そういえば先週、映画から帰って入場特典の監督と冲方丁と深見真の対談を読んでいたら、それ読んで大丈夫か?みたいな顔してきた夫、マジで理解ある夫

広く浅くなタイプなのでさほど熱心なファンじゃない(一通り見たのにほとんどストーリー忘れてた)けど、3期を再履修した後に「全然ドミネーター使わないね、サイコパスでやらなくてもいいんじゃない?」と言ってたので、やっぱそこは気になるよねと思った

物語でやりたいことは作品の中で完結させるべきという信条を持っているので基本的に監督とか脚本のインタビューは読まないんだけど、PPPがあまりに意図が不明なところがあって今回はいくつか読みました
読んでよかったとは思うものの、読まない方がよかったかも…という部分もあったり

サイコパスにおける技術的ブレイクスルーはサイマティックスキャン技術だと思っていたら今の公式はAIだと思っているらしきことが発覚したの、いつまでも引きずるレベルの解釈違い

他のキャラならともかく、1期はシステムを自称するシビュラに「いやでもお前たちは人間だろ、しかも犯罪者」という立場にいた朱ちゃん(=視聴者の代弁者)が何の説明もなく翻意した(ように見える)ところが引っかかってる
別に作中でシビュラの正体を知ってなおAIだと認定するやつがいてもいいけど、それは朱ちゃんではないよね
それをするなら朱ちゃんの思考の変遷の過程がいるんだよ

1期ではシビュラシステムに対してほぼ常にシステムという言葉を使っていてAIとは言ってなかった気がするんだけど…記憶があやふやなので自信はない…
明確な定義のあるAIではなく、システムというより曖昧な言葉を使っていたのが叙述トリック的だと思ってたんだよね
包括的生涯福祉支援システム・シビュラシステムが正式名称なので、別にAIは割とどうでもいい扱いじゃなかったっけ? これメインは「ゆりかごから墓場」までじゃない?

1期のSF要素は心の数値化、サイコパスに基づく職業診断、ドミネーターと潜在犯に絞っていて、家族観は変わらず生殖医療はカット、医療目的以外の義体には否定的でもちろん電脳化もなく、話をかなり制限してうまくいってたと思う

矢吹が救出された後に犯罪係数を計測するシーンを入れればよかったのに 被害者すら例外扱いしない非情さがシビュラらしさだと思うんだけど

マシュマロの法の運用には柔軟性があるという話、たしかシビュラが犯罪係数を改竄したことがあるのは1期とVVだけだったと思うので、つまりこっちのシビュラが人間(意思を持つ)で、冲方丁のシビュラがAI(意思がないので機械的判断しかしない)に見えてくるな

サイコパスが「システムの中で人はどう生きるのか?」から「人々のためにあるシステムとはどのような形なのか?」へ転換したのは受け入れているけど、やり口が手ぬるいのよね
政治の話に帰結しているのに結論ありきに見えるし

政治の話をしたいくせに政治が守るべき人々の姿が欠如しているのが机上の空論っぽく映るのもね…そんなところで嫌な現実味を出さないでよ…

システムに見守られ、ゆりかごから墓場まで盲いたままでいれば一生幸福を約束される社会で、それでも自分で考え続けるべきだというメッセージを掲げた作品で「公式がすべて」という主張は相性最悪だと思う

シビュラシステムによる言論統制をファンが再現してどうするのよ

サイコパスは正当な続編を名乗るなら設定は踏襲しろ、設定を変えるなら相応の理由づけを作中で行え、キャラの心理描写は丁寧にしろ
わたしからの要望は以上ですね だいたいみんなそうじゃない?

大塚明夫さん、3期に廿六木役で出てたのにPPPに砺波役でまた出てたんだ

精神衛生を至上とする社会で最も忌避されるべき職業は暴力装置のはずだけど、公安局の刑事がドミネーターという名の銃の形をした神託にエクスキューズを求めることが可能なのに対して、国防軍みたいなより直接的に暴力を行使する人はどこに自らの正義を依拠しているのかずっと考えている

もちろんこの社会における正しさとはシビュラシステムによる託宣なんだけど、国防軍にはドミネーターがないから犯罪係数を計測するわけじゃないよね? その場合、たとえホロを被せられていたとしても自分が殺すものが“悪いもの”であると確信できるのか

仮にも軍隊なわけだし、上からの指示が絶対という点ではシビュラシステムとの相性はばっちりってなのかな? むしろ引き金を引くか引かないかという判断がない分かえって楽なんだろうか

公安局刑事課の監視官は10年勤め上げれば昇進を約束されているけど、国防軍のキャリアってどうなってるんだろう? ある意味、刑事課よりハードな気がするんだけど見返りって何?

シビュラシステムより法の方が柔軟に運用できるか否かを話していたんだけど、「結局は運用する人間次第だから人間であるシビュラシの方が柔軟だと思う」って返されて、やっぱこの理論だとシビュラがAIじゃないとだめなのよね

法を保つのはいいけど、法を生かすために三権分立が必要ではないのかな 官僚(行政)はいるけど国会はちゃんと機能してるのかな 議員はいたような気がする

監視官は刑事(犯罪の捜査を行う)であるのと同時に裁判官も兼ねているんだよね ドミネーターの引き金を引くのは有罪判決の言い渡しと同じ

PPPがシビュラシステムをAIだと解釈した上で作られたことが明確になった今、免罪体質者の定義についても今一度説明してほしいですね
もうパラレルワールドでいいからさ

そもそも3期で灼が免罪体質者であると明かされた時点で深刻な解釈違いを起こしたんだよね…PPPでもそこは深く扱われなかった
免罪体質者とは言い訳しようのない罪(多くは猟奇殺人と思われる)を犯したにもかかわらずサイコパスがクリアな人を指すはずだったのに、灼が犯した罪ははたして罪なのか?

灼にオンラインテストを受けさせて免罪体質者であることを確かめる描写は失敗だったと今でも思ってるよ そんな便利な代物があるなら、職業診断の際にメンタルが綺麗な人たちに一律で受けさせれば良かったんだから
なぜ灼が見つかって槙島が見過ごされたのか、今でもわからない

当時も言ったけど、灼がシビュラの正体を見たりテストを受けたり母が死んでもサイコパスに影響しないのが槙島以後であれば納得できたんですよ、でもこれらを槙島以前の時系列に置いてしまったせいで齟齬が出た
1期のキャラを出すために3期を設定した時代が近すぎたのが悪いと思ってる

シビュラが刑法の範疇だけでなく感情の面においても社会的に正しい規範を示すというのであれば、むしろ1期よりさらに強力に人々を抑圧していると思うんですよね

今のサイコパスは政治をやりたい人とアクションをやりたい人が混在してどっちつかずなようにも見えるので、まあわたしも社会人だしそういうの苦労するよね…と思いながら、でも世に出た作品がすべてなので別にそれを慮って感想を言う必要も別にないよねと思ってる

PPPは(3期も)まず命題を設定してそれを否定するという構成で作られていて、それ自体は悪くないけど「法の廃止」は否定されるべき命題として大きすぎ、また「法を廃止した社会の利点」の説得力が欠けていたのがよくなかったね
こういうのはディベート形式にして双方の主張とも同じだけ利点と欠点を用意して作中で議論させないといけないのに、冒頭の会議シーンは議論になっていない
だから朱だけが正しくて、一人で孤独に正しさを主張して余計な可哀想さが出ちゃった

ジェネラルにストロンスカヤ文書をインストールして世界中の紛争をコントロールしたいのは、壊れてしまった砺波たちが戦場から日常に戻れなくなってしまったから戦場を欲しているのではないかと思って見てたんだよね
そしたらAIに統治された公平な社会うんぬん言い出して本当によくわからなかった

わたしが最も苛々していることのひとつは、正統な続編を名乗りながら1期との連続性が崩れていることであって、3期~PPPの中では整合性が取れているのはわかってますよ
その上でじゃあオリジナルでやればいいじゃん、わざわざ続編でやらんでもいいだろ、名前だけ利用して好き勝手するなよという気持ち

なんでもかんでもキリスト教ネタを持ってくるのは西欧中心主義に見えるので好きじゃない…
キリスト教の知識くらいあるわよ、英文学読むのに西洋古典もシェイクスピアも古典ギリシア語もラテン語も履修したんだから

テストで免罪体質者かどうかわかるから灼は罪を犯していないけど免罪体質者と判定される→わかる
テストで判別できるので罪を犯していない免罪体質者がシビュラに取り込まれている可能性がある→わかる
テストがあるのに槙島は免罪体質者であることが見過ごされた→わからない
問題は免罪体質者を判定するテストがいつからあったのか、受けさせるには何らかの制限があるのか、だよ その説明を作中ですっ飛ばしたから灼を免罪体質者に設定するための便利ツールにしか見えない
槙島も藤間も猟奇殺人で発覚した、つまりそれまで理想的な市民と見分けがつかなかったんだから

noteに未だかつてない速度で閲覧数といいねがついて、わたしが言えた義理ではないがみんなストレス溜めすぎ わたしが言えた義理ではないが…

PPであんまりキャラの話をしないのは、宜野座の人格が2期と劇場版でブレていたのが許せなくてもう諦めているからです
最初の劇場版の宜野座、1期最終話の宜野座だったんだもの…2期の宜野座は何だったのか…

犯罪を行なっていない灼を免罪体質と判断したんだから、心の数値化という側面に切り込んで免罪体質を測定できるようにしてシビュラシステムの存在意義を問い詰めるとか、その方面はまだ期待してます

「素晴らしい新世界」は受精卵にアルコール注射して知能を不可逆に制限して社会階級を固定化しているけど、サイコパスの世界は子どもの“選別”は行っていないのでまだ救いはある

マシュマロの返事を書くために1期最終話をちらっと見たらなんで宜野座があんなに狡噛にキレてたのかわからなくなってきた
朱ちゃんには気を遣って「狡噛ならきっとうまくやってるさ」と言ったけど親友だった自分も弟子みたいにしてた後輩も捨てて逃げた怒りがふと蘇っちゃった?

1話が槙島聖護と狡噛慎也によるダイナミック他己紹介から始まるのは物語の構図・人間関係が一目でわかる点で非常に優れていましたね
槙島は分かりやすく敵役で悪役だけど、作中の社会体制へ向ける疑いの目は視聴者側と近く、むしろ周囲に耳を貸さないで突っ走る狡噛の行動原理の方が距離があった
そこを埋めるのに朱(世界観の説明役)がいて、そしてふんわり体制を肯定していた朱はやがて槙島と同様に社会の真実に気づいて我々の方へ降りてくる

学習データに偏りがあるとAIも偏った結果を出すので、そこを正しい方へ導くのは人間の役割のはずなんだよね 善悪とか正しさとか、価値を決めるのは人間だから
そういうところ、朱ちゃんと槙島は似ていて、だから悪人であるところの槙島が善に似たことを主張に掲げているところがおもしろかったのよ

雑賀先生の死ネタが全然おいしくないのがな…わたし死別ネタ食って生きてるんですけど、あれまだあんまりおいしくいただけてないです…

朱ちゃんのまだ生きてる方の友達もう出てこないのかな…と言ったら「朱ちゃんは親しい人を殺されるノルマがあるから出せないんだよ」と言われて謎の説得力があった

2期の朱ちゃんのおばあちゃんが雑に殺されていわゆる「冷蔵庫の女」だったの今でも許してないです
あれおいしくない死別ネタだし

人の死は!大切にして!思い入れをたっぷり書いてから殺して!殺した後もその死の影響を描いて!
フィクションでくらい理由のある死でいさせて

免罪体質者の定義に「罪を犯した」があるのではなく、免罪体質者を発見する手段が「罪を犯した瞬間に限られていた」ことが3期で灼が受けたテストの存在によって揺らいだことを問題視しているんだよ
殺される瞬間まで隣にいるのが猟奇殺人犯なのか理想的な市民か見分けがつかないのが醍醐味だったでしょ

ずっとそう主張しているのに「罪を犯していない免罪体質者もいるはず」と言ってくる人は何なのか わたしが気にしてるのそこじゃないんだが どうやってシステムに見つかるかだよ

わたしは人文系出身だから当然キリスト教的価値観も西洋古典も学んだけど(希英辞典持ってるレベル)、それと同時に西欧的価値観を以って普遍性を主張することへの批判も学んだわけで、そこに無自覚なやつ見るとうっすらした苛立ちがある

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