PSYCHO-PASS PROVIDENCE、地獄で挙げる結婚式〜死が二人を分つまで〜って感じ
炯と舞子の結婚式と同時に朱ちゃんとシビュラシステムの“結婚”でもあったのでは?

雑賀先生が出るー!!と思って見に行って致命傷を受けた

制作スケジュールの都合なのか、PSYCHO-PASSは3期から変容し続ける現実と噛み合ってない感覚があります

朱ちゃんがシビュラをAIと言ったシーンってシビュラの真実を伏せる意志があったってことですよね?
砥波にシビュラはAIじゃない、わたしたちは相変わらず人に統治されているのだと教えてあげない理由ってなんだろうな…
現実のAIはそんないいものじゃないし(差別や偏見のある世界で偏見を含むデータを食っているのだからそれはそう)、人間が責任を負う必要からは逃れられないんだけど、制作側はそうでもないのかな?
倫理とは人が持つものである、という話だと思うので、昨今のAI事情を眺めているとシビュラシステムがAIなのはむしろマイナス評価になりそうだな、と感じたり

よく考えたら公衆の面前で禾生局長を殺した常守朱、自分の前でゆきを殺した槙島聖護と同じことしてないか?

シビュラは当然、朱ちゃんが何を思って局長を殺したのか知ってるはずだから、細呂木局長が「私は世界のひとかけらにすぎない」と言ったのは朱ちゃんの殺人に世間が無感動なのを皮肉ってたんですか?

PSYCHO-PASSシリーズ、1期はSFとして見てなかったので多少の穴はスルーしてたけど、2期や3期はSFに寄って人間ドラマが薄くなって、まあ路線変更もやむなしか…と思って代わりにSF要素に注目すると今度は穴が拡大するという

執行官に支給されるシャンプーの匂い…?

しかし法定執行官という役職を作らせて監視官から降格させたのは朱ちゃんの勝利なのかもしれない

PSYCHO-PASS総集編は女子高生猟奇殺人事件で王陵璃華子の回が放送中止になったし、PPPは朱ちゃんが己の主張のために政府高官を暗殺するというテロ行為に及んで元総理の事件と重なるしで、嫌な現実とのリンクだな…

宜野座が朱ちゃんの盾になりたいと言ったけど無理なのは、局長暗殺というテロ行為に及んだ朱ちゃんを殴ってでも止めることができないからだよ
この衝撃的展開には、今や安倍元総理の暗殺事件を思い出さずにはいられない。
彼女の行為は決して美化されてはならない。わたしたちはもう、はっきりとした現実味を伴ってそういう世界にいる。
だから、朱ちゃんのこの選択の後には彼女を「ぶん殴ってでも止める人」が必要なのだ。できれば行動に移る前に必要だった。
システムから抜け出した仲間、あるいは同じ穴の狢になった狡噛ではなく。
なんて馬鹿なことを!と叱って、それから頑張ってきたねと抱きしめる人が。
それが宜野座には荷が勝ちすぎるのだ。システムを疑うなんて発想が毛頭ない、執行官になってすら理想的市民の側面を持ち続ける宜野座に朱は頼らなかった。
朱ちゃんが頼りにして背中を見ていたのは、今も昔も狡噛なので。

3期を再履修したばかりの人に確認したら「雑賀先生?3期にはいなかったよ?」と言われたので、わたしと友人が幻覚を見ていたことが発覚した
じゃああの雑賀先生のシーンはわたしの妄想…?

PPPの法律の廃止ってどう考えても念頭にあるのは刑法だけだよね ラクーゼ法ってシビュラシステムによる精神衛生至上主義社会に必須の法律なんですけど、もう忘れられたのか…

個人的に、ノナタワーの密室に出席を許された女性が常守朱しかいなかった(局長は義体なので除外)ことにびっくりしたよ…21世紀初頭みたいで未来感がない
サイコパスは性別をも無価値にしたはずなのに、政治は未だ男性だけで動いていると国民に見せるの?

サイコパス3期を見た後は、こんなにつまらなく思ってるのはわたしだけ?わたしが何か見落としてるせいなの?と孤独に苛まれて感想を書いたけど(幸い孤独ではなかった)、今おすすめタブにはずらっとPPPの賛否両論な感想が並んでいて、わたしは孤独じゃない…!と初めておすすめタブに感謝した

監督がPPPは1期のテーマに別方面からアプローチした原点回帰と言っていて、たしかに人間ドラマに比重を置いた1期のテイストに近かったんですけど、でも社会は変容し続けるからシビュラシステムが絶対だったあの頃には二度と回帰しないよねとも思った

これはもはや妄想の域ですが、朱ちゃんがエリミネーターを胸に抱いて甲斐を殺す慎導篤志を静観したのは遺体を綺麗な状態で遺族に届けたかったからかな、いやそうであってほしいと思った
エリミネーターは人体を電子レンジに入れたように爆発させるので、原型をとどめないわけでしょ
せめて遺体との対面、すなわち死の実感を与えたかったのでは?
まあ、1期の朱ちゃんならなんとか説得して犯罪係数を下げてパラライザー適用にしたんじゃないかとも思いますが。
なんか2期にそんなシーンなかったっけ?気のせいかな。

サイコパスはジャンルで言えばディストピア物だけど、シビュラシステムによる統治を受け入れた社会はディストピアとユートピアが表裏一体であることを示しているので、陰で変容しつづける社会でシビュラの庇護の元、それでもまだ盲目に平穏に暮らすモブ(朱の友達や家族)の描写はほしかったな〜と
出島のモブ登場パートは好きだけど、あまりに現実と似ていてシビュラの支配/庇護下にはちょっと見えなかったよ…なんで旧正月を認めてるの?
日本への亡命は、無慈悲な女神の庇護を授かる代わりに自分たちの文化を捨てて女神の信徒に同化することではなかったの?

シビュラシステムは自身を機械と偽り、神託を授かっている(自分の判断ではない)体裁で、その実神託を授けているのはシビュラで、授かって行動するのが刑事課というねじれからスタートしているので、神託を本当に神託として扱い始めた灼はけっこう好きでしたよ そのあたりに話を絞った方がいい

ドミネーターが使えない展開を挟まないと話を始められないのは理解しててももう飽きたわ二番煎じにもほどがある、と思っていたのに、朱ちゃんが槙島聖護の二番煎じをするとは思わないじゃん?

2期は尺も短いし一瞬友達映ったし…と多めに見たら3期でさすがに無視できなくなり、モブのこと軽視しすぎでは?最大多数の幸福はどうした?って思ってたけど、朱ちゃんがテレビ中継を利用して局長を暗殺したことが視聴者のメンタルに大ダメージを与えることはむろん承知の上なんですよね?
登場人物はともかく、脚本はモブの存在をうやむやにしちゃだめでしょ

シビュラシステムが無能に見えるのは、槙島聖護を捕捉できなかった件のデバックをしているように見えないからですよ 設定があるなら早く出した方がいい
むしろわたしとしては、免罪体質者の犯罪係数を正確に計測できるようになった結果、シビュラシステムが役割を終えて“自殺”する展開でも構わない

PPPの法律の廃止は「刑法の廃止」に読み替えるとだいたい辻褄が合うのであれはワードチョイスの失敗な気がしてきた
しかし法務省の解体は意味不明ですが…

銀英伝読んでてマジでよかったな〜めちゃくちゃ命綱だったな〜とPPPを見て思いました

無能な民主主義と有能な専制君主のどちらがより優れているか?という尽きぬ命題に、無謬性を誇る機械による神託を選択したのがPSYCHO-PASSだからね
法律の廃止に動こうとする政府高官たちは有能な専制君主にすべてを委ねようとしていて、人の可能性を信じ、機械のふりをするシビュラシステムは彼らの意思を静観する構えなんだよね
でも彼らに適性診断を下したのもまたシビュラなわけだから、もうちょっと多様性のある人選をした方がいいよ

PP3期からはなんかもう、犯罪係数を気にしなくていい執行官とどれだけ銃を撃っても色相が濁らないメンタルゴリラしか残されていなくて、ちゃんと投薬とカウンセリングのシーンを入れなさいよと思った
精神衛生至上主義という建前を忘れないでくれ、例外な人たちだけで話を進めないでくれ

いろいろ言ってますけど、わたしの最も大きいストレス源だった「常守朱による局長暗殺事件のホワイダニット」「慎導篤志と甲斐の死の真相」が明かされたので、PPPはそんなに悪くなかったと思ってますよ

SF作品は現実の先を行ってなんぼなのに、3期の移民問題はトランプ大統領の当選やブレグジットするかしないかの瀬戸際で出す問題提起として遅きに失していたのが個人的な失望の元なんですよね
1期の鎖国体制は現実が追いつくのに10年近くかかってるのに

前も言ったけど、シビュラシステムは縢から見れば「機械仕掛けの神」でチェグソンからは「無慈悲な女神」で槙島聖護からは「神託の巫女」なところがすごく好きだったんだよね、シビュラは自らの意思を放棄して市民に奉仕するから他者からの評価が分裂してて

どうでもいいけど猛烈な解釈違いだったのが慎導篤志の語った「真相」という言葉
わたしとしては厳然たる事実だけがあり、見た人がそれぞれの意思で「真実」を見つける、すなわち真実とは主観性を含むものだと思ってたんですよね

PSYCHO-PASSシリーズ10周年ははるか昔に潰えたスピンオフ小説「監視官・宜野座伸元」を出してくれませんか?

虚淵氏に戻ってきてほしい気持ちはわかるけど、虚淵氏にとってのPSYCHO-PASSシリーズは最初の映画で終わりだったんだと思う

友人が昨日「fateシリーズみたいに背景設定を共有するパラレルワールドならよかった」みたいなこと言ってて、まあそれがすべてよなと同意した

PSYCHO-PASSシリーズに対する鑑賞態度を決めることができたので、このままシビュラシステムの電源を落とす日まで付き合ってやろうと思いました

常守朱を周囲が神聖視しているという指摘に関してはわたしも同意するところ
朱ちゃんへのカウンター、つまりおかしなことを言い出したら殴ってでも止める人が不在なわけです
1期は狡噛に対するカウンターとして朱がいて、狡噛の逃亡後にその位置にスライドした朱には並ぶ人がいない、孤独なんですよ
宜野座はヒロイン的立ち位置と監督に表されているように朱とのバディの片割れじゃないんですよ、むしろ宜野座と霜月がバディなんですよ
この並び立つ者がいない孤独、理解者のいない孤独の描き方が不十分だったのではないかと思います
朱ちゃんの上にいる存在ってもうシビュラだけなんだもん
足りないのは孤独の描写というより、内省するシーンの方かも

PPPで最強の武装は警棒、それから宜野座の義手

須郷さんの大活躍には興奮した あそこだけ別アニメだった

ストロンスカヤ文書が世界に与える影響がいまいち見えなかったのはう〜んって感じなんですけど、それ以前にそんな膨大なリソースを食うような数式を計算できる国って日本以外に存在してるの?

朱ちゃんはね、学生時代にサイコハザードに関する論文を書いているんですよね それを踏まえて局長暗殺を見るとね…

最近、コミッサちゃんも鑑識ドローンも見てないなと思って、サイコパスは刑事物・ミステリを辞めてアクション・軍事物に移行しちゃったんだなと今猛烈に寂しくなった

10周年記念、PSYCHO-PASS GENESISのアニメ化でもいいよ
征陸さんの若かりし頃とシビュラシステム創成期の話で過去軸だから、よほど変な脚色しない限り、閉じた物語を壊さずにシリーズを続けられるよ

ずっと疑問なのが、シビュラシステムに収められた脳の群れが自分たちに課された恒久的社会奉仕の刑を受け入れて真面目に服役していることなんですよね “服役”を拒否したのって槙島だけだったのかな?
たとえば世界統制官は拒否すると離島へ島流しされるシステムになってるんだけど

PSYCHO-PASS GENESISがおおむね好評なのは、あれが過去の話で未来に影響しない、既に終わったことだったからだよ 閉じた物語に未来は蛇足

サイコパスが1期で終わりだと思ったのはあのテーマでは完璧に完結して続きが作れないからで、2期以降SFに傾いたのは制作側もそれを理解していたからで、でも人間ドラマを作るための箱庭で許されていた穴はSF作品に仕立て上げる際には塞げない穴になってしまって、今に至るまで修復できてない
向こうがSFですって言うからわたしもそうかSFなのねって見ると、SF要素が矛盾をきたしていて、いや何考えて作ったの?せめて設定資料集読んで作ってくれないか?って怒る羽目になるわけ 少なくともわたしにとって移民政策関連はそうだった

ドミネーター(戦術兵器)の不自由さをさんざん見ている視聴者と、ドミネーターが最強で唯一の武装(戦況を一変させる戦略兵器)という作中の取り扱いの齟齬なのかも…作中でバンバン実弾撃ってるけど、彼らにしてみればいくら銃があってもドミネーターが来たらおしまいだ!みたいな感覚なのかも…

宜野座さんが犬を飼うのを辞めたのかどうかだけでも教えてくれ そしてダイムの葬式に外出申請を出す宜野座とハア?みたいな顔をしつつ許可して付き添う美佳ちゃんをくれ

朱ちゃんのラストが悲壮な決意なのはわかるんだけど、ちょっと冷静になると槙島じゃんってなるの
あのシーンのリフレインだ!じゃなくて二番煎じと感じてしまうのは、たぶん間が空きすぎて期待だけ高まっているせいもある
3年もホワイダニット不明のままぶら下げられてストレスがヤバかった

PPPが最高傑作とか集大成かと問われれば迷わずノーと答えるけど、それはそうとホワイダニットが明かされてものすごくすっきりしたから3期とFIの後より絶対にいい

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

inserted by FC2 system