがある。神社に封印された化け物が今回の呪霊と同一の存在だとするならば。
「なんで祭りが始まってないのに活動してるんだ? もう二人も殺されただろう」
 当初の疑問に立ち返ってしまった。
 呪霊が既に動いているなら、祭りは意味がない。それこそ夏油たちが呪霊を祓うまで、この集落の人間は殺され続ける。もちろん、早苗が右目を捧げるという話も無意味だ。一度生まれ落ちた呪霊は人を呪うだけだ。この集落に呪霊を祓えるほどの力を持つ人間は見当たらない。
「呪霊が人を殺すのはまあ普通と言えば普通だけど」
「先に殺された二人が右目を抉られた意味って何だと思う?」
 被害者の二人は右目を抉られていた。
 化け物を退治して疲れ果てた〝お社様〟は、眠りに就いた。
「踊り手が右目を捧げるなら、何で他の人間の目を欲しがる? そもそも、何で右目を求めるんだ? そこは命じゃないのか」
 夏油は眉をひそめた。この手の化け物への捧げ物は命が基本だ。伝承でもそうだった。右目だけというのもおかしな話だ。
「毎年命を捧げるって、昔ならともかく現代社会じゃ無理だから?」
「命と右目じゃ価値に開きがありすぎないか。右目への執念が強すぎる」
「正直、俺もそう思う」
 自分で言っておきながら納得していないように、五条が眉を寄せ、サングラスを外した。右目は白濁したままだ。不安を誘う色合いを直視しづらくて、夏油はそっと視線を外した。
「悟、右目は見えてる?」
「見えてるって言えば見えてるし、見えてないって言えば見えてない」
 五条はぱちぱちと瞬きした。本当に音を立てそうなほど、長い銀色の睫毛が上下する。
「六眼の調子が悪いっていうか、なんか阻害されてる感じ? 普通の視野は問題ないよ」
「六眼だけに作用する術式か」
 そこに何か手がかりがあるのかと夏油は首をひねった。
「それも今回の呪霊の術式、でいいんだよね」
「たぶん」
 あやふやな答えだ。六眼が機能しないのが落ち着かないようで、五条はぎゅっと目を閉じた。
「右目が欲しいのは――喰うためか」
 力のあるものを喰えばそれが自分のものになる。そういう呪術的な考え方はある。だが、
「眼を喰ってどうするんだ?」
「スタンダードな発想としては、力にするためだけど」
「喰っただけで力になるのか?」
「さあ。呪霊は合理的に振る舞うわけじゃない。欲しいから喰う、それだけだ」
 五条は言いながら目を開いた。澄んだ青と濁った白の瞳が、何かを探すように宙を見つめる。
 呪霊は負の感情の塊だ。理性とはほど遠い。一見して筋の通らないことでも、呪霊にとってはそうではない。
「右目で化け物を鎮めているなら逆効果じゃないか? 喰って力をつけたら封印を破ってしまう」
「さっきからそこが引っかかってるんだよな」五条が腕を組んだ。「喰おうとする動機としては――もっと目をよくしたいか、もしくは目を失ったか」
「目を失った……じゃあここの呪霊って――」
 封印された化け物は神社に安置されている。
 化け物を封印した〝お社様〟を慰撫するために舞を奉納し、化け物の封印をかけ直すために右目を差し出す。
 化け物を退治する際に〝お社様〟は右目を失った。
 特定の条件を満たした踊り手は右目を失う。
 ならば、右目を欲しているのは誰か。
「右目を欲しているのは〝お社様〟か! そうだして、生贄を求めるなんてまるで――」
 まるで化け物のようだ。そもそも化け物は人身御供を求めて〝お社様〟に退治されたのではなかったか。その〝お社様〟が再び生贄を求めるのは本末転倒だ。
「〝お社様〟は化け物退治の際に右目を怪我した。でも、それは川の水で癒やされたはずだ」
「考えられる可能性は一つ。化け物と〝お社様〟は同一なんだ」五条が右目を押さえた。
「つまり、本来、右目に傷を負ったのは化け物の方ってことか」
 恐ろしい存在を祀ることで鎮めるのは鉄則だ。荒ぶる物の怪を鎮めるために神として祀る例はいくらでもある。
「〝お社様〟の原型は、封印を施した術師か」
 五条は頷いた。「どっかで伝承が歪んだんだろうな。で、ここの人間の信仰が作り出した呪霊が右目を求めている。だから俺の眼も喰おうとした」
「じゃあ、悟が三人目?」
「ま、失敗したわけだけど」
「まさか、ここに来た時から目をつけられていたんじゃ」
「かもね。視線ってそいつのことだったのかも。それでよく見えなかったのかもしれない」
〝お社様〟はこの地域の信仰対象だ。それが化け物と同一で、かつ今回の呪霊とすれば。
「今回の呪霊、もしかして仮想怨霊――」
 仮想怨霊。人々がそう在ると信じた化け物。実在しなかったはずのそれは、皆が抱く共通イメージに姿形を与えられ、信じられた通りの特性を備えた呪霊となる。イメージが強ければ強いほど、それが共通していればしているほど、仮想怨霊は形を取りやすい。かくて人々の恐怖は、恐怖された通りの存在として出現するわけだ。
「片目のない神と言えば、鍛冶の神、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)だけど、ここに鍛冶にまつわる伝承はない。農耕をしていた地域だしね。他に片目のない伝承と言えば、一目連(ひとつめのむらじ)」
 言われて、夏油は記憶を探った。「天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と同一視されたという、片目を失った龍神――そうか、ここの祭りは五穀豊穣。水を司る龍神と関連がある」
 農耕を中心とする社会では、古来より祀られてきた神だ。だが、それだけでは根拠として弱い。そんな神はどこにでもいるからだ。
「でも、一目連(ひとつめのむらじ)の信仰はここじゃないだろう」
「問題はそれだ」五条が顔をしかめた。「近いと言えば近いけど、祀られている場所はここじゃない」
 既に二人を殺し、息を潜めながら五条の右目を奪おうとした。ただの民間信仰にしては強すぎる呪霊だ。仮想怨霊なのはほぼ間違いない。
「右目を捧げて本当に封印に効果があると思うか?」
 疑念を込めて夏油が言うのに、五条は肩をすくめた。
「生贄は呪術に付きものだから――可能性としては半々だな。本当に意味がなく思い込みでやってることもあるし、本来の意味を忘れてなお儀式として機能し続けている場合もある」
 右目を捧げるという奇怪な風習には、何の意味があるのだろう。伝統として残されているなら、それには意味があるはずだ。担い手たちがとうに忘れたとしても、何がしかの意味、効果があるから続けられる。
「――違う。逆なんだ」
 夏油ははっと目を見開いた。ぱちり、と何かが繋がる感覚がした。
 右目を〝お社様〟に捧げるのは、生贄としてではない。
 呪術師にとって最もなじみ深い手段。こんな片田舎で誰にも呪術を教わらないのに、強力な封印の術式を継承してゆく手段。
「そういう〝縛り〟なんだよ、あれ」
「縛り?」五条は怪訝な顔をした。
「早苗さんのおばあちゃんは生まれつき目が悪いって言っていただろう? それが天与呪縛なんだ。だから、見える人間でないといけない。早苗さんも右目が悪いだろう?」
「そんなことが……いや、確かにそれなら説明がつく」
 術式を持った人間は呪霊が見える。逆に言えば、呪霊が見える人間には術式が備わっている可能性がある。
「術式は血族に代々受け継がれる。舞の奉納は術式を発動させる儀式。年に一度っていうのもミスリード。本当は、術式を受け継いだ人間だけが必要。おそらく術式の効果はその術者が死ぬまで。でも、術式があるかを判別する方法は失われた。だから毎年祭りを行って、踊り手の誰かが術式を受け継いでいればオッケーって寸法。数撃ちゃ当たるってやつ。呪霊が見える娘が〝特別〟なのは、術式持ちが多いって経験則で知っているからだ。家に閉じ込めるのも〝縛り〟の一環と見ていい。範囲を狭めれば、その分だけ術式の効果は上がる」
「それが失敗したのが数十年前の自然災害か」
「関係あるかどうかはわからない。でも、本当に因果関係があることが重要なんじゃない。人々がそう信じるかどうかが重要なんだ」
 そうやって、いつから続くかわからない伝統は継承された。その裏で、何人もの少女が右目を失い、家に監禁された。三藤早苗も、もうすぐそこへ名を連ねようとしている。
「そんなことがあってたまるか……!」
「じゃ、決まりだ。ここの呪霊は俺たちが祓う。それでみんな解決」
 にやりと五条が笑った。
「そうだね、私たちは最強なんだから」
 言い聞かせるように、夏油はそう言った。三藤早苗はまだ助かる。だから、この機会を逃してはならない。まだ、三藤早苗は生きているのだから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

inserted by FC2 system